2000.10.01

朝一の羽田発−中標津行き。
搭乗に時間がかかり出発は定刻5分遅れ。
Push Back を開始し、エンジン・スタート。
しばらくして前方からB777が Push Back 開始。
やられた。
我々は、トリプルがエンジン・スタートを終わるまで出発できない。
エンジン・スタートが終わり、待っていると、
我々より後に Push Back を Request した後方の B767 が地上滑走の許可を求めている。
Request Taxi.
まんまと後ろから抜かれてしまった。
なかなか前方のトリプルは動かない。
そうこうしているうちに、どんどん他機が Push Back を Request していく。
後方の B767 は右側から、我々とトリプルを追越し、どんどん先へ進んでいく・・・・
結局、この B767 は全く待つことなく離陸していったのが見えた。
我々はというと、その B767の後、A300、B747、B767、B777 の後の離陸となった。
8分ほど待つことになってしまった。
本当なら、あの B767 より先に一番に離陸できていたはずなのに・・・・・。
滑走路に入りながら、旋回すると自分の後ろの飛行機が見える。
我々の後ろには6機もいた。
まだましな方か・・・。
Push Back 開始後20分してやっと離陸した。

次の羽田発−大館能代行きはすんなり Push Back できたが、
B747、B767、A300、B767 に続き5番目の離陸だった。
滑走路に入りながら後方を見ると、全く飛行機はいなかった。
なんだ。 ビリか・・・。
羽田では、混雑時に1機先に行かれただけで、何機にも追い越されずいぶん待たされることがある。
そんな時、滑走路に入りながら自分の後方に
沢山飛行機が待っていることを望んでしまうのは、私だけだろうか?
混雑時ほど、待たずに誰よりも早く離陸できると非常に嬉しいのである。
そして待たされた時ほど、自分より待たされるアンラッキーな人がいるとホッとしてしまう。
こんな性格を直したいと思う。
ちなみに、私は非常にせっかちな性格だと感じる。
これも是非とも直したい性格のうちの一つである。

天気は比較的良かった。
前線を伴った低気圧は太平洋へ抜け、上空には弱い気圧の谷があるだけ。
若干、もやがかかって雲はなかったが地上はあまりよく見えなかった。
大館能代からの帰り、通常飛行する高度は揺れていたため、かなり低めの 22,000ft で巡航した。
太陽が徐々に下がってきており、
もやがかった中に、西日でキラキラ魚のウロコのように輝く民家の屋根がとてもきれいだった。



2000.10.02

石見−羽田。 ジェット気流の影響で中間高度は Not Recommended。
25,000〜35,000ft まで揺れのレポート。
上昇中、美保近辺、20,000〜25,000ft LGT(Light=揺れの強度)。
この辺は行きの東京−石見(巡航高度 FL220)で Smooth だった。
さらに 27,000〜28,000ft、15kt の風の増速があり、LGT の揺れ。
鳥取の近く 31,000〜33,000ft LGTP(Light+ =強めの揺れ)。
30kt の増速。
Cloud Top は約 33,000から 34,000ft。 34,000〜35,000ft まで Smooth。
MAX Wind は 35,000ft で 260/105(260°方向から 105kt=時速約190km)。
そして、 35,000〜36,000ft で 260/105kt から 260/70kt まで減速。
ここも LGTP 程揺れた。
37,00ft は水平飛行に移った時点では、ほぼ Smooth。
大津に近づくと Cloud Top は 37,000ft ギリギリ。
雲の高いところをかすると LGT 程度揺れた。
大津を過ぎるとまた Cloud Top は下がり、気流良好。
追い風だったため、水平飛行の区間は短くなり、55分の飛行時間のうち、巡航はたったの20分。
幸い乗客も少なく、ベテランの CA だったので、サービスは早めに終了したが、
機内販売はできなかったようだった。

日本海はジェット軸は 35,000ft 付近だったが、降下中、太平洋側にはジェット気流は通っていない。
降りていくとともに風は順調に減速していったが、やはり揺れが続いた。


読者の方からメールを頂きましたので、紹介させて頂きます。
それに対する私の答えを以下に書いておきました。

「むかしビーマンバングラディッシュで成田-シンガポール-バンコック-ダッカ-カルカッタと乗りましたが
 降下の時にいずれも耳がつ〜〜んと痛くなりました。
 あれはやはり降下が急すぎてへたくそな運転なのですか?
 私は、大阪-高知線はもう80回は乗っていますがまず、そのような経験がありません。
 海外旅行でもないです。」

耳がツーーンと痛くなるのは、客室高度の降下率が大きいからです。
高度が高いほど気圧は低く、高度が低いほど気圧は高いのですが、
降下するとき、キャビンの空気圧を除々に上げていくのですが、
その気圧の上昇速度が速いと耳がツーーンとします。
(平気な人もいますが)
エレベーターで超高層ビルを降りるときに同じ現象が起きますが、それはエレベーターの速度が速いからです。
さて、降下が急すぎて操縦が下手なのかどうか、というとそうでもありません。
例えば着陸空港は晴天なのに、その周辺に発達した雲がある場合、できるだけ高めに飛行場に接近し、
空港のすぐ手前から意図的にいっきに降下することがあります。
この時、もちろん降下率を見ながら降りていきますが、
その時、降下率をいくらに設定するか、パイロットによって違うのです。
操縦するパイロット自身、耳がつまりやすい人ほど降下率を小さく設定します。
なぜなら、本人も耳が痛いからです。
私は、耳に全く問題がありませんので、
降下率は500fpm(1分間に500ft=150m)以内になるように降下しています。
それでも乗客にとっては耳が痛いことがあるかもしれません。
私自身、カゼ気味だったりすると、耳がツーーンとすることがあります。
また一般的に、より高い高度から降下すると、降下率は大きくなりやすいのです。
路線の短い区間では、巡航高度が低いので、急降下しても降下率は小さく、耳は痛くなりません。



2000.10.03

関西−女満別。
追い風 100kt(180km/h)を真後ろからうけていたため10分早着予定だった。
千歳からの他社○便 は女満別上空15分、我々は19分の到着予定。
彼らに一番目の Approach の権利があり、女満別は Radio 空港(2000.09.13 稚内空港と同じ)のため、
彼らが着陸するまで、我々は降りれない。
天気も悪く、Cancel IFR(2000.09.13 参照) は不可。
Approach して Touch Down(Landing) まで 8分。
それから Radio 空港の管制通信官が Sapporo Control(札幌の管制官)に電話して
我々に Approach Clearance(進入許可)がくるまでに1〜2分。
○便 上空15分 に 8分 と 2分 をたして、我々の進入開始時刻は 25分頃?と読み、降下中減速。
しかし、少々減速したところで到着予定時刻の19分を25分に遅らせることはできない。
がんばった結果が21分上空着。
1回ぐるっと Holding Pattern を回って(約4分かかる)進入許可がきた。
「Clear for approach to Memanbetsu Airport.」
この時丁度25分だった。
計画どおり Approach に8分かかり、Touch Down 33分。
Ramp in は36分。
4分の早着だった。

だが、定刻より早ければ良いというわけではない。
4〜6分のロスタイム中、飛ばなくてはならないわけだが、1分につき80lbs は燃料を使う。
6分で480lbs = 220kg = 250リットル
ジェット燃料がいくらするのか、正確には知らないが、ガソリンより安くはないだろう。
仮にガソリンと同じ価格だとすると、250リットル ≒ 25,000円 する計算になる。
関空−女満別の往復チケットの片道料金は、35,200円。
団体旅行客や、国際便からの乗り継ぎは、恐らくその半分以下の料金で搭乗していると考えられる。
あくまでも憶測ではあるが。
だとすると、6分待っただけで、最低でも1名分の運賃が燃費として消えたことになる。
満席166人乗りで、50名しか乗っていなかったので、2%の利益がこれでなくなってしまう。
飛行機って結構もうからない・・・・・・

女満別−関空。 定刻 18:15 発。 また同じ他社×便と重なった。
今度は彼らが着陸するまで離陸できない。
12分には乗客は乗り終わり、DOOR CLOSE。 しかしそのままスタンバイ。
×便 上空13分予定。 23分頃まで、我々は出発できないはず。
エンジン・スタートに3分を要するので、19分頃にエンジンをかけ始めれば良い。
つまり、Push Back は19分頃にエンジン・スタートと同時に行えばいい。
しかし 14分に Push Back 開始。 Push Back の先に終わらせて Towing Car を外してもらう。
整備さん以外に地上のスタッフが数名いるが、Towing Car を外すことで、彼らは持ち場を離れることができる。
5分ほど、余計に休憩の時間がとれるわけだ。
19分に Push Back と同時にエンジン・スタートするとそうはいかない。
Push Back 後、エンジン・スタート。
×便が降りてから滑走路に入り、結局5分遅れで離陸した。



2000.10.05

高知空港へ向け 8,500ft へ降下中、高知の山の谷間を2機の戦闘機らしきものが右から左へ通過していった。
かなり低い高度を、民間機では考えられない程の速度でかっ飛んでいく。 気持ちよさそうだった。
TCAS には1機の機影しか写っていなかったが、編隊飛行でかなり接近していたせいだろうか。
自衛隊機か米軍機かは定かではない。
以前、高知山脈の谷間を戦闘機が飛行することがあるといううわさを聞いたことがあったが、本当だった。



2000.10.06

高知−大阪を 1往復半のパターン。
楽なパターンだ。
CA は福岡から伊丹へ DH で移動してきてから、伊丹−高知を 3往復、その後、関空へバス移動。
さらに関空でホテル行きのバスに乗り、ホテルへ。
もちろんホテルへのシャトルバスは頻繁に出ていない。
非常にきついパターン。
ホテルまで入れれば、恐らく12時間以上の勤務。

我々の飛んだ高知−大阪 1往復半は、ほとんど満席に近かった。
短い路線で乗客が多いと、サービスに CA は忙しく、余計に疲れる。
関空行きのバスは 20:25 発。
リムジンバス乗り場まで距離があるので、定刻 19:55 より早く着こうと努めた。
しかし、高知発伊丹行きの最終便の時間帯は、伊丹への着陸機が多く、待たされることが多い。
今日もそうだった。
待たずにアプローチできれば5分以上早着する予定だったが、結局3分早着にしかできなかった。
CA のみなさん、お疲れ様でした。

最終便は AUTO LANDING を実施した。
飛行機に全ての操縦を任せ、タイヤが接地し、地上滑走までオートパイロットで行う。
オートパイロットにはファジーな感覚がないので、怖い。
気流が良いときには、Good Landing できるのだが、気流が悪いときは修正が遅れ、ハードランディングしがち。
タイヤが地面に着くまでドキドキ、ヒヤヒヤする。
幸い今日は気流があまり良くなかったが、なかなかうまい着陸をしてくれた。



2000.10.07

昨日は、高知ステイで Show Up まで時間のあるパターン。
商店街へかつおぶしを探しに行った。
パックに削った状態で売っている鰹節ではなく、使うときに自分でカンナのようなもので削る、
乾燥した鰹節の固まりを、以前、那覇ステイがあったころ、那覇の商店街で買ってみたが、
味噌汁に使ってみたところ、味と風味がとても良く感激した。
那覇では剥き出しの鰹節が、山のように積んであった。
高知では全て真空パックしてあり、それぞれの店に少しずつしかない。
値段もかなり高め。
色は茶色というか黄土色で、土の固まりのように見える。
那覇のものは赤茶色でつやがあり、いかにもかつおを乾燥させたんだな、とわかるような健康そうな色をしていた。
高知産の鰹節がどんな味がするのか楽しみ。
かつおのたたきは、腹の部分の方が脂がのっていておいしいが、鰹節は背の方がよいのだとか。
腹の部分には内臓が入っていたところを取り除いた場所があり、でこぼこしていて削りにくいのだそうだ。
味は脂が少ない分、あっさりしていて良いという。

1時間、川沿いを歩きに行った。
いつもは走るのだが、2ヶ月ほど前にケガをした足首が、走ると違和感がある。
でも早歩きもなかなかいい運動になる。

しばらく行くと、土手の両サイドに突然お花畑が広がっていた。
ハッとするほどきれいだった。
いつも歩いている所だが、葉っぱばかりだから気がつかなかったのだろう。
一瞬立ち止まってしまう。
おばあちゃんが近くで花の手入れをしていた。
ふと見ると、お花畑の中に空き缶が捨ててある。
拾って近くのごみ箱に捨てておいた。
近くに止めてあったバンの運転席から、火のついたタバコが捨てられた。
すぐ横を通ったが、さすがに運転手の前で、その火を消し、拾うことはできなかった。

またしばらく行くと、体の不自由な子供たちを散歩させている、2人の女性がいた。
その優しそうな表情を、失礼とは知りながら思わず見つめてしまう。
自分にはこんな優しさはないなァ、と感心する。
どうすれば見習うことができるのか?
きっとこういう人達が、もっとも偉い、尊敬されるべき人達だと思う。

自転車が3台、川に投げ込まれていた。
以前投げ込まれていたバラバラに壊されたスクーターはなくなっている。
誰が投げ込み、誰が拾い上げるのか?
川の表面に油の膜が張り、その下を沢山の小さな魚が泳いでいる。

川の中の岩の上で、カモが4羽昼寝をしていた。
その近くを大きなフナが泳いでいる。
大声を出してカモを起こしてみようかと思ったが、2人組みの女の子が自転車でこっちへ向かってくる。
大人気ないことはやめようと、その場を離れた。

空には飛行船が、何かの宣伝のためグルグル飛行している。
しかし、目のいい私にも、何が書いてあるのか、何の宣伝なのか、全くわからなかった。

足早に通り過ぎようとすると、カニがびっくりして土手を転げ落ちていった。

高知ステイの時は、こんなのどかな川沿いを散歩している。



2000.10.09

今日の勤務はスタンバイ。
10:30 〜 17:00 まで、伊丹空港内の事務所に居ればよい。
誰かが病気等で急にフライトできなくなったときや、機材故障、天候等の理由で便が乱れた際に、
スタンバイしてる人が稼動する。
何もなければ、そのまま帰ることができるのである。

朝から薄曇りではあったが、朝刊を見る限り近畿地方の天気予報は一日中曇り。
その他の地域も悪そうな所はなかった。
あとは誰も休まず、飛行機も壊れなければ、無事稼動することなく、一日中事務所で勉強できる。

スタンバイの過ごし方は、人それぞれ違う。
例えば、ボーイングに乗務してる人達は、全ての勤務が関空発着で、伊丹の事務所には全く来ることがない。
滅多につかないスタンバイの日は、
メール・ボックスの書類の整理、差し替え(2000.09.25 参照)、勤務表をつけたり、等々をする。
また、ほとんどの人は、この時間を利用して飛行機関連の勉強している。

事務所の奥のブースに入って、パソコンに向かって勉強していたが、窓がないので外の状況はわからない。
休憩してお茶を飲もうと、ふと外を見ると、大雨!!
ザーザー降っている。
「まずいな・・・ 誰かが Go Around して Divert でもしたら稼動だな・・・」
しばらくすると、見慣れないカラーの飛行機が伊丹空港に着陸した。
North West である。
すぐに関空の天候をチェック。
短時間ではあるが、着陸できそうにない天候が過去1時間〜40分以内に記録されていた。
太平洋を渡ってくる国際便は搭載燃料にも限りがあり、長時間ホールディングできるだけの余裕がないのであろう。
現在、関空の天気は着陸できる程度まで回復している。
恐らく乗客を乗せたまま燃料を補給し、すぐに関空へ戻るのであろう。
乗客の中には伊丹の方が利便性の良い乗客も多かったのではないだろうか?
せっかく伊丹に着陸したわけで、できればこのまま降ろして欲しい、と思った人達もいたはずだ。

かなりの大雨で、一時は伊丹空港へ戻ってくる便が着陸できず、スタンバイ稼動するかとも思われたが、
結局何事も無く家へ帰ることができた。



2000.10.10

Show Up 1345  409便 伊丹−高知 1445−1525
           410便 高知−伊丹 1555−1635
           179便 伊丹−石見 1710−1810
           578便 石見−羽田 1845−2010   勤務終了 2040

仕事前、事務所でキャプテン数人がパソコンを取り囲んでいる。
あるキャプテンがソニーの VAIO(C-1)を以前買ったが、他の人もそれを欲しいと、
インターネットで価格を調べている。
店頭で買った某キャプテンの値段より、同じ商品で10万円程安い値段(3割安)が表示されていて、
店頭で買ったキャプテンは笑いながらも、ちょっと落ち込んでいたように見えた。
私は、そのキャプテンがフジのデジカメを最近買ったことを知っていた。
当然、インターネットで価格をチェック。
新聞、ちらしで見る底値と思っていた価格よりも25%安い価格で売られていた。
ビックリ。
実は同じ商品も私自信、以前買おうと思っていたのだ。
私もななか意地悪である。
そのキャプテンは高値でつかんでしまったと、かなり落ち込んでいたようだ。
でも、まだまだ。
初心者で株に手を出した私は、高値でつかむのが得意で、自分でもビックリする程大損をしている・・・・・。
あぁ、「株で1億円作る!」なんて本、買うんじゃなかった!!

179便の到着が5分早かったので、めずらしく地上で夕食の弁当を食べることができた。
とはいってもコックピット内でだが。

高い高度は揺れるという情報が、飛んでいる飛行機から入っていたためか、誰も高いところを飛んでいなかった。
我々は、天気図を見てそれほど揺れるデータではないと判断し、あえて最終便は高い高度で飛ぶことにした。
(最初の3便は短い路線なので、高い高度には上昇しない)
予想どおりあまり揺れず、高い高度は追い風も強かったので、早く到着でき、かつ燃料も沢山使わずに済んだ。
この日は、179、578便を私が担当していたが、両方とも夜間フライトとなり、眺めがきれいで気分が良かった。

話の流れから、管制官が出す高度制限の話になり、いろいろ詳しいことを聞くことができた。
上空には沢山の飛行が飛んでいる。
その中を上昇、降下する際、他の飛行機とぶつからないように、
管制官から一時的に水平飛行するよう指示されることがある。
その時に管制官が使う用語を誤解し、
パイロットが許可されていない高度へ上昇、降下してしまった事例が過去にある。
管制官が使う用語は決まっているのだが、状況によってはパイロットが誤って解釈してしまう可能性がある。
機長の話によると、現在日本で使用されている管制用語は、アメリカで20年前に使用されていた用語なのだそうで、
現在アメリカで使用されている用語は簡潔明瞭で誤解の余地がないのだと言う。
管制用語は英語であり、アメリカにとっては母国語だからこそ、どんどん改善されていくのだろうか?



2000.10.11

羽田から関空へ移動後、関空−女満別を往復する、変則パターン。
2000.10.03 同様、女満別を出発する際、某航空会社の便と重なり、また5分出発が遅れてしまった。
28,000ft で関空へ向かう計画だったが、FL280 で水平飛行に移るとあまり気流はよくなかった。
女満別行きの時、雲に入り、揺れが始まった地点は北緯42度あたり。(太平洋側)
帰りは日本海側の飛行だったが、北緯41度(青森の30km北)までがまんすれば、
気流は安定してくるであろうと判断し、FL280 で飛行を続けることにした。
揺れるため、速度をだすことができず、しかも向かい風が時速180kmほど吹いており、
コンピューターが計算した関空到着時刻は 21:00 丁度。
タイムテーブルの時刻の15分遅れ。
関空のアプローチは時間のかかるタイプで、着陸後の地上滑走も入れるとさらに10分ほど遅れることが予想できる。
最低でも20分遅れることになる計算だ。

函館を過ぎてしばらくすると、除々に揺れおさまってきた。
すかさず30kt(55km/hr)ほど加速する。
さらに佐渡に近づくにつれ向かい風が減ってくる。
100kt → 60kt 約マイナス 70km/hr。
これで10分遅れまで縮まった。

富山の北を過ぎると、FL280 は再び揺れ出した。
確か天気図上でも弱い前線があったような気がしたので FL260 まで降下。
気流スムース。
向かい風が若干減り、さらに速度は増す。

関空へは、鳥取−岡山−高松−淡路を回っての飛行経路が計画されているが、
夜間で周辺を飛行する飛行機が少なく、鳥取近辺からほぼ関空へまっすぐ飛行することが許可された。
さらにアプローチは ILS からビジュアルになった。(より時間のかからないタイプへの変更)
当初 21:00 過ぎの着陸をコンピューターは予想していたが、結局 20:33 に着陸した。
ところが、早すぎたせいもあるのだが、我々が入るはずだった駐機所から○○社の飛行機が Push Back 中。
しかも立ち往生している。 どうやら Push Back 中に機材故障が発生したらしい。
しばらく待った後、カンパニーで新しいスポット(駐機所)をもらい、到着したのは 20:43。
ほとんど定刻になってしまった。

成り行きで突然 「幸せってなにかなぁ?」 とキャプテンが話しだした。
最近、私もよく同じ事を考えていたため、おかしくて思わず笑ってしまった。
今まで感謝していたこと、大切だったことも、時間が経つとマンネリ化し、当たり前のことに思えてくる。
私は初心をすぐ忘れてしまう。
しかも、上ばかり見えてしまい、幸せなはずなのに、なにか空虚さを感じてしまう。
「幸せってなに?」
自分は幸せなのだろうか?と考えるひまがないこと?
毎日の生活の中にある、小さな喜びを素直に感謝できる気持ちを持ち続けること?



2000.10.13

休日の午後、ヨット・ハーバーへ行った。
ケーキ屋でシュークリームを2つ買い、水筒にアイスコーヒーをつめ(ネスカフェ・エクセラ)バイクで出発。
デザインが好きで、スズキの750cc、紺のイントルーダーにかなり前から乗っている。
日の照ってるところは熱いぐらいだが、日陰を走ると肌寒い。
秋なのだなァ、と実感する。

芝生に寝転びながらシュークリームを頬張っていると、気持ちよくなって、そのまま・・・・・・。
パフィーの新曲が頭の中で何度も何度も流れ、何か難しいことを考えている自分がいる。
ふと気が付くと妻と目が合った。
気持ちよさそうに寝てたね。」(妻)
「寝てないよ。 考え事してた。」
寝てたよ。 だって、いびきかいてたもん。」(妻)
よく実家の親父が寝てたのに 「寝てない、寝てない」 と言い張るのをバカにしたものだが、
やっぱり私も寝ていたのである。
何故なら、考え事をしていたのに、何について考えていたのかわからないから。

時計を見ると、すでに2時間がすぎていた。
芝生の上でピクニックをする予定だったが、寝ただけで帰ってきた。
とにかく、とても温かく、気持ちよい昼寝だった。



2000.10 .14

起床 0510  Pick 0600 関空へ移動
Show Up 0710  221便 関空−松山 0810−0900
           237便 松山−千歳 0930−1135
           497便 千歳−稚内 1205−1255
           496便 稚内−千歳 1325−1415
   計画   ANA 62便(DH=便乗) 千歳−羽田 1530−1700  勤務終了 1700
   実際   ANA 64便(DH=便乗) 千歳−羽田 1630−1800  勤務終了 1800

221便 は Engine Start 後、コンピューターにちょっとしたメッセージが出たため、
それを消す操作をするために時間を要した。
離陸までに地上に20分いたため、約10分遅れの出発となった。

滑走路に入り、滑走を始めた。
約80kt、140km/h まで加速した時、ハトのような鳥の群れが、滑走路上を右から左へ横切っていく。
鳥が通り過ぎるころに、その地点を飛行機は通過できると判断し、離陸を継続。
もし、右から左へ通過後、鳥が飛行機の音に驚き、Uターンしてくれば、
間違いなく飛行機に鳥はぶつかるだろう。 エンジンに吸い込んだら大変だ。
飛んでいく鳥の動きに注目しながら接近していった。
幸い、鳥達はそまま通り過ぎていった。

松山に着く前にカンパニーから無線が入った。
乗務員はシップ・チェンジ。 機材故障のため伊丹からのフェリーに乗り換え。
アイター。何があったんだろう・・・ 松山には5分遅れで得到着した。

朝一に松山を出発する222便の使用機材が壊れてしまったのだ。
222便は国際便乗り継ぎの乗客で満席。 かなりの人がすでに乗り継ぎに間に合わなかったが、
222便のクルーは我々の飛行機に乗り、関西空港へ出発。
222便は通常 08:05 発だが、1時間遅れの 09:05 に出発、KIX には45分送遅れ 09:40 に到着した。
私達は飛行機を取られてしまい、松山で待機することになった。

私達はというと、伊丹からフェリーで(空で)飛ばしてくる飛行機に乗ることになった。
通常スタンバイの乗員は 10:30 に出社するが、10:00 にフェリー便が離陸したのを考えれば、
恐らく8時頃には自宅に電話があり、すぐに来るように呼び出されたのであろう。
そしてフェリー便は 10:37 に到着した。

私達は、すぐに飛行機に乗り込み、出発準備にとりかかった。
フェリーで飛行機を運んできた乗員は、そのままDHで(便乗で)伊丹へ戻っていく。 うらやましい。
CA が山のような新聞をホチキスで止めていく。
それを私は折りたたんで並べていくのを手伝った。
コックピットの用意をし、機長と自分の飲み物も用意する。
CA は彼女達の仕事にバタバタ追われている。
237便は、1時間35分遅れで就航した。

追い風が 200km/h 近く吹いており、千歳に 12:56 に到着。
この時点で1時間20分遅れ。
497便は乗客が少なく、237便の到着後25分で出発できるとふんでいたが、
1人の乗客がどこかに行ってしまっていて、待つことになり、13:27 に Push Back。
到着から出発まで30分以上かかってしまい、この間では遅れた時間を短縮できなかった。
何の為に急いで昼の弁当を5分でかきこんだのか?
どうせ時間があったのなら、もっとゆっくり食べたかった。

222便に飛行機をとられたが、彼らの勤務はこの日
松山−222−関空−701−高知−301−千歳−302−高知 だった。
我々が 497便で離陸前に滑走路に入る頃、丁度 301便が着陸した。
ご苦労様。

稚内に 14:12 に到着。
この時点で1時間17分遅れ。
496便の出発まで 497便到着後、19分!という驚異的なスピードで清掃から、全ての出発準備を終わらせ、
乗客も搭乗し、13:31 に稚内を出発。
千歳へのアプローチの順番は、めずらしく一番。
15:18 に Ramp-in した。
これで約1時間遅れ。
237便の出発時の1時間35分の遅れを、35分ほど縮めることができた。
満足、満足。

私達が後片付けをし、飛行機から降りる頃、乗員が乗るはずだった ANA 62便と
CA が乗るはずだった 238便が Push Back を始めていた。
CA は、千歳−松山の便乗で松山ステイのはずだったが、
この日千歳ステイの予定だった CA 4名が、代わりに松山へ行き、
私達と一緒だった CA のうち3人は千歳ステイ、1人は東京ステイになり東京へ 64便で便乗。
千歳ステイの3人は、仕事をあがる時間が早まり喜んでいたが、羽田へ行くことになった1人は・・・・。

私達も ANA 64便で東京へ向かった。

朝、5:10 に起き、家を 6:00 に出て、羽田到着は 18:00。
実家に着いたのは 19:00。
勤務時間は10時間50分だった。 明日は起床 5:55・・・・・・。



2000.10.15

羽田−中標津を往復してから、羽田−大館能代を往復するパターン。
今日はとくに何のハプニングもなかった。
眠気はないのだが、眼球が疲れていて、目がチクチクし、開けているのがつらかった。
サングラスの下で、ずっと目を細めていた。
ものすごく疲れが残っている。 頭の奥がズーンと重い。
昨日の10時間50分の勤務のせいだろうか?
会社は、1日の労働時間が計画の段階で11時間、で勤務協定を結ぼうとしている。
昨日のようにイレギュラーが発生し、仮に11時間を超えた時のことを考えるとゾッとする。
1日中、トイレに行きたがったが、時間がなく、ずっと我慢していた。
FL370、350、330、310、トータルで13万6千フィートだった。(2000.09.22 10万フィートについて)



2000.10.16

今日の勤務は  0635 Show Up  575便 羽田−石見 0735−0905
                     576便 石見−羽田 0935−1100
                     577便 羽田−石見 1305−1435
                     180便 石見−大阪 1505−1600  1630に終了

睡眠時間は短かったが、今日は朝からまあまあ元気だった。

576便で帰ってきたとき、風は 050°/ 13kt。
終日北東風が吹いており、滑走路は 34L・R かと思われたが、なぜか 16L・R を使っていた。
飛行機は、通常向かい風に向かって離着陸する。
しかし、この時、追い風9〜10kt。
普通では考えられない追い風での離着陸。

飛行機を降りてディスパッチへ向かった。
そこで話を聞いて納得。
羽田は北東風が吹いているとき 34L を使うが、滑走路の接地点の右手に位置するハンガー
(飛行機をしまっておく大きな建物)にあたった風が乱気流となり、着陸寸前で飛行機を落とすような作用をもたらす。
その作用が強かったために、あえて影響の少ない 16L へ追い風で着陸していたのだ。

577便の出発前、今度は離陸滑走路 04。
これは非常にめずらしい。
規定では、04 に対する風が 20kt を越えたときのみ 04 からの離陸が認められている。
私は今まで一度も 04 から離陸したことがないし、乗員室にいたパイロット全員、04 から離陸した人はいなかった。
ディスパッチ・ルームから 04 から離陸していくトリプルとDC−10が見えた。
自分も上がれると思うと、ちょっとワクワク。

飛行機に到着し、離陸前の準備をしながら、羽田の ATIS(気象情報)をとった。
「・・・・・VOR C Approach. Landing Runway 16L. Departure Runway 16R.・・・・・」
Oh,NO!!
離陸滑走路が 16R に変わってしまった!!
残念。
やはり 04 からの離陸は無理か・・・・・

今日は、とても良い天気だった。
不思議なのは、天気が良くても、気流の良い日と悪い日があること。
今日は気流の悪い日。
中間高度、FL230 〜 FL290 くらいまで、ジェット気流の影響で揺れた。
しかし、雲ひとつ無い。
これを CAT、Clear Air Turbulence と呼ぶ。
Air(空気)は Clear(雲が無い)だが、揺れるのだ。
揺れる空域を上昇中と降下中だけ我慢し、巡航中はとても良い眺めを楽しんだ。

石見へ向かって降下中、先日の地震で一時的に閉鎖となった美保空港(米子)の上空 24,000ft から、
石見より先の山口県の北西端の海岸、北長門海岸国定公園まで見えていた。
普段はスモッグのようなもやのせいで、米子と石見の中間程度までしか見えないのに。
信じられないほどの視程に感激!!

ちなみに、この日乗っていた飛行機は、14日の朝、松山で壊れた飛行機だった。



2000.10.17

今日は休みなので、天王寺動物園に行く予定だった。
朝、目を覚ますと体調が悪い。
起き上がるとフラフラする。
なんてことないだろう、と思いつつも、体温を計ってみると、37.6℃。
しばらくするとどんどん気分が悪くなり、頭痛も始まった。
最終的には38.6℃まで上がった。

鼻水、鼻詰まり、せき、のどの痛み等、風邪の症状は全くない。
以前、同じようなことが一度だけあった。 ハネムーンでハワイへ行ったときのこと。
時差ぼけでほとんど寝ずに、毎日夜遅くまで遊んでいた。
4日目の午前中に熱で倒れ、次の日の朝、体調は元に戻っていた。
あれはきっと疲労からきた熱だったに違いない。

今回もよく似た症状。
一昨日、目と頭の調子が悪かったのも、そのせいだろうか?
体力をつけようと、昼、少しだけご飯を食べたが、戻してしまった。
夕食はかなりの量のすうどんとりんごを食べることができた。
明日はきっと回復していることだろう。



2000.10.18

朝、起きると体調はまずまず。
36.5℃。
ジムへウエイト・トレーニングに行きたかったが、妻に絶対安静にしておくよう言われてしまった。
昨日から、なぜか水銀体温計のことを考えていた。
最近はデジタルのものばかり。
一人暮らしを始めた独身時代、薬局へ行き水銀体温計を探したが、見つからなかった。
小学生のころ、熱を出したとき、家で静かにしているのがイヤで、
脇の下に隙間を開けて計り、少しでも体温が低くなるようにした記憶がある。
妻にそれを話すと、彼女は反対に脇の下で挟んで、体温計を擦りつけ、摩擦で体温を高く表示させたらしい。
学校を休みたい一心で。
微調整が難しく、高くなりすぎてよく失敗したらしい・・・・・。

私は、ほとんど風邪をひかない。
最後に風邪、インフルエンザ等で熱が出たのは、10年以上前だと思う。
体力には自身があるだけに、今回の熱にはちょっと落ち込んだ。

某航空会社のパイロットは、定年後10年以内、つまり70才までに死亡する確率が70%と聞く。
そして、現在定年間際の乗員と、若い世代とでは、
規制緩和による航空運賃値下げとコスト削減で、稼働率=トータルのフライト・タイムが全然違う。
私達が定年した後、自分は何歳まで生きることができるのか、心配だ。

先日、テレビ番組を見ていて不安になった。
人間が普通に生活していて、1年間に浴びる放射線の量を、仮に1とすると、胸部レントゲン写真は0.3。
つまり、レントゲンを3回以上浴びると、1年間分の放射線を浴びたことになる計算だ。
そして、日本−ヨーロッパ 路線を1回飛ぶと、0.07!
(片道か往復かは忘れたが、せめて往復であって欲しい)
つまり、日本−ヨーロッパ 15回で1年分の放射線を浴びることになる。
うちの会社は国内便だけだが、飛行高度と飛行時間を考えれば、その何倍も飛んでいる計算になる。

放射線だけでなく、紫外線も浴びる。
空気は乾燥しきっており、酸素濃度も低く、脳が慢性的な低酸素症になっている可能性がある。
1日に何回も離着陸をし、そのたびに上昇降下を繰り返すのだが、
気圧の高いところと低いところを、急激に行ったり来たりするため疲労が蓄積していく。
(このため、1日のトータルの高度制限 10万フィート という考え方がある)

できれば定年までがんばって働いて、定年後は健康で楽しく暮らしたい、そう願う。



2000.10.20

大阪−高知 2往復のパターン。
低気圧が四国の南岸を東進しており、近畿から四国にかけて雲に覆われていた。
最初は FL160、帰り FL150。
次の高知行きはレポートでは FL160 スムースだった。
FL160 まで上昇したが、まだ揺れていたため 12,000ft まで降下。
でも揺れは止まらない。
最後の便では 11,000ft でトライ。
これもまた揺れた。
上昇中、降下中も含め、どこもかしこも揺れっぱなし。
かわいそうに、CA は4便とも着席のまま。
立たせてあげることができなかった。
CA はみな仕事熱心。
なんとか揺れないところ探してベルトサイン消して!
頼まれているものの、今日はちょっと無理でした。
ゴメンネ。
きっとお客さんもつまらなかったことでしょう。
気分の悪くなった人もいたかもしれない・・・・
みなさん、ゴメンナサイでした。

伊丹にアプローチする際、生駒の上空を通常 3,500ft(1,100m)で通過する。
滑走路 32 使用時、生駒の上空で追い風が20ktを超えることはあまりないのだが、
今日はとても南西風が強く、MAX 42kt も吹いていた。
飛行機そのものの速度はいつもと同じだが、地面を見てると追い風にのっているので、速い速い。
最後の便は No.1 のアプローチで、しかも追い風だったので、気分が良かった。



2000.10.21

昨日の天気はウソのようだった。
大阪−高知を2往復半のパターン。
何事もない穏やかな一日になる予定だったが・・・・・。 キャプテンが、私に機長業務の経験をさせてくれる、というのだ。
もちろん私も以前からトライしてみたかったので、
これは良い機会だと安易に考えていた。
通常、副操縦士が右席で操縦するときは、
機長に代わって操縦のみを担当する。
機長業務経験では、
天気を見て飛行計画そのものを決定したり、
それに伴なう燃料計画のプラニング、航空情報、
搭乗旅客や貨物に関する情報の収集、
整備士から飛行機の整備状況の報告を受け、機体を受領、等々、
エアラインとして飛行機を運航するために必要な、
全ての事項について決定しなければならない。

機長が毎日なにげなくやっていることだ。
ディスパッチャーや整備士と協議している様子を私も何度も見ている。
しかし自分でやってみると、さっぱりできない。
確認しなければいけない内容、業務の内容は把握していても、
どういう言葉遣いで自分の考えを説明したり、相手と協議すればいいのか分からず、どもってしまう。

機長が出発前に確認しなければならない事項が航空法で定められているのだが、
そのなかで「燃料の搭載量及びその品質」というのがある。
搭載燃料の量は、天気が分かった時点で決定できるのだが、
私はそれに気がつかず、先に搭乗旅客と貨物の情報の確認をしてしまう。
どういう順番に業務を進めていけば、もっとも効率的なのか分からないのだ。
ディスパッチで燃料量を決定しても、それは書面上の話であり、
実際には飛行機に行って、燃料を計画通り搭載した旨の連絡を整備士から受け、
さらに計器で燃料の搭載量を確認する。 では、品質は誰がいつ確認してるの?
それは整備規程に定められている。

機長は、燃料以外の全ての事項について、ディスパッチャー、整備士、副操縦士と協議して決定していく。
この当たり前の作業が、どれだけ頭を使い、大変なのかが、よく分かった。
機長は副操縦士に、「飛行機へは出発時刻の○○分前に行くよ」と声をかけてくれる。
それは副操縦士がトイレに行ったり、タバコを吸う時間を自分で管理できるようにするためなのだそうだ。
満席と乗客半分とでは、清掃にかかる時間が違う。
飛行場によっても清掃にかかる時間が違う。
例えば高知はあっという間に終わるが、○○空港は遅い、とか。
また、飛行場により乗客を飛行機へ案内する時刻が違う。
出発時刻の10分前だったり、15分前だったり。
羽田のように飛行機まで行くのに時間のかかる飛行場もあれば、目の前に飛行機が止まってる飛行場もある。
だから、「何分前に行く」と決めること一つをとっても、沢山のことを考えなければならない。
副操縦士であれば、何も考えず、言われた時刻に機長のそばに居ればそれで良いのだ。

例えば、こんな事もあり得るだろう。
私が操縦していて、巡航中に揺れたとする。
通常の運航では、「高度、上げようかと思うんですが、どうでしょうか?」 と機長に聞く。
機長業務経験では、何を聞いても機長は答えてくれない。
「あなたが機長です。 自分で決めてください。」 というわけだが、心細い。
高度を変えてみたところ、さらに揺れが大きくなったらどうしよう。
そして揺れが大きくなってしまったとする。
「シート・ベルト・サインをつけた方がよろしいでしょうか?」
当然、答えてくれない。
そして、ベルト・サインをつけたとする。
ピンポ−ン。
「お客さまで、お手洗いを使用したい方がいらっしゃるのですが」 と CA から連絡が入る。
思わず、キャプテンの方を見てしまうが、無視。 ヒエーーン。 どーしよー!!
「じゃあ、注意して行かせてあげて下さい。 お手洗いの使用が終わったらまた連絡してください。」
ドキドキ。
この先、急に大きく揺れたらどうしよう。
クソー、もっと天気の勉強しとくんだった。
あれ、もうそろそろ着陸の準備しなくてはいけないのでは・・・・?
しまった、高度降ろさなきゃ。 まずいな、また揺れがきつくなってきたな。
そーいえばトイレに行ったお客さん長いなァ。
ひょっとして、”大” かな?
それともはいてるのかな?
「ANK Air○○, increase rate of descent. Increase speed ○○kt.」(管制官)
もっと早く降りろ?
速度上げろ?
後ろの飛行機がつまってるのか、なんてことだ。
もっと揺れるじゃないか。
お願い、お客さん、早くトイレ出て!
あーーん、まだ、着陸の準備なんにもできてないよー!!
機長業務経験でなければ、「じゃあ、こっちで準備しとくから、操縦に専念してて。」 の一声があるはずなのに・・・・

今日は天気が非常に良く、飛行中は何もなかったが、
以前私がまだ副操縦士になりたててで、自分の業務がろくすっぽできず、
しかも機長の足を引っ張り、機長に頼まれた仕事も勘違いして違うことをしてしまったり、そんなこともあった。
吹雪の中、ゴーアラウンドして、ホールディング、その後ダイバート等、忙しい時に大変な迷惑をかけた。
でも機長は決してあせることなく、平然と仕事をこなしていく。
すごい人達だ。

羽田−八丈など、島へ就航する便は風による欠航が多い。
予報の風がメチャククチャに揺れ、着陸できないことが分かっているとき、欠航の決定をするのはキャプテンだ。
事務所のそとの通路の窓から、カウンターの様子が見えるのだが、
欠航を決定した後、乗客がカウンターで払い戻しを受ける姿を見ると、心が痛む、という。
そして、仮に就航していたとして、その到着時刻になって、風が変わり、着陸できる状況になることがあるのだが、
そんな時、会社の人達から、
「何で欠航にしたんだ。 行ってれば降りれたのに。 自分勝手なやつだ。」 と
思われているようで、無言の重圧を受ける。
そして乗客にも申し訳ない。
しかし、風が変わって降りれるかもしれないと判断し、就航を決定したが、風は出発前の予報と変わらず、
行きの巡航でガタ揺れ、進入を開始しメチャ揺れが続き、ゴーアラウンド、ホールディング中も揺れが続く。
その後4回着陸を試みるが、操縦不能なほど揺れるため、どうしても着陸できない。
あきらめて羽田へ帰るが、その間もずっと揺れっぱなし。
3時間以上ガタガタに揺れつづけ、ほとんど全ての乗客がはいてしまったことがあるそうだ。
「揺れるのが分かってて、着陸できないのが分かってて、なぜ欠航にしなかったんだ。」 という重圧がかかる。
どんなに心が乱れても、機長の表情は変わらない。

機長の肩にのしかかる「責任」の重さに、改めて気が付いたような気がする一日だった。



2000.10.22

今日も1便だけ、機長業務経験を行った。
昨日の夜と、今朝、作戦を立ててみた。
業務の順番に合わせて、
起こりうるハプニング等も考慮に入れつつ、
自分が話す台本を、
いつも持ち歩いているパソコンに打ち込みながら
作ってみた。
外に散歩に行き、歩きながら作った台本を
思い出しつつ、ブツブツつぶやきながら、
フライトの全てのフェーズをリハーサルした。

実際にディスパッチャーと向き合って話をすると、
なかなか台本通りに事は運ばず、
確認すべき事項が1つ、2つ抜けてしまったが、テンポ良く、
冷や汗をかかずにできたので、慣れてないにしては、まずまずと、
今回は自分に甘い評価をすることにした。



2000.10.24

今日のキャプテンは31才のアンラッキー・ガイ。
審査フライトの時、飛行機が壊れ、別の飛行機に乗り換えて、
しかも目的地も変更してのフライトをする羽目になって以来ついてない。
ある時は、天気が悪く、ダイバート。
ある時は、別の飛行機が壊れたために彼のフライトが変更され、勤務がきつくなった。
彼が飛ぶ時は、小さな飛行機のトラブルは、当たり前のように発生。 天気が最悪なのは、日常茶飯事。
そして、つい先日、別の飛行機が壊れたために、
5 Landing(1日に5回、離着陸をすること)の予定が 6 Landing になってしまった。
そして、最近仕事がきついせいで、若いのに血尿だという・・・・

ついてない人は、運の悪いことが連発する。
飛行機が壊れてばかりの人。 毎回のように天気が悪い人。
そんな人達は、よく 「おはらい」 に行く。 これがけっこう効くらしい。
運の悪い人と乗ると、つきの悪さが自分にも移ってしまうこともある。
信じられないことだが、本当の話である。

めずらしく今日は何もない一日だった。
 「飛行機って、そんなにしょっちゅう壊れるものなんですか?」 という質問を受けました。
 大きな故障のことではありませんので、どうぞご心配なく。
 例えば、エンジンをかけると電源が切り替わるのですが、
 その時コンピューターがバグったような状態になり、変なメッセージを出すときがあります。
 このメッセージ、故障ではないのですが、消せないと出発できないやっかいなものです。
 消せないがために10〜15分も出発が遅れてしまうこともあります。
 そんな時、不幸にも「あー。 壊したー。」と言われてしまうのです。
 これが度重なると、飛行機をよく壊す人、というレッテルが貼られてしまいます・・・・




2000.10.25

関空−女満別
北海道に近づくにつれ日が沈み、丁度コックピットの窓ガラスの右手は青く暗くなり、
左手はまだ明るい。<BR>そのコントラストがとてもきれいだった。
そして完全に暗くなると、雲の切れ目から女満別の町の光と滑走路が見えてきた。

女満別−関空
20,000ft を超えると、女満別−千歳−函館 を結ぶラインの正面から、
天の川が頭上に向かって伸びていた。
函館の西の海上にイカ釣り漁船の明かり。
日本海側は FL240 まで雲におおわれ、地上の光を遮っているせいだろうか、
空がいつもより暗く、沢山の星が輝いていた。<BR>流れ星を2つ見つけた。
能登半島沖にもイカ釣り漁船の明かりが見えた。
雲の隙間から、町の光が漏れていた。



2000.10.27

昨日は天王寺動物園にバイクで行った帰り、交差点でいきなり後輪がパンク。
交通の便の悪い所だったため、結局タクシーを使う羽目になった・・・・

今日の勤務はスタンバイの予定だった。
10時半に出社すればよかったので、昨日はめずらしく12時頃までビデオを見ながら宅配ピザを食べていた。
朝5時半にいったん目を覚まし、トイレへ行ってからまた寝た。
遠くでかすかに電話の鳴る音がしている。
電話は1階にあり、私は2階の寝室のドアを閉めて寝ていた。
まだ暗いのに、誰だよー。
ほっとこ・・・・・
待てよ、今何時だ?
6時38分か。
もしかして誰か病気でスタンバイ稼動かな?
留守電にメッセージ入れてたみたいだな・・・
アーア。
仕方ない。
とりあえず留守電聞くとするか。
もしもし、401便の Show Up 時刻、6時30分を過ぎましたが、まだ来てないので電話しました。
エッ、何のこと???!!
俺、もしかしてスケジュール見間違えてたの?? Oh, F_ _ K ME !!
なんてことしてしまったんだ!!
どれどれ、今日のスケジュールはと・・・・・
なんだ、やっぱりスタンバイじゃん。
もー、○○さんたら、おっちょこちょいなんだから。
電話しといてあーげよっと。
「僕、今日の勤務はスタンバイですよ。 401じゃないですよ。」
エッ、スタンバイって勤務表に書いてあるの?! ウソだろー!
 それ、勤務表間違ってるわ。 401だよ!

6時40分に電話を切り、ヒゲを剃る暇も、トイレに行く時間も無く、6時50分に家を出た。
妻に車で伊丹空港に送ってもらい、飛行場到着7時5分。
そこから Spot 8 まで、重いフライトバッグを持って走った。
Gate 到着は7時10分。
お客さんの案内は7時17分から。
間に合ってよかった。

妻が飛行場まで送ってくれたことを知ったスタッフは、「奥さんに」、とプリンのお土産を買ってくれた。
妻はニンマリしていた。



2000.10.29

飛行機には無線が2つある。
1つは管制用(ATC)、もう1つは「カンパニー」である。
「カンパニー」は飛行場の天気、航空路の揺れ、お客さんの情報等、
エアラインの運航に必要な全ての情報をやりとりする、とても大切な無線である。
悪天情報等、とても大切な内容は、沢山飛行機が飛んでいる会社ほど、詳しく得ることができる。
そしてカンパニーの周波数は会社によって違うので、他社から情報を得ることはほとんどない。

837便で羽田から離陸し上昇中、Air DO が羽田へ向け、降下してきたが、
ATC に降下中の揺れの情報を聞いていた。
外国ではタービュレントの情報をパイロットは管制官(ATC)に通報するらしい。
日本ではカンパニーでしてしまうので、外国のエアラインは国際便で日本に来るとき困っているのではないか?
丁度アリタリアが成田に向け降下していた。
私は羽田から北方面への上昇中の揺れのレポートを ATC に入れた。
しかし、管制官はその時よく分からなかったようだった。
ATC も日本のエアラインが普段あまり通報してこない、
予期しないことを早口で英語で言われても、理解しにくいのであろう。
5分ほど飛行後、ATC の周波数が変わり、別の管制官に、さっき何をレポートしたのか日本語で聞かれた。
これからは、カンパニーだけではなく、ATC にも揺れ等のレポートを頻繁に入れてみようと思った。

しばらくすると、自動操縦(オートパイロット)がはずれた。
キャプテンと思わず、お互いに何かしたのではないかと、顔を見合わせたが、どちらも何もしていない。
キャプテンの側のフライトをモニターしているコンピューターが壊れたのだった。
もう1つのオートパイロットを使い、何事もなかったかのように飛行を継続。
中標津に着陸5分前に、今度は客室の気圧を自動でコントロ−ルするシステムが壊れた。
とくに問題はない。
マニュアルに切り替え着陸した。
着陸後、全てが何もしていないのに元に戻っていた。 つまり正常作動しているのだ。
コンピューターは何かの拍子にエラーのメッセージを出し、「壊れた」と誤認識してしまうことがよくある。
そして着陸後に元に戻る。
困ったものだ。

838便で羽田に向けて飛行中、Ship Change とカンパニーに言われた。
我々は終日同じ飛行機のはずだったが、577便に取られてしまうこととなった。
きっと、577 の使用機材が壊れたのだろう。
我々が使う飛行機は 14:05 に到着予定だという。
14:05 は我々が大館能代に向けて出発時刻である。
ということは、出発は30〜35分近く遅れることになる・・・・

ディスパッチに行くと状況を説明してくれた。
親会社のB767が壊れ、A320にタイプチェンジをするため、577便の飛行機を使い、
我々の飛行機を 577 に回したのだった。
親会社は、余ったA320が羽田になかったので、新潟から帰ってきた 14:05 到着の飛行機を我々にくれたのだった。
飛行機繰りを手配して下さったみなさん、大変ですね。
お疲れ様です。

大館能代からの帰り、少しでも時間を取り戻そうと努力したが、気流が悪く揺れからスピードは出せないし、
ジェット気流に向かい風で押し戻され、全然時間短縮ができなかった。
そして次の便の出発に迷惑をかけてしまった。
努力はしましたが、ダメでした。
ごめんなさい。
羽田に着陸し、着陸滑走中、ピーンという音とともにエラーメッセージが出た。
またコンピューターの故障か・・・・ と思いきや、1秒程で、エラーメッセージは消えた。
恐らくまたエラーの誤認識。

大変な1日だった。



2000.10.30

今日も上空は昨日と同様、ジェット気流が吹きまくっていた。
どこの高度もコトコト程度の揺れはあったようだった。
向かい風が時速200〜300km程度吹いており、西行きはなかなか目的地に着けない。
それでも、昨日に比べ、午後には雲が減り、気流は悪いがよい天気の中の飛行で、気分は晴れていた。