2000.11.02

今朝6時に起きると雲の隙間から青空が見えていた。
台風が弱まってできた低気圧は通過したのだろうか?
今日は、良い天気かも・・・・

出勤するとバタバタしている。
会社に着くころ段々雨が強くなってきた。
え、702と405がダイバート?
高知に降りれずに伊丹へ来るって?
なんだよ、今日は3回も高知に行かなきゃならないのに。
伊丹の天気は悪くなってきてるし、
毎回、松山かどっかにダイバートしたらお客さん怒こっちゃうぞ。
参ったな・・・・・
えーと、今日のキャプテンは誰だ?
○○さんか。
あの人は晴れ男だし、ま、大丈夫か・・・・

デェスパッチへ行き天気図をチェックすると、高知の天気は回復していたが、伊丹空港の雨脚は強まっていた。
私は飛行機に乗り込みコックピット内の準備を始めた。
キャプテンが外部点検から戻ってきた。 かわいそうにずぶ濡れだ。
池にはまって、そのまま上陸してきたように濡れていた。
高そうな革靴と靴下も水溜りにどっぷり浸かってしまったようだった。

徐々に風が強くなり、飛行機が揺れ出した。
それとともに雨がさらに強くなり、横殴りになってきた。
しばらくすると稲妻が聞こえてきて、更に今まで見えていた近くの滑走路が見えなくなっていた。
あーあ、こりゃダメだ。 そう思うと同時にカンパニーで無線が入った。
「TS−3が発令されました。」
 これで完全に出発できなくなってしまった。

雷をともなった大雨(=雷雨)がひどくなり、落雷の恐れがでてくると、「TS−3」が発令される。
「TS−3」になると、地上係員が屋外で作業をすることが禁止される。
飛行機はエンジンをかけるときや、地上滑走を始める際、また貨物や燃料を搭載する際、地上係員が必要だ。
彼らが外に出れないために、出発機はエンジンを回すことができない。
また、到着機は駐機所に止めることができないので、飛行機はエンジンを回したまま飛行場内のどこかで待機し、
乗客は降りることができない。

結局、上空の強いエコーを伴なった積乱雲が通過し、TS−3が解除されるまで、20分ほど待つことになった。
その時 CA に聞いたのだが、11月1日にやわらちゃん(柔道のゴールドメダリスト)が
高知から伊丹まで418便に搭乗したらしい。
もちろんサインももらったという。
いやー、私も会って是非投げ飛ばされてみたかった・・・・・・

TS−3が解除されると、上空で着陸を待っていた飛行機と、離陸を待っていた飛行機で混雑する。
我々もエンジンをかけてから離陸するまで、けっこう待たされてしまった。
ようやく伊丹を離陸し、神戸市の上空近辺まで西へ進むと、13,000ft を通過しながらスポッと雲の上に出た。
そこには青空が広がっていた。
飛んでいてたまらなく気持ちいいのがこの瞬間。
丁度、高知−関空−伊丹を結ぶラインより東には、発達した雲が連なっており、
そのラインの西には雲がほとんどない。
そのラインを境に、全く性格の違う気団、2種類の空気の固まりが、ぶつかりあっているのが見て取れる。
自然ってすごいなァ、とつくづく思ってしまうのだ。

その後、高知と伊丹の天気は回復した。
しかし、一時的に発生した遅れは、ずっと後の便にまでひびいてくる。
702便がダイバートしたおかけで、その飛行機を使って就航する 高知 ⇒ 千歳 が遅れ、
さらに千歳⇒高知が1時間遅れてしまった。
こうして 「使用機材到着遅れによる遅延」 が発生する。



2000.11.03

高知の遅パタ。
勤務まで時間があり、いつもの散歩コースへ行った。
昨日の大雨が過ぎ、今日は曇り。
ダムが放流していたせいか、水量が増え、水が濁っていた。
大きなヒキガエルが流され、岸に上がろうとしていたが、コンクリートの壁が邪魔になり、陸に上がれない。
溺れかけており、助けてやろうと手を出すと、逃げようとして水面下に潜ってしまう。
何度か試して諦めることにした。

いつもよりかなり沢山のカモが泳いでいた。
その中には、かなりの数の子供もいたようだ。
いつも歩いている土手は水面から高さが1m以上はあると思うが、
土手に生えている木には流された枯れた草がからまっていた。
きっと、昨日は相当の濁流だったに違いない。

雨が降った後は、土手のコンクリートが湿っており、どこからともなくカニが出てくる。
足を入れると体長15cmはありそうな大きなカニだ。
もちろん小さいものもいる。

昨夜、テレビ番組「どっちの料理ショー」で、コロッケ VS メンチカツ をやっていた。
私はメンチカツが食べたかったが、コロッケが勝ってしまった。
残念・・・・
ふと見ると、川岸に何かが丸い形のものが落ちている。
あ、コロッケだ!
イヤ、メンチカツかな?
なんで1つだけ落ちてるんだ?
イヤ、待てよ、ひょっとするとタワシかな?
そうだよ、タワシに決まってる。
こんなところに1つコロッケが落ちてるはずがない。
でも、あれはやっぱりコロッケだよな。
なんとなく割れて具が見えてるし。
土手が高くて、降りて確認することができなかったのが、ちょっと悔しい。
(注 : 拾って食べようと思ったわけではないのだ)

折り返しホテルへ向けての帰り道、少年が大きなダンボールを持って歩いていた。
とても重そうだった。
よく見ると、それはパソコンだった。
近くには電気屋もないし、トボトボ歩いてるその姿は、家が近くのようにも見えなかった。
おせっかいかとも思ったが、とりあえず声を掛けて、助けてあげることにした。
彼はかなり驚いたようだった。
ダンボール1つだけなら、持って歩いて家まで帰れると思ったようだった。
私は肩にかつぎ、バス停まで送ってあげることにした。
中学校3年生で、「化学部」に以前所属していたが、今は受験で辞めたらしい。
途中、交番でボールペンを借り、ダンボール箱に私のHPアドレスを書いておいた。
いつか、彼が私のホームページを見て、メールをくれたらなァ、と思う。
結局、バス停まで15分ほど歩くことになった。
結構な距離で、彼一人ではつらかったろう。
親切のつもりで手伝ってあげることにして良かったと思うが、彼にとって迷惑でなかったらいいのだが・・・・
そう思う。



2000.11.05

伊丹−高知2往復。
移動性高気圧が太平洋に抜け、西から次の移動性高気圧が東進してきていた。
朝、関西はその間の低圧部に位置していたためか、曇天だった。
大阪を離陸し、6000ft を過ぎると雲の上に出た。
すっごくいい天気!!
5時に起き、まだ若干眠く、朝日がとてもまぶしい。
この瞬間眠気が吹っ飛ぶ。

大阪と高知を結ぶラインの西は、移動性高気圧の接近にともない上空は晴天が広がっている。
東は揺れそうな雲が連なっていた。

高知へ向けて降下していくと、10,000ft で雲に突入。
次第にコックピットの外がどんよりしてくる。
雲に入ってもそれほど揺れなかったのは幸いだ。
6000ft 以下で雲の下に出た。
朝だというのに、夕方のようなイメージの景色が広がっていた。
気流はとてもスムースで全く揺れないアプローチだった。

大阪−高知はビジネス路線。
3連休の最終日で、とても乗客が少なかった。
いつもなら8割以上、席が埋まるのに、今日は最初の3便は 1/4 〜 1/3 以下。
路線が短いので、いつもはバタバタするが、今日はゆっくりできた1日だった。

高知への進入は、山脈を越えてから一気に降下するため、いつも高目になる。
スピードブレーキを引っ張って、いつも降下率を上げるのだが、
今日は比較的スピード・ブレーキを使わなくても済んだ。
飛行機の重量が軽かったからである。
では、なぜ飛行機が軽いと、高度を下ろすのが楽なのだろうか?

パワーアイドルにして、一定の速度で降下する際、機体の頭を下げてスピードを一定に保ちます。
ここでは、仮にそれが 250ノット という速度だったとします。
機体の頭を下げる角度をピッチと言います。
正確な値ではありませんが、例えば
重量が130,000ポンドの時、ピッチがマイナス2.5度だとすると、
重量が110,000ポンドの時、ピッチがマイナス2.7度となり、
重量が軽いほど、降下していく速度が速くなるのです。
パワーを入れてないので、一定の速度を得るために頭を下げるのですが、
頭を下げる量は、重量が軽いほど多くなります。
一般的には、重い飛行機のほうが、早く降下するように考えられがちですが、そうではありません。
これは、空気抵抗が存在するからです。

250ノット(=時速450km)で飛行すると風圧が大きく、飛行機を押し戻す力が働きます。
重量の重い飛行機は、この力に勝つことが容易なため、頭を下げる量を少なくすることができます。
反対に、重量が軽いと、空気の抵抗に勝つために、頭を下げる量を多くする必要があるのです。
空気抵抗が大きいほど、このマイナスのピッチの角度は大きくなります。
つまり、速度が速くて、飛行機が軽いほど、頭を下げる量は大きくなり、それだけ早く降下することになるのです。

仮に、両方のエンジンが止まってしまった場合、ジェット機もグライダーのように滑空できます。
滑空する距離を最大限に伸ばす、一定の速度が決まっているので、
飛行機が重いほど、遠くの飛行場、海岸線、海上まで飛ぶことが出来ます。
飛行機が軽いほど、近くに不時着陸・着水することになり、条件は厳しくなるのです。



2000.11.07

松山−千歳(238便)は私の担当だった。
前方に座っていた女性のお客さんが、腰が痛くて座っていられず、
トイレ横の CA の座席の背もたれにつかまって立っている、という連絡を CA から受けた。
あと20分ほどで降下開始。
松山を出発前は降下開始してすぐ揺れる、というレポートをもらっていた。
私は丁度トイレに行きたかったので、席を立ち、ついでに彼女に声をかけた。
「もう少しで降下開始します。揺れそうな所を通過するのでシートベルトサインを点けたいと思います。
 座っていられますか? もしつらかったら客室乗務員に言っていただければ、また揺れない所を見つけて
 ベルトサインを消しますから。」
彼女は「あと10分も立っていれば大丈夫。 座れる。 降機時に車椅子も必要ない。」
そう私に話したが、辛そうだった。

コックピットに戻り、キャプテンにそのことを報告した。
カンパニーで降下中の揺れに関する情報を聞いてみると、
予想と早朝の現況に反し、それほど揺れない、とのこと。
ベルトサインは点灯させずに降下することにした。
でも揺れるかもしれない。
腰が痛い彼女が立っている最中に突然揺れて、さらに腰を痛めてしまうかもしれない。
そう思うと心配で、飛行機がコトッとでも揺れるとドキドキする。
恐る恐る降りていくと、FL200 を通過時、一時的にコトコト程度の揺れがあっただけだった。

彼女は到着後、車イスを使わずに歩いて飛行機を降りていった、と後から CA に聞いた。
せっかくの旅行、楽しんで欲しい。 歩くことが出来て本当に良かった。

私はいつも機内アナウンスを上昇中か、水平飛行に移った直後にするようにしている。
眠たい乗客を起こさないためだ。
だが、今日はあえて降下を開始してすぐにアナウンスを入れてみた。
空港周辺の風が強く、着陸前に揺れること、それに付け加えて
今日は暖かいが明日は寒気が入り冷えるから気を付けてください、という旨の内容を話した。
アナウンスのタイミングも内容も初めての試みだったので、少しオドオドしてどもってしまったが、
きっとお客さんにはバレなかったのでは?
イヤ、バレてたかな?
でも、まァまァの出来だったと思う。

千歳でディスパッチへ行くと、以前親会社から室長としてANKに出向されていた方がいらっしゃった。
あと1年で定年なので親会社に戻ったのだ。
久しぶりに会ったが前と全然変わらない様子だった。
普通にしている時の顔がとても怖そうで、怒ると更にメチャクチャ怖いのだが、
笑うととっても優しそうな目をする人で、私は大好きだ。
これから新潟へ行き、泊まりなので飲みに行くんだ、と相変わらずだった。
「元気でな。」 と最後に言われた。
寂しかった。
「○○さん、まもなく定年ですね。 長いこと本当にお疲れ様でした。」
私はそう心の中で言った。

中標津へ向けて千歳を離陸するため滑走路に入ると、隣の自衛隊の滑走路から戦闘機が2機離陸し、
垂直上昇しながら旋回し、あっという間に空の彼方に消えていった。
まもなく退職される 「元室長」 に対する SALUTE(敬礼)のようだった。



2000.11.08

私は羽田−中標津往復を担当した。
予報では次の羽田−大館能代往復で、大館能代に到着時に強い西風が吹き、
着陸前に大きく揺れそうだったので、中標津をやらせてもらえて正直ラッキーと思っていた。

中標津へ向けて降下を開始し、あと15分くらいで着陸、というときに10時の最新の天気が入った。
風 270°から 30kt ・・・・
マジー!!
メチャメチャ揺れるじゃんかァ!!
ヤッベーよ、どうしよう・・・・
キャプテンはボソッと 「頑張ってね。」 と言っただけ。
10,000ft まで西風100kt(時速180km)吹き(低高度にしてはかなり強い)、
7,000ft 以下になるとガタガタ揺れ出した。
東にある山脈にあたった風が、乱気流を起こすのだ。
それでもこの日は 280°からの風だから、まだマシな方。
冬になり、中標津で強い北風が吹くと、操縦不能になるほど揺れることがあるのだ。

4,000ft では 290°から 15kt。
なーんだ、風弱いんじゃん!
大丈夫だ。
すかさずカンパニーから無線で最新の風の情報を送ってくる。
「260°から 30kt 吹いてます。」
下のほうが風強いんか!!
やっぱり揺れるぞ。
ホッとしたのもつかの間だった。

飛行場に向けて旋回し、高度 500ft(150m)まで降下すると、グチャグチャに揺れた。
車でいうと、ハンドルを右にいっぱいに切った 0.3秒後に左にいっぱいに切る、
そんな操縦桿の操作を右左にバタバタ連続して動かす。
それでも飛行機が思う方向に頭を向けないと、足を使う。
パワーも通常はどんなに気流が悪くても 45%〜60% 程度で間に合うが、
巡航に使う 80% からほとんどアイドルの 35% くらいまで、行ったり来たりさせながら、
必死に速度が遅くなりすぎないように、そして速くなりすぎないようにコントロールした。

のた打ち回るように滑走路末端を通過し、こん畜生っ、て感じでタイヤが接地する瞬間に機首を引き起こす。
うまいこと、そっとタイヤをつけてやった。
ヨッシャー!! と心の中で叫びながら、何事もなかったように、
平然と地上滑走し、駐機所へ向かった。
思わず武者震いしてしまう瞬間だ。

飛行機が止まってベルトサインが消えると、お客さんがすぐトイレにかけこんだ、とあとで CA に聞いた。
申し訳ないほど揺れたが、私にはどうすることもできなかった。
ゴメンナサイ。

我々の前に降りたYSの乗員が、アプローチ中、2回ほど飛行機がひっくり返りそうになるほど揺れた、
とディスパッチにレポートを入れたことを知った。

次の便、中標津を上昇中、7,000ft までボコボコに揺れた。
上昇中、通常上昇パワーを一定に保ち、機首を上げ下げして一定の速度を守るのだが、
この日は風が変化し、機首上げが大きすぎ、かなり怖かったので
オートパイロットを使わずに離陸後上昇し、途中過度な機首上げをしたくないために
ピッチアップしないで制限速度を超えそうになるので、手動でパワーを絞ったり、増やしたりしながら上昇した。
7,000ft を過ぎると気流はウソのように安定した。

今日の反省は、忙しい時間ではあるが、暇を見つけて
着陸前と離陸前に 「大きく揺れるからシートベルトをしっかり締めてください」
という内容のアナウンスを入れることを忘れたこと。
次回は忘れないように心がけようと思う。



2000.11.09

575 便(石見行き)で羽田を出発時、飛行機の大渋滞に巻き込まれた。
地上滑走を始めてまもなく、「You are number 12.」 と言われたのだが、離陸の順番が12番目、という意味。
通常、滑走路に近づいてから出発の順番を管制官は教えてくれるが、
今日は相当待つことが最初から予想されたためだろうか、飛行機が動き出してすぐに言われた。
オイオイ、ほんとかよ・・・・・
長いこと地上滑走して滑走路についたときは、丁度日本航空が離陸していった直後で、
このとき我々の出発は10番目だった。
Air DO、JAS の A300 が2機、全日空の B767、JAS のMD、全日空の A321、JAS の A300、
JAL の B777、JTA の B737、そして我々。
こんなに待ってるのかよ!
私達の離陸の順番になり、滑走路に入って後ろを見ると、5機待っていた。
自分が一番最後でなくってよかった!
08:08 に Push Back を開始し、離陸したのは 08:36。
地上に28分もいたのだった。
通常は13分程度で離陸できることを考えると、
15分余計に待ったことになり、飛行機で15分飛ぶと時速600kmなら150km、
時速900kmなら225km先まで進んでいた計算になる。 本当に時間がもったいないと思う。

今日は、予想で高いところまで雲があり、雲の上に出れないから高い高度は揺れてダメ、
中間高度は風が急速に変化するため揺れてダメ、低高度のみ気流良好、のはずだった。
 35,000ft  風 267°/133ノット  飛行時間 1時間33分  消費燃料 8,333ポンド
 22,000ft  風 280°/ 65ノット  飛行時間 1時間22分  消費燃料 8,809ポンド
 20,000ft  風 267°/ 59ノット  飛行時間 1時間22分  消費燃料 9,013ポンド
燃料は FL350 が最も使わないが、時間がかかるし揺れそう。
しかも出発に時間がかかっているわけで却下。
FL220 は予想で気流良好だったので、FL220 で行くことにした。

上がってみると、FL205辺りから揺れたので、FL200 に変更。
水平飛行に移ってしばらくはスムースだったが、しばらくして上の雲が下に垂れ下がってきており、
揺れ出したので FL180 まで降下。
西へ向かうにしたがいさらに雲が下がっていたので、
結局 FL160 まで降りる羽目になった。
燃料をガバガバ使ってしまい、とても非経済的な運航になってしまったが、
まわりの飛行機全て低高度まで下がってきており、どの飛行機も大変だったようだ。
関空−大分行きは、通常 FL250 くらいで飛んだと思うが、12,000ft まで降りて飛行していた。

途中、名古屋の北30kmの地点で、我々の左下 7km 先を100m下に飛行機がいるのを計器上で発見。
その後、一気に我々より500m高い高度まで上昇しながら、
我々の左から右へ、ものすごいスピードで前方8kmのところを通過していく戦闘機らしき飛行機を目撃。
アッという間に右後方へ消えていった。
音速近く出ていたのではないか?
とてつもなく速かった。

石見からの帰りは、思い切って FL370 に上がってみた。
FL365 まで揺れたが、その後非常に気流は良好。
次に羽田から石見へ行く 577便は、FL390 で行くことにした。
575便は FL160 だったのだから、高度は倍以上である。
低い高度では燃料を沢山使うが、体が疲れないし、山や町がよく見えるので、私は好きだ。
577便は FL390 で全く揺れず、雲の上を快適に飛行することができた。



2000.11.12

同期の CA が12月9日で辞めることになった。
その彼女と今日は4便一緒だった。
CA は今、かなりきつい勤務をしている。
以前は休みの日に1日寝て休めば疲れがとれたが、
最近は、2連休の2日間とも家にいて休んでも疲れが取れなくなり、外出すらしなくなっていた、と言う。
会社を辞めて、カラーコーディネイトの学校に行くらしい。
とても明るく、優しい、どんな時も笑顔を絶やさない彼女が辞めていくのは悲しいことだ。
もうあの微笑みをお客さんに見せることもないのか、と思うと残念だ。



2000.11.13

初めて新潟空港へ行った。
福岡からの往復だった。
頭の中ではけっこう近いと思っていたのに、以外と遠かった。
FL250 以上は揺れている、ということで、行きはFL230、帰りは FL230 だったので、体が楽だった。
新潟空港の手前で、空港より南へ管制官に誘導される。
高度を降ろしていき、飛行場の南 20km の地点で 4,000ft まで降下すると、
すぐ近くに自分の目線より高い山々がそびえ立っている。
もし、雲の中にいて山が見えなかったら・・・ そう思うととても怖い。
誤ってそっちへ飛行してしまったら、それこそ THE END だからだ。

雲の中を飛行するときは、山や鉄塔などの障害物の高さと、飛行場からの方位、距離と、
飛行機の方位、距離、高さを比較しながら飛んでいる。
飛行場へ向けて進入をするときは、
「本当に高度を降ろしていいのか。 自分の前方に高い山はないのか。」
そんなことをいつも考えている。



2000.11.14

初めて JAS の MD-90 に DH(便乗)で乗った。
伊丹−千歳。
私の個人的な意見だが、デザインが美しいと感じる飛行機だ。
私は後部座席に座っていた。
エンジンが胴体の最後部についているせいで、エンジンの音がうるさかった。
以前、MD-90 は離陸するとき、他の飛行機に比べて G をより感じる、というメールをもらったことがある。
私も離陸のときそう感じた。
やはり、エンジンが最後部についているため、離陸の姿勢、地面に対する機体の角度が大きく、
その姿勢まで機首を持ち上げるときに大きな G を感じた。
コックピットで操縦桿を引っ張ってピッチアップするとき、気持ちいいんだろうなァ、なんて考えながら乗っていた。
千歳に到着し、荷物を出そうと Overhead Stowage の扉を開けようとしたとき、開けられず、
便乗していた JAS の CA に笑われてしまった。



2000.11.17

被疑者(Prisoner=囚人)が、伊丹−高知に警官2名と搭乗してきた。
ディスパッチでブリーフィングを受けたとき、その情報及び
2名の警官が拳銃を所持していない、ということはあらかじめ連絡を受けていた。
他の乗客より先に機内に案内し、一番後方の座席に座る。
CA は何と言って対応するのだろう?
「いらっしゃいませ。」 では変だし、「ごくろうさま。」 もおかしい。
客室がどんな雰囲気なのか、いつも疑問に感じる。

高知で CA が変わったが、乗り継ぎの CA は高知のホテルから直行で空港に来ている。
そのうち1名がホテルのカギをなくしてしまったようだった。
私の目の前で、カバン(ステイバック)を開け、どこかにしまい込んだのではないかと、探し始めた。
女性のカバンにはいったい何が入っているのか?
とても興味があったが失礼なので、私はその場を離れることにした。
結局ホテルのカギは見つかり、高知で仕事をあがる CA にホテルまで持っていってもらうことにしたようだった。

雲の中に入ったわけでもなかったが、今日は巡航がけっこう揺れた。
今晩は今年一番の冷え込みとなるようで、上空に寒気が入っていたせいか?
それとも、上空の気圧の谷が、丁度通過していったときだったのか?



2000.11.18

大阪−高知(413便)にダイエーの監督、王貞治が乗ってきた。
私が実際に見たわけではないが、CA が教えてくれた。
イヤー、会いたかった。
1F という1列目の右端の窓席に座っていたらしい。
まさに私の座っていた席の真後ろだ。
なんだか嬉しかった。
少年のころから、きっと誰しもがあこがれ、尊敬した人物であろう。
なんとか、客席に行きたかったが、大阪−高知はあまりにも路線が短い。
しかも北風が強く、高知へのアプローチ時、揺れることがわかっていた。
結局、会うことはできなかった。
CA が、手荷物受け取り所まで追っかけていけば、と私を促したが、
そこまでする気にはなれなかった。
休暇で来ていたのだろうし、申し訳ない。
CA の話によると、4名乗っていた CA のうちの一人とこの前も一緒だったらしく、
彼女のことを王さんは覚えていた。
その CA と仲良さそうに話をしていたらしい。
そして、何故か CA の着ていたベストに興味をもったようだった。
「そのベストいいですね。 制服ですか?」 としきりに聞いていたとか。
以外な王貞治の一面を知ったような気がした。

昨日、私は 大阪 ⇒ 高知 のあと高知でしばらく待つパターンだった。
私達が高知まで乗っていった飛行機の折り返しの便、大阪行きのなかで大変なことがあったと聞いた。
あるお客さんが Push Back が開始されてからも、飛行機の中で携帯電話で話をしていたのだそうだ。
CA が機内での携帯電話の使用が禁止されていることを説明したが、すぐ終わるからと、なかなか切らない。
すると、近くのお客さんが、「携帯だめですよ。 切りましょうよ。」 と CA を助けてくれた。
携帯電話を使っていたお客さんは、突然 「なんだとー!!」 と注意したお客さんにつかみ掛かり、
殴り合いのケンカになったのだった。
その後ケンカはおさまり、その便は就航したらしいが、困ったことだ。

その日スタンバイだったキャプテンいわく、
「○○キャプテンでよかったよ。 俺だったら即効引き換えしてそんな客降ろしてやる!」
携帯電話を機内で使用することは禁止されており、携帯電話の使用を止めるよう注意されたことで暴れた場合、
その乗客は降ろされても仕方が無いのである。
航空法第73条の三 「安全阻害行為等の抑止の措置等」 で、機長はその乗客を降機させる権限をもっている。
確かに、どうしても大切な電話もある。
しかし規律は守って欲しいものだ。

もし私がその便に乗っていたらどうしていただろうか?
乗員として、あるいは乗客として。
乗客として乗っていても、注意するのは CA の仕事だから、と何も言わなかったかもしれない。
やはり、どこかに関わりあいたくない、という意識が働く可能性もあるだろう。
勇気を出して注意してくれたお客さんにとても感謝する。

乗員として乗っていた場合、私がもし機長だったら、きっと降ろさなかったのではないだろうか?
その乗客を降ろすためには、その人が預けた荷物1つを探し出して降ろす必要があり、
この作業に20分程度かかる可能性がある。
大幅に遅れてしまい他の乗客にも迷惑がかかるし、その飛行機を使った次の便以降にも遅れをもたらしてしまう。
たった一人のせいで、とても沢山の乗客に迷惑がかかってしまう。
滑走路手前まで来ていたら、そこから戻らなくてはならないし、大変なことだ。
それなら、事なかれ主義に徹し、状況が落ち着いたら何も無かったかのように、
そのまま出発した方がいいのかもしれない。
でも、そのまま離陸し、上空に行ってからその乗客がまた暴れ出して、
何らかの緊急事態が発生したら、それは機長の責任になってしまう。
きっと外国のエアラインのパイロットだったら、こんなとき、迷いもせずその人物を降ろすのだろう。
そんな事例が外国ではよくあるのだ。

知人が休日の話をしてくれた。
デパートへ妻と買い物に行った際、混んだエレベーターの中での出来事。
若いお母さんに連れられた小さな子供が、エレベーターのボタンを押そうとしてエレベーター嬢が困っていた。
居合わせた老人が、「そんなことしちゃダメだよ。」 と注意すると、若いお母さんは、
「こんな小さい子にそんなこと言っても分かるわけないでしょ!!!!」 とご老人を怒鳴りつけた。
老人はシュンとしてしまった。
それを見ていた知人が、何かを言おうとしたところ、妻に 「ほっときなさい。」 と言われてしまった。
しかしどうしても知人は我慢ができず、
「小さくて分からないから教えるってこともこの人には分からないんだから、何言っても無駄や。」 とそのご老人に言うと、
周りの人はみなクスクス笑っていた。
若いお母さんは激怒したまま、フンッ、と子供の手を引っ張りエレベーターを降りていった。

今時よくありそうな、しかしあってはならない、悲しい一場面である。



2000.11.19

高知から伊丹へは、11,000ft で向かった。
カンパニーに伊丹へのアプローチコンディションを聞くと、スムース。
降下前に 300kt から 250kt まで減速している最中、それまで気流は良かったのに、
突然ガタガタと強烈に揺れたかと思うと、一瞬で右の翼が落ちるように飛行機が右に傾いた。
最大 20°バンクしたが、オートパイロットははずれなかった。
私は丁度その時管制官と無線で交信中で、キャプテンがすぐシートベルトサインを点けた。 
その後すぐ、落ちた右の翼は水平飛行に戻り、数秒後何事も無かったかのようにピタッと気流の乱れが止まった。
まるで、他の大型飛行機が通った後に残る後方乱気流に突っ込んだような揺れだったが、
私達の周辺には他に飛行機はいなかった。
それまで全く揺れの前兆は無く、とても不思議な出来事だった。
心配してすぐ CA に連絡したが、乗客、CA 全員ケガをしないで済んだ。



2000.11.21

今日は1年に1回の航空身体検査の日。 機長は年2回、副操縦士は年1回、と決まっている。
まっ黒く低い雲が空一面を覆っていたが、朝早く雨は止んでおり、バイクで行くことにした。
臨空タウン(関空のすぐそば)のゲートタワー内にある診療所まで、約50kmの道のり。
高速は使わず、下の道で道路わきの町の様子を楽しみながら走ることにした。
堺の近辺で雨が降り出した。 やられた! 今日は午前中は曇りで、午後は晴れと天気予報で言ってたのに。
とりあえず下だけカッパを着たが、雨は弱く、上は濡れたままで行くことにした。
ゲートタワーが見えてくるころ、低い雲の切れ目が見えてきて、その向こうは青空が広がっていた・・・・
きれいだなァー、なんて思ってるのはつかの間、あと10分で到着、
というところでかなり強い雨が降り、結局濡れてしまった。

レントゲン室にまず入り、胸部の撮影。
「あのー、肺が長すぎてフィルムに入りきらないので、大きいフィルムに変えます。」
と、レントゲン技師に言われてしまった。
私は肺活量が 6000cc ある。
自称 「排気量」。
だが、フィルムに入らない、と言われたのは初めてだった。

寒いなか、バイクで2時間も走ったが、尿検査で尿が出ないと困るので、
我慢していたが、やっと放出できてホッと一息。

しばらくすると、さっきのレントゲン技師に呼ばれた。
「すみません。 横がはみ出してしまったので、もう1枚撮らせてください。」
そんなにデカイのか?
私の肺は?
今まで、一度もこんなことなかったぞ?
変だな?
ま、いっか。

普通の健康診断に比べると、項目は多いと思う。
その中でも目の項目が一番多い。
視野の検査が最も苦痛。
暗い部屋で顔を固定され、片目で赤い光を追う。
追いながら不規則に別の場所に時々現れる緑の光が見えたらボタンを押す。
この検査、時間が長い。
疲れてきて、ボーッとしてると、コンピューターに
「赤い点を追ってください。」 と注意される。
どうしてそんなこと分かるんだよー。
誰かどっかで見てんじゃないのかァ?
去年は最後まで終わってから、目が赤い点を追ってなかった、ということで再検査されてしまった。
今年は絶対そんなことにならないように必死だった。

眼科だけ残して、12時過ぎに今日の1食目にありつけた。
午後の眼科の診察も早めに終わり、1時半には家路についた。
帰りは別の道。
青空が広がり、渋滞もなく、いい気分でかっ飛ばして帰った。



2000.11.22

同期のパイロットからメールをもらった。


 11/18の記事中の携帯電話の話。
 最近では全く切らずにいる人もよく見かけるよね。
 去年、記者クラブとの会合に出席したときに、
 日乗連の人が話していたことはみんなに知ってもらいたい。

 いつだったかのJALの滑走路逸脱の事故でスロットルが片方だけ Max Power まで出ていた、
 ということがフライトレコーダーで解析されて、
 その事故原因が「パイロットミス」 ということで乗員が処分を受けた。
 でも、その乗員は決してそんなことはしなかったと言うんだけど、
 フライトレコーダーに記録されてしまったものは告訴の材料となった。
 乗員として通常しないはずのことであり、
 シミュレータで何度同じ現象を再現しようとしてもできなかったらしい。
 ”電磁波の影響で” しか、そんな意味不明の現象を説明できないと言ってた。

 また、去年だったかな、737−500で名古屋空港にアプローチ中、トラフィックがいないにもかかわらず、
 ショートファイナルで突然RAが作動して、
 飛行機運用規程に従ってゴーアラウンドしようとしたこともあったらしい。
 その時は、天気もよくて実際トラフィックがいないことをタワーに確認してから
 一度ハイパスになりながらもそのまま降りたらしいけど。
 これも携帯電話が原因かもしれないという。

 個人的には絶対安全に少しでも近づけるため、
 おれたち乗員も携帯電話のOFF徹底は呼びかけるべきなんじゃないかと思ってる。

 自分が機長になって、携帯電話が原因で 「パイロットミス」とされて処分されたくないよね。






2000.11.23

4 LDG + DH の日。
飛行機は、毎便4桁の数字のコードを与えられる。
管制官がレーダー上で認識するための番号で、トランスポンダーという機器にセットする。
今日は、その4桁の番号が4便ともなかなかいい数字だった。
1便目から、2345、3366、1751、2222。
もし、3便目が 「1771」 だったら、もっと良かったかもしれない。
こんな日、「今日はパチンコ(or パチスロ)に行かなくちゃ。」という乗員がけっこういる。
ついてる日はついてるもの。 いいアイデアだ。
私はパチンコもパチスロもしないので関係ないが、何故かラッキーに感じ嬉しく、ウキウキする。
ちなみに、ナンバーズにはまってる人もけっこういる。



2000.11.25

2000.11.09 と同じパターン。
Taxi を開始すると、まもなく 「ANK air 575, Hold short of GP Hold Line. Contact Tower 118.1.」
と管制官が言ってきた。
???
周波数がいつもと違うぞ?
GP Hold Line?
なんで?
34L から離陸するの?
34R のはずだぞ?
Hummingbird-1 Departure?
Clearance が違うぞ?
そこで聞き返す。
「Confirm(確認します), contact Tower 118.1?」
「Affirm.(そうです)」
???
おかしーなァー。
右手にうちの会社の YS-11 がいた。
そーか、便名がゴッチャになって間違ったんだろう。
「Disregard, ANK air 575. Remain on this frequency.」
管制官が 「今、私の言ったことを無視してください。 このまま今の周波数を聞いていてください。」 と訂正した。
やっぱりそうだった。
ちょとした勘違い。
YS-11 は朝一、34L から離陸するのだ。

いつも通り 34R へ向かうと、私達の前に7機も飛行機がいた。
11/9 と同じ。
また渋滞。
34L で離陸してしまえば良かったのかなァ?
なんて、そんなことできないし、してはいけないこと。

8番目の離陸で16分は待つかと思ったが、12分ほどで済んだ。

離陸のための管制間隔は決まっている。
飛行機が浮き上がるとき大きな揚力が必要だが、同時に大きな渦が発生する。
これを 「後方乱気流」 と呼ぶ。
大型機はこの渦が大きく、その中に小型機が入ると飛行機は引っくり返って墜落することもあるのだ。
このため、渦が消えるまでの間、2〜3分、待たなくてはならない。
8機いれば、8×2分=16分 待つことになるのである。
しかし、パイロットの判断で、出発を急ぐ場合、この管制間隔を短縮することを管制官に要求できる。
この時、「Request reduced separation.」 という用語を使う。
但し、後方乱気流に遭遇する危険をパイロットが背負うことになる。
今日は、何機かが Reduced separation を要求したために、12分程度しか待たずに離陸できたのだ。
渋滞するときなどは、とくにありがたい。

今日、一緒に飛んだキャプテンは、28年前にすごい光景を見た、という。
アメリカでの訓練時代、飛行場の塀から DC-10 と DC-9 が
タッチアンドゴー(離着陸を繰り返す訓練)をするのを見ていた。
DC-10 が着陸したすぐ後に DC-9 が進入してきた。
突然グラッと DC-9 揺れ、その後すぐエンジンが大きな音を出してゴーアラウンドしようとした。
そのままゆっくりと DC-9 は渦に巻かれるように引っくり返り、滑走路にたたきつけられた。
目の前に火柱が上がった。
もちろん訓練機に乗っていた、訓練生2名、教官、試験管の4名は全員死亡した。
これが 「後方乱気流」 だ。


羽田を離陸し、西へ向かう途中、何度か管制官に引き継がれていく。
そのとき、「ANK air 575, Contact Tokyo Control on 133.55.」 と管制官が言おうとしたが、どもってしまい、
「Contact Tokyo Control on 13... 11...」 ちょっとの間沈黙があり、その後別の声が、
「ANK air 575, Contact Tokyo Control on 133.55.」 とスムーズに言ってきた。
ははァ、まだ慣れてない人だな?
ひょっとして OJT 中?
お疲れ様です!
私も副操縦士になったばかりのころ、ATC 何度もどもったり、分からなくなったりしました。
とくに周波数、沢山ありすぎて覚えきれません!
がんばってください!



2000.11.30

26日から29日まで、3泊4日でサイパンに行った。
1人5万6千円、JALで往復、Nikko Hotel に宿泊の格安パッケージ。
全室 Ocean View。
格安で当初は6階の部屋の予定だったが、好意で10階の眺めのとてもいい部屋に変えてもらった。

サイパンに行く前、いろんな人に聞いてみると、
日本の南の島(石垣より西の小さな島)の方がはるかに海がきれい、とのこと。
ナマコが多く、あまり海には期待しない方がいい、という人が圧倒的に多かった。
下地島や、竹富島には私自身行ったことがあり、サンゴ、砂浜、ともに日本の海は信じられないほど美しい。
今回は、贅沢なホテル・ライフを楽しむ予定だった・・・・・

ホテルの前の海はとても汚なかった。
水草があちこちに群生しており、いたるところにナマコ、ナマコ。
水面にはちぎれた水草が漂っていて、ゴーグルや腕時計にまとわりついてくる。
魚もほとんどいないし、きれいな熱帯魚なんてどこにもいない。
がっかりした。
ま、いいか。
初めから分かってたことだし・・・・
プールはこじんまりとしていたが、ウォータースライダーが楽しく、おおはしゃぎ。
閑散期でお客さんも少なく静かな中、私の高笑いがホテルの中庭全体に響き渡り、妻が恥ずかしがっていた。
とはいえ、その妻もかなり大きな高笑いで滑り台を楽しんでいた・・・ように思う。
私は小さな子供と変わらない。
同じ事を繰り返しても全然飽きないのだ。
何度も階段をかけ上り、ゼーゼーしながら滑り台を大喜びで降り、
ザブンッとプールに突っ込むとすぐ上がり、また階段を1段飛ばしで駆け上る。
なんのための休暇なのか。
太ももがとても疲れた。

ふと沖を見て思った。
遠くに白波が立っている。
もしかするとあそこまでサンゴ礁で遠浅なのでは?
ホテルの近くは水が汚くても、あそこまで行けばきれいかもしれない。
スノーケルと足ひれは持参していた。
でもまっすぐ沖までいくと500mはありそうだ。
どうしよう・・・・

北を見れば岸から白波が立っているところまでの距離が狭まっている。
地図で確認。
北東へ約1km行けば、白波まで約200m程度。
よし歩いてあそこまで行ってみよう。
妻にもスノーケリングは教えたが、サンゴがある保証はない。
彼女をホテルの砂浜に残し、一人で向かった。
双眼鏡があるし、どこにいるかは確認できるだろう。

北へ歩き、しばらくすると現地の人が犬と遊んでいた。
聞けばやはり私の考えた場所に熱帯魚がいる、と言う。
ドキドキしながら先を急ぐ。
すでにホテルは遥か彼方。
人は点ぐらいにしか見えない。
足ひれを履き、ゴーグルをつけて海に入った。

そこには水草はなかった。
しばらく行くと、すぐ死に絶えたサンゴを発見。
魚も熱帯魚もいる。
これならひょっとすると・・・
あった、お花畑のようなサンゴ焦が!
振り返ると岸から随分離れていた。
でも遠浅だし、潮の流れもさほど速くない。
危険ではなさそうだ。
さて、ホテルに戻り妻を連れてこようか・・・・
でもこんな遠くまで歩くのイヤかもしれないよなァ。
それにもっときれいなところがあるかもしれないし、もう少し南まで泳いで、いいポイントを探すか。
どうせこんなに遠くまで泳ぐなら、最もきれいな場所を妻には是非見せたい。
寒がりだから長いこと海にはいれないだろうし、体力ももたないだろう・・・・

南に行けば行くほど、サンゴ礁は美しくなっていくような気がした。
白波の立つラインの内側に沿って漂いながら南下する。
サザエの死んだ殻はいくつもあったが、活きている姿はない。
少し悲しかったが、代わりにゲンコツ位の大きなタカラ貝はいたるところにいる。

しばらくして岸の方を見ると、ビックリ。
こんなに遠くまで来てしまった・・・・
どうしよう。
北上して、エントリーした所に戻ろうかなァ?
もう1時間か。
きっとそろそろ妻も心配してるだろうなァ?
でもこの辺、きれいだし、ここまで来たらもっと南下して Nikko Hotel の正面まで泳いじゃおうかなァ?
そうしたら妻はきっと驚くだろうなァ?
こんな所まで泳いだの!?って。
でもそれまで体力もつかなァ? 沖に向かって潮の流れてるところもあるし。
このまま力尽きて岸に戻れなくなったらどうしよう・・・・
太もも疲れたし、1人で心細いし、岸は遥か彼方だし・・・・
でもサンゴきれいだよなァ・・・・

よし! Nikko Hotel の正面まで泳ごう!
力尽きたら立ち上がって足ひれもって手を振れば、
ホテルにはモーターボートもあることだし、
誰か気がついて助けてくれるだろう。
それにスクワットで鍛えた太ももだ。
くじけるはずがない。

結局ホテルを出てから帰るまで、2時間以上かかってしまった。
白波に沿って1kmほど、その後岸に向かって500mほど泳いだようだった。
時間経過の分からなかった妻は心配で、部屋に腕時計を取りに戻っており、
フラフラになって岸に上がったとき、そこにはいなかった。
せっかくビックリさせようと思ったのに残念。
フラフラ、トボトボ、階段を上り、滑り台をして気分を取り戻した。
でもきれいなサンゴ礁を満喫できて感激だった。

10分ほど休み、妻をつれて再び沖へ向かった。
あまりの遠さに、妻は何度もくじけそうになったが引っ張って行った。
お花畑のようなサンゴ焦と熱帯魚を見て妻が感激してくれたとき、私はとても嬉しかった。

それにしても白波の立つ沖まで約500mのうち、岸から400mほどは魚はいるがサンゴは死に絶えている。
人間がリゾートを作ると、きっとこんなにも自然破壊が進むのだろうなァ、と責任を感じる。
格安のパッケージツアーで海外のリゾート、ビーチに気軽に行けるようにはなったが、
それで現地の海は死んでいく。 私もそれに係わった1人だ。

中2日間、沖まで行ったり来たりしたが、その間シャコガイを4個見つけたのには感動した。
生まれて初めて生きているシャコガイを見ることができた。
同時に半径1m程度の水中に大きなシャコガイの死に殻が10個ほど、
捨ててあるように散在している光景を目の当たりにした。
なんてことをするんだろう・・・・

20cmほどの生きているクモ貝も見つけた。
とても嬉しかった。
長さ20cmほどの鋭く尖がった巻貝の殻が落ちていた。
持って帰ろうと思い、手に持って泳いでいると、中から小さなタコの子供が出てきた。
指で突っつこうすると、真っ黒な墨を吐きながら大慌てで逃げていった。
子供のタコも墨を吐くんだァ・・・
ちょっと驚き。
その他、ウツボ、タコ、沢山の熱帯魚を見ることができた。

足ひれをつけての長時間のバタ足と、滑り台で遊ぶために何度も階段を昇ることで、
太ももが筋肉痛になってしまい、疲れきった休日だったがとても楽しかった。