2001.02.01

伊丹−高知 を1往復し、中空き後1往復半のパターン。

ディスパッチへ行くと通常飛行する FL160 は Between Cloud(上の雲と下の雲の間の隙間)でスムースと言われた。
407便を実際に飛んでみるとあまり気流は良くなかった。
12,000ft まではまずまずなのだが、そこから風の方向が少し変わっているせいか 14,000ft の辺りから揺れが始まり
16,000ft も同様だった。
しかも上の雲が下がってきているようで FL160 は雲による揺れもあったようだった。
FL160 に一旦到達してから、12,000ft に降下すると気流はおちつきベルト着用のサインを消すことができた。

高知からおよそ 60マイルの地点に差し掛かるといきなり大きくグラッと揺れ、その後も揺れが続いた。
恐らく地上の前線に伴なった上空の気圧の谷が丁度この辺を通過中なのだろう。
気圧の谷の移動速度も速そうだし、折り返し 408便までには良くなっているにちがいない。
次の便は 11,000ft で帰ることにした。(通常高度 15,000ft)

高知を離陸し 11,000ft で水平飛行に移ったが、それほど気流は良くない。
もう気圧の谷は通過したかと思ったが、どうやらまだだったようだ。
でもなんとか CA がサービスできる程度の揺れだったのでシートベルトサインを消すことにした。

2時間ほどの中空きの後、再び伊丹から高知へ向かった。
12,000ft で飛行し、気流は良好。
ところが高知の 30マイル手前でまた 407便のときと同様グラッと揺れ、その後揺れが続いた。
なんか変だな?
こんなに長いこと同じ所に気圧の谷が停滞するはずないのにな?

さて、高知空港に着くと Ship Change。
後半の1往復半は(413、416、417)同じ飛行機に乗るはずだったが、
飛行機を乗り換えることになった。
千歳がまた天候で乱れたため、
千歳 → 高知の飛行機を使うはずだった 412便(高知 → 伊丹)が 50分近く遅れそうになったためだ。
そこで私達の飛行機を使って 412 を就航し、千歳から遅れて到着した飛行機を使って私達が折返し 416 を飛ぶのだ。
そうすることで 412便の遅れを30分程度にまで縮め、416便 は定刻 12分遅れで就航することになった。
412便が遅れたため、416便に乗るはずだったお客さん達がかなり 412 に流れたようで、
当初 416 は 90名程度の予定だったが、実際には 38名しか乗客はいなかった。
これなら伊丹空港での清掃に時間がかからないから折り返しの 417便は定刻に出れるはず。

伊丹へは 13,000ft を飛行。
今度こそは上空の気圧の谷が通過し終わっているはず・・・・・
だがまだダメだ。
何かコトコト揺れが続く。
別に大した揺れではないのだが妙に気になる。
11,000ft に降りれば間違いなくスムースだろう。
と、降下してみたが、まだ揺れる。
んーーーーー。
何でだ?! おかしいなァ。
仕方なく 11,000ft で我慢して伊丹へ向かった。

412便は折り返し 415便で就航。
定刻 18:00発の 415 は 18:40 に伊丹を出発。
私達の 417便は定刻の 19:00 に伊丹を出発することができた。

またしても 12,000ft を飛行。
8,000ft の辺りから雲の上に出ると気流は良好で、夜景もきれいだ。
伊丹 → 高知は淡路島の西を通り、高知 → 伊丹は淡路島や関空より東を通るのだが、
こんなに近い空域で淡路より西は 12,000ft は気流良好で、東は 11,000ft も 13,000ft も揺れるなんて不思議だ。
確かに気圧の谷が西から東へ通過中はよくそういうことが起こるのだが、
長時間同じような気流の状態がこんなに近い空域で起こるのはめずらしい。
しかも高知から 40マイルのところで再びグラッっと揺れ、その後前便、前々便と同じような揺れが続いたのだ。

運航上大きな問題にはならなかったものの、今日はなにか気流が妙で納得のいかない一日だった。
私の高層天気図の解析能力に問題があるのだろうか?
でもキャプテンも不思議がってたし、やっぱり変だったんだろう・・・・



2001.02.05

仲の良い若いキャプテンとのフライト。
以前機長業務経験をさせて頂いた方。
今日も朝一の関空−松山をやらせて頂いた。
あれ以来機長業務経験はやっていないので内心不安だったが、
せっかくだから今日はいっぱつ格好良く振舞ってみようと密かに心に決めた。

ディスパッチでまず天気をチェック。
出発、着陸、代替飛行場の天気は悪くない。
低気圧も東へ抜けて西日本は回復傾向だ。
関空にアプローチした飛行機からのレポートでは 10,000ft 以上は雲もないようだった。
あとは上空の前線面がどこにあるかだ。
通常松山へ行くとき飛行する 20,000ft で行くことにして、もし揺れたら 16,000ft 程度まで降ろせばまず問題ないはず。

カウンターへ行き飛行実施計画書をディスパッチャーと見ながら確認していく。
必要事項の全てをチェックして、キャプテンにサインをもらった。
ここまではまずまずか。
ディスパッチから飛行機まで行くのにかかる時間を考えて、あと3分程度は余裕がある。
「〇〇分にここを出て飛行機へ向かいますので、まだ時間ありますが、一服されます?」
と気を使いながらいざ飛行機へ向かった。

整備さんと3人で機体の昨日までの整備状況を確認。
滑油と燃料の搭載量をチェックしてから外へ出て飛行機の外部点検をした。
コックピットに戻ってから搭載書類と非常用装備品を確認して
全て異常ないことをキャプテンに報告し、サインをもらった。
うーん、完璧! と言いたいところだが、これはあくまでも理想。
実際にはところどころ注意されつつ業務は進行していった。

コックピットの準備が終わり、CA とクルーブリーフィング。
これはまずまずの出来だったように思う。

フライトはスムーズにいった。,br. 巡航高度の FL200 も気流良好で全く問題なし。
外国人のお客さんが乗っていたので久しぶりにアナウンスを入れようかと思ったが
朝早い便だったので止めることにした。
降下開始点を計算して Descent 開始。
BAMBOO と呼ばれる地点を通常 10,000〜11,000ft で通過するようにプランしている。
12,000ft を通過中、下の雲との距離と到着予定時刻を見ながら着陸10分前の合図を客室に送った。
いつもなら BAMBOO の手前で 6,000ft への降下が許可されるが、今日はなかなかこない。
TCAS上に下から上昇してくる飛行機を発見。
私達の飛行機は松山空港へどんどん近づいていき、降下計画が狂い高めになっていく。
仕方なく 250kt から 210kt へ減速。
下の飛行機が通過し、4,000ft まで降りていい許可がおりると同時にパワーをアイドルにして
210kt から 250kt に加速させながら一気に降下する。
減速することで減らした運動エネルギーを、パワーを使わずに増やすためには位置エネルギーを使えばいい。
高度をより大きく下げることで加速し、運動エネルギーを増すことができる。
したがって、減速してから降下しながら増速すると、より大きな降下率を得られる。

雲に入ると気温の低い水滴にエンジンが触れ、着氷する恐れがあるのでアン・ティアイスという装置を使うのだが
これを使用するとエンジンの回転数が上がるため
(車のエアコンを入れるとエンジンの回転数が上がるのと同じ状況)
アイドルのパワーが上昇し、降下率が下がってしまうのでここでスピード・ブレーキを使う。
幸い向かい風。
スピード 240kt で降下率が 2500fpm だから 6°の Path で降下している。
あと 4,000ft 高度を処理すればいいので 4×3÷2 で 6マイル必要。
OK。 高度の修正は完了。 スピード・ブレーキを戻す。
あとは減速をいつ開始するかを計算すればいい。
松山空港から14マイルの地点で再びパワーをアイドルにして水平飛行しながら減速し、
スラット、フラップ、ギアを順次降ろして着陸形態を作って ILS にのってアプローチし着陸した。

機長業務経験で一番大変なのはお客さんが搭乗を開始するまでの準備。
あとは天気が良く、飛行機が壊れなければなんとかなる。

次の千歳行き 238便 は、キャプテンが自分だったらこうする、という見本を丁寧に見せて、また聞かせてくれた。
なんともスマートで要領がいい。
さすがだ。
明日はキャプテン、実際に審査を受けるのだそうで、きっと今日示してくれた方法を披露していることだろう。

238便で千歳へ向かった。
普段なら空いている時間帯なのですんなり着陸できるのだが、今日は5番目のアプローチ。
先行機との管制間隔は充分とれているように TCAS を見ていて感じたが、まだ遠回りさせられた。
変だなァ、と思っていると案の定、私達の前に飛行機を1機差し込まれた。
それはフライト・チェッカーの飛行機だった。
飛行場の施設、特に無線電波を調べるために飛ぶのが フライト・チェッカーの仕事だ。
自衛隊用の千歳空港の滑走路へアプローチしているのだった。



2001.02.06

中標津発羽田行き、838便。
前回私が路線審査を受けたときのキャプテンと一緒だった。
だが、今日は臨泊することなく羽田へ戻ることができた♪

中標津の滑走路26を離陸して、MASHU(摩周)と呼ばれる地点へ向けてまっすぐ上昇。
MASHU から左へ旋回し釧路空港へ向かう。
途中、釧路から上がってきた飛行機の無線が聞こえてきた。
どうやら飛行計画は 39,000ft の予定だったのに、私達が 39,000ft をとってしまったので
35,000ft で行く羽目になっていた。
目的地も同じ羽田だ。
邪魔してごめんなさい。

39,000ft で水平飛行に移ると TCAS 上に丁度私達より 4,000ft 低い高度を飛んでいる飛行機の機影が
約20マイル後ろにあった。
これだ、釧路から上がってきた飛行機は。
高層天気図を見る限り、今日は 35,000ft を超える高度でないとどこかで揺れるように思われた。
きっと乗員は気を悪くしてるんだろうな・・・・
少し罪悪感を感じたが、仕方ないか。
飛行高度は早い者勝ちで決まってしまうのだから。

恐らく釧路を上がった飛行機は私達と同じエアバス320のはずだから巡航速度はほぼ同じはず。
ふと気が付くと、ついさっきまで 20マイル後ろを飛んでいた彼らが、私達のすぐ後ろまで接近してきている。
抜かれまいと加速したいが、既に我々は最大速度に近い速度で飛んでいる。
しばらくすると機影は私達の真下に移動し、その後少しずつ追い越していった。
上空は雲のない良い天気だったので、まもなく真下にその飛行機が見えた。
きっと 35,000ft の向かい風の方が 39,000ft より弱いのだろう。

羽田に近づく頃には 20マイルほど差が開き、
アプローチに入ってからその飛行機の後ろに西から飛んできた飛行機を1機差し込まれてしまった。



2001.02.07

起床 0520  Pick 0610 関空へ移動
Show Up 0725  291便 関空−仙台 0825−0945
           292便 仙台−関空 1020−1205
           253便 関空−熊本 1240−1350
           254便 熊本−関空 1420−1525  勤務終了 1555  関空→自宅(帰宅 1710)

仙台往復を操縦させてもらった。
今日の天気は西から近づいて来る前線の影響で西日本は下り坂。
東日本は天気良好だが、上空のジェット気流の関係で 30,000ft より下はあまりよくない、との予想。
飛行計画は 37,000ft の予定だったが、関空を上昇して 33,000ft より上になかなか上げてくれなかった。
沢山の飛行機が東行きは 37,000ft、西行きは 35,000ft を利用しているためで、
西行きとは交差するし、東行きとは同じ 37,000ft 同士で重なるからだ。
追い風 180kt(時速320km)を受け、飛行機の速度 450kt に対し、地面に対する速度は 630kt。
無風状態での速度の約1.4倍の速度で飛行しているため、
ただでさえ巡航で水平飛行できる区間が短いのに、なかなか 37,000ft に上げてくれないため、
33,000ft で仙台へ向かうことに変更した。

仙台へ向けて降下中、32,000ft で 180kt あった風がわずか
3,000ft 下の 29,000ft で 110kt にまで一気に減速していた。
さほど大きくは揺れなかったが、後で仙台を上昇するときに気をつけないと・・・・・

仙台空港周辺には沢山の航空大学の飛行機がタッチ・アンド・ゴーの訓練をしていた。
その隙間に入れてもらい私達は着陸した。

折り返し 292便 は高高度は向かい風が強いので、出来れば低めの高度で帰りたかった。
だが、東日本は 25,000ft より下でないと気流は良くないと他機のパイロットがレポートを入れていたし
近畿周辺は雲の頂上が 25,000ft 付近で大きく揺れた。
つまり25,000ft より上で行っても下で行ってもどこかで揺れるわけだ。
仕方なく 35,000ft で関空へ向かうことにした。

上昇中、27,000ft を通過するまで マック(マッハ)0.78 で飛んでいたが、少しずつ機体の姿勢を上げ
速度を マック0.73 まで下げた。
エアバス320が通常使用する最大巡航速度(0.79)だと
超過禁止速度(0.82)までのマージン(余裕)が少ししかない。
少し上昇する間に向かい風が急激に 15kt 程度増えると、この超過禁止速度を超えてしまいかねない。
今日は 3,000ft の間に 70kt 増えることが分かっていたので準備したのだ。

28,500ft を通過したあたりから一気に向かい風が増えだした。
向かい風が増えると速度が増すのだが、パイロットが指定した速度を維持するために
飛行機は姿勢を上げる(上昇の姿勢をさらに上向きにする)。
さらに向かい風が増え速度が増えそうになるので、機体の姿勢が急激に高くなっていった。
それは上昇率が良くなることを意味する。
通常飛行機は高度が高くなるほどエンジンの推力が減るので上昇率が減る。
離陸時 3,000fpm(1分間に 3,000ft 上昇する)程度の上昇能力があっても
30,000ft を超えると 500fpm 程度になってしまうこともあるのだが、
今日は最大で 7,800fpm までいってしまった。
まるでジェットコースターが坂道を駆け上がるような上昇率だったが、気持ちいい、なんて言ってる余裕はない。
速度が超過禁止速度を超えないように機体の姿勢を上げるのだが、
急激に操縦桿を引っ張ると G がかかり乗客にとっては不快だ。
オートパイロットの追従が悪いのに備え、いつでもマニュアル(手動)に切り替えられるように準備をしておく。
また、飛行機が急激に上昇すると、客室の高度も一気に上昇するため、耳がツーンとして不快だ。
今日の上昇率では私は感じなかったが、お客さんの中には風邪気味で耳が痛かった人がいたかもしれない。
だが、上昇中にどう変化するか分からない風の急激な増加に伴ってエンジンのパワーを絞るのは難しいし、
風が突然減る可能性が皆無でないことを考えると、上昇中にパワーを下げるのは危険に思える。
難しい選択だ。
巡航に移ってからしばらくして、CA に耳が痛くなかったか、乗客の中に不快感を訴えた人がいなかったか
聞いてみたが、みんな大丈夫だたようでホッとした。

近畿に近づくと関空のカンパニーで Spot を聞き、こちらの到着時刻を地上のスタッフに知らせる。
そのときカンパニーが言ってきたのだ。
次の 253、4便はキャプテン交代になります。 副操縦士はそのままです。
そうか熊本の天気が悪いんだな・・・・・・
朝の時点で天気図を見れば、午後に熊本空港の天気があまり良くないであろうことは分かっていたが、
キャプテンが交代になる程にまで悪化するとは考えていなかった。

着陸の際、降りて良い最低高度が決まっている。
精密進入と呼ばれる ILS では通常滑走路から高さ 200ft(60m)まで降りて良いのだが、
パイロットが訓練をして、また飛行場と飛行機に設備を整えることで、更に低い高度まで降りて良いのだ。
地上 60m までがカテゴリー1(CAT-1)で、その下地上 30mまでが CAT-2、
全く滑走路が見えてなくて降りて良い、つまり地上 0mが CAT-3 だ。
(雲の底の部分が仮に地上50mだと、CAT-1 では最低降下高度の地上60mまでしか降りれないので
 まだ雲の中にいるため滑走路が見えず着陸できないが、
 CAT-2 では雲の下に出れるので滑走路が見え、着陸可能となる。)
もちろん地形の特性や施設の精密度により降りて良い最低高度は
CAT-1、2、3 と言えども常に上記の値ではないのだが、
CAT-3 は CAT-2 より、CAT-2 は CAT-1 より悪い条件(視程が悪く、雲が低い)でも
着陸できることに変わりは無い。

キャプテン、副操縦士、2人とも CAT-2 又は
どちらか一人が CAT-2 以上、つまり CAT-3 でなければ、CAT-2 の運航をしてはならないのだが、
今日のキャプテンは CAT-1 キャプテンであり、私は CAT-2 副操縦士。
熊本空港は CAT-1 でも降りるチャンスのある気象条件だったが、
もしかしたらゴー・アロウンドするかもしれないし、上空で何十分も天気が回復するまで待機する可能性もあった。
会社は CAT-2 ならより確実に着陸可能と考え、たまたまスタンバイのキャプテンが CAT-2 だったので
わざわざ伊丹空港に居たキャプテンを関空に向かわせ、熊本往復を常務させたのだった。

予定より早く帰れることになったキャプテンは嬉しそうだったが、
明日は休日で奥さんは仕事だから一日中赤ちゃんの子守りをするのだそうで、今日くらい早退できて良かっただろう。
I'm very happy for him.

さて、キャプテンが降り、次のキャプテンを待っているとなんと現れたのは一緒に A320 の訓練を受けた
若いキャプテンだった。
しかも CAT-2 の資格を取るためにも一緒に訓練を受けた人だ。
思わず顔を見て私は笑ってしまった。
沢山ある飛行場の中で CAT-2、CAT-3 の運航を出来る飛行場は
今のところ、成田、羽田、関空、釧路、熊本だけだ。
その飛行場の天候が実際に CAT-2、3 をしなくてはいけない程悪化するのは、1年に何度もない。
更にその日が自分の勤務の日と重なり、そしてたまたまその飛行場を飛ぶスケジュールの確率は低いだろう。
乗員は沢山いるわけで、CAT-2 の訓練を一緒に受けたキャプテンと乗務する日は月に1回あるかないかなのに、
そのキャプテンと CAT-2 で熊本に行くことになろうとは、夢にも思わなかった。
CAT-2 の資格を使う天候に出くわすことは、一生に一度あるかないか、ぐらいにしか私は考えていなかったのだ。

熊本でアプローチを開始。
飛行場より北から西はあまり雲が無く、4000ft からでも地上が見えていた。
本当に空港は悪いのかなァ?と疑心暗鬼だったが、ILS の電波に乗り降下していくと雲が除々に濃くなっていった。

3°のPath に乗り、降りることが許されている最低高度に達したとき、
滑走路が見えなければゴー・アロウンドし、見えれば着陸できる。。
この最低高度の手前100ft(30m)の高さで CAT-1 では副操縦士が 「Approaching Minimum」 とコールし
CAT-2 では 「A Hundred Above」 とコンピューターがコールする。
最低高度では 「Minimum !」 と、 CAT-1 では副操縦士が 、CAT-2 ではコンピューターがコールする。
このとき滑走路が見えたらキャプテンは 「Landing!」 とコールし着陸するが、
見えなければ 「Go Around!」 とコールし、ゴー・アラウンドする。

今日は 「A Hundred Above」 のコールを聞いたとき、まだ雲の中で全く何も見えなかった。
その数秒後に 「Minimum!」 を聞くと同時に、それまで計器を見ていた私は視線を外に移し、
滑走路があるであろう方向にアプローチ・ライトを見つけた!
同時にキャプテンの右肩が前に出かけ、右手に握るパワーのレバーが前に出そうになったのが
(ゴー・アラウンドしそうになったのが)私の視野の片隅に見えた。
心の中で 「ゴー・アロウンドしちゃう!」 と思いながらも
「Approach Light in sight!!」(アプローチ・ライトが見えました)と叫んでいた。
それを聞いたキャプテンの右肩が戻り、何事も無かったかのように落ち着いて 「Landing!」 とコールして着陸した。
この一連の出来事は 「Minimum」 という飛行系路上の一点を、時速200kmの速度で通過するのにかかる時間、
目を瞬きするくらいの瞬間に起こるのだが、とても長い時間に感じられるのだ。

今日の、あの時点の天候では、絶対 CAT-1 では降りることが出来なかっただろう。
まさに最低降下高度で滑走路が見える天候の状況を私達は 「Just Minimum」 と呼ぶのだが、
あれは CAT-2 の条件下における 「Just Minimum」 だった。
わざわざスタンバイのキャプテンが、伊丹から関空まで出向いてきた甲斐があった。

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そういえば、関空から熊本へ向けて離陸する前、滑走路手前で着陸機を待っていると
エアバスの 330 という機体が降りてきた。
地上では何度も見たことがあるのだが、実際に飛んでいるのを間近で見たのは初めてだった。
330 は2発のエンジンを持ち、翼が長くてとても美しい飛行機なのは知っていたが、
着陸する姿はなんとも可憐だった。
とてもゆっくりと、まるで滑走路にフワッと舞い降りるように着陸した姿を見て、私は惚れてしまった。
330 と同じ胴体を使ったエンジン4発のエアイバス 340 が私は一番好きだったのだが、
今日あの光景を見て、330 に浮気をしてしまった・・・・・



2001.02.11

2月7日と同じスケジュール。
高気圧が西から張り出し、北日本のみ冬型の気圧配置。
関空、仙台、熊本ともに、とても天気が良かった。
地上の天気はいいし、上空もほとんど雲一つなかったのに、何故かどの高度もどこかで揺れた。
関空 → 仙台 へは 37,000ft で行ったのだが、上昇中は 29,000ft から 32,000ft にかけて、
37,000ft は名古屋から長野の松本にかけてタービュレントがあった。
上空は気圧の谷が通過中だったからだろうか。

仙台 → 関空 へはジェット気流と気圧の谷の影響の少ない低高度の 24,000ft で行くことにしたが、
天気図とパイロットのレポートを聞く限り、関空まで FL240 でスムースで行けそうではなかった。
案の定日光を過ぎた辺りから揺れが始まった。
燃料をより使ってしまうが、やむを得ず 22,000ft まで降下したがダメ。
さらに 20,000ft まで降下してやっと我慢できる程度の揺れに収まった。

羽田の西には米軍の横田基地があり、米軍の管制空域は地上から 23,000ft まで。
24,000ft では横田基地が管轄する空域に入らないのだが、22,000ft まで降下すると入ってしまう。
私にとって横田の管制空域は初めての経験なので少しワクワクしていたが、米軍の管制官に代わることもなかった。
松山空港へアプローチ中に岩国の米軍基地の管制空域に入るし、
那覇にアプローチすれば嘉手納を通過するので、米軍の空域は初めてではないのだが、
横田は初めてだったので楽しみだった。
ちょっとガッカリした。
日曜で米軍が休みだったからだろうか?

20,000ft で横田基地の空域を通過すると、目の前に赤石山脈が広がっていた。
視界をさえぎる雲もなく、頂きの雪がとても鮮明に見えた。
途中 CA が飲み物を持って入ってきたが、普段見ることのない高度からの景色に感激していた。
私達、乗員はこんなに素晴らしい景色を見ながら仕事が出来るなんて羨ましい、と言われたが本当にその通りだ。
しばらくして山脈を通過するとき、私の席から右真下に駒ケ岳と白根山が見えた。
谷間に生えている木が一本一本見える距離だったので、
思わず誰か深雪の中スキーをしている人がいないか探したが、そこには誰もいなかった。

関空へアプローチしている途中、カンパニーでタービュレントの情報を聞いた。
清水の上空 39,000ft、宮崎の上空 31,000ft でモデレート(Moderate)のタービュレントのレポートがあったらしい。
Moderate というとかなり強い揺れだ。
やはり今日は高い高度はダメだったようだ。

関空 → 熊本 へは FL280 以下はスムース、との情報を受け、計画通り FL280 で行く予定だった。
離陸の準備を整え滑走路に向かう途中 12:45頃、管制官から離陸は12:52以降になるとの連絡が入った。
どうやら私達の前の飛行機のどれかが FL280 を計画していたようで、管制間隔が取れないかららしい。
FL240 なら待たずに済む、と言ってきたので、すぐ飛行計画を FL240 に変更してもらうことにした。
間もなく離陸の許可がおりた。

私達の前にエア・フランスのエアバス340が重そうに上がって行った。
フランスまでの燃料を積んでいるから本当に重いのだろう。
それはエアバス340に限ったことではなく、長い距離を飛ぶ国際線はボーイングも同じだ。
私達より3分ほど前に離陸し、距離は10マイル弱離れていた。
しかし、私達が離陸して数分で同じ高度に達し、あっという間に抜いてしまった。
エア・フランスに追いつかないように速度を殺して上昇するので、
その分こちらの上昇率は上がりさらに高度差がつき、最大で 6,000ft(1,800m)も差がついた。

巡航高度に到達し加速すると、前を飛行するエア・フランスに追いつき彼らの頭上に来てしまった。
私達は FL240 で水平飛行しており、エア・フランスは明らかにそれ以上の高度に上昇しようとしていた。
管制官はエア・フランスを若干右に旋回させ、私達とぶつからない方向に向けて
飛行機同士の横間隔が5マイル程度離れてから、彼らに上昇の許可を与えていた。

熊本に近づくにつれて FL240 が揺れ出したため FL220 へ降ろし、さらに FL200 まで降下してスムースになった。
もちろん折り返し 熊本 → 関空 は FL190 で飛行した。
今日はいつもより沢山燃料を燃やしてしまった。

関空へのアプローチの順番は、関空まであと80マイルもある地点で2番目。
私達の前に1機しかいなかった。
めずらしいことだ。 普通なら4機はいてもおかしくない。
一直線に関空に向けてできるだけ減速しないように飛行したが、
私達の後ろの飛行機は遠回りさせられ、減速させられていた。
どうやらたまたま飛行機のいない時間帯だったようで、私達の後ろは混んでいた。
こんな時はとても得した気分になる。
定刻より15分近く早く着陸したが、私達が駐機する場所にまだ出発機がいたため、
Spot-in するまでしばらく待つことになってしまった。
あまりにも早く着き過ぎたせいだろう。



2001.02.13

昨日の昼過ぎの天気予報では今日は日本海側は雪で、新潟のみ晴れマークだった。
そんなわけないよなァ、と思いつつも期待してしまった。

朝天気予報を見ると新潟は雪マーク。 やっぱり。
でも寒波が来ているようだから、日中 0℃以上にならなければ降った雪が積もって溶け、
スラッシュ(シャーベット状の水を多く含んだ雪)になることもないだろうし、
スラッシュでなければ北風が強くなっても横風制限を超えないだろうから、問題なく着陸はできるだろう。

宮崎を離陸し 11,000ft で福岡へ向かった。
九州南東の海岸にある低気圧の影響だろうか、
雲を出たり入ったりの飛行となり揺れが続いたため、シートベルト着用のサインを消すことが出来なかった。

いつも鹿児島を上がった福岡行きのうちの便と、熊本の上空あたりで合流するように福岡へ向かう。
そして私達が大抵勝つ。
つまり同じ高度を飛んでいる場合、先に行かせてもらえるのだ。
今日はめずらしく負けてしまった。
宮崎空港の出発はラッシュで、長崎行きの JAC、福岡行きの JAS と必ず重なり、
誰が一番に離陸するか競争するように Push Back をする。
今日は私達の便が一番に離陸できたのに、何故鹿児島発福岡行きに負けたのか・・・・・
そんなことを考えながら福岡へのアプローチが始まった。

6,000ft 以下に降下すると雲の下に出て目の前が開けた。
管制官にこちらから Visual Approach を Request。
当初 ILS で着陸するつもりだったが、Visual Approach をすることで到着を5分以上早めることができた。

ディスパッチへ行き雪雲の状況をコンピューター上のレーダー・エコー図でチェック。
なんと新潟空港を中心に、半径20kmの円を描くように発達した雪雲があるのだ。
通常雲は時間と共に西から東へ移動するのだが、過去から現在までのエコー図を動画で見ても
何故か同じ場所に雲がある。
東に移動しては消え、また同じ場所(空港の西)に雲が沸いているのだ。
だが、幸い横風は弱く、なんとか着陸は問題なさそうだった。

新潟への行きは FL370 で飛行した。
雲の上を揺れることなく、ジェット気流の追い風を受けてあっという間に新潟へ到着した。
滑走路に積もっていた雪が、到着間際に溶け出しスラッシュに変わったが、
横風が弱かったので問題無く着陸できた。

帰りはどこを飛ぼうか?
向かい風が強く、新潟から福岡までの距離を、高い高度(FL350、FL390)の風速と飛行機の速度で割ると、
明らかに定刻を30分近く送れてしまう計算だった。
燃料は余計に食うが、低高度で行けば向かい風が弱いので計算上 10分 時間を縮めることができる。
FL200 で行くことにした。
新潟を上がって最初は FL200 は気流良好だったが、小松に近づくにつれて揺れ出した。
小松空港の上空には FL180 〜 FL190 の間、自衛隊の飛行機が通る通路があり、
民間機がその空域を通過するためには管制官と自衛隊とで調整してもらう必要がある。
小松空港を通過するまで待ってから 18,000ft まで降下する許可をもらった。
再び気流良好の中、福岡空港へ向かった。

福岡から新潟へは 37,000ft で行き、帰りは 18,000ft だったわけだから、
およそ半分の高さの場所を飛んだことになる。
そう考えるととても不思議だ。
今日は低高度は完全に雲に覆われ、せっかく普段より沢山燃料を燃やして低高度を飛んだのに、
きれいな景色が見えなかったのはとても残念だった。



2001.02.14

休日を自宅でゆっくりしていた夕方、会社から電話が入った。
明日の勤務は 伊丹 →千歳 の DH で始まるのだが、予約が取れないのだという。
航空券は既にもらっていた。
予約が取れたので予約番号をチケットに書いておきます、と言われてチケットを手渡されたのに何故だ?
その便で移動する2名のうち1名の分だけ予約が取れ、それは私ではないのだそうだった。
トホホ・・・・
伊丹からの便で他に利用できるのは 伊丹 → 羽田 → 千歳 と羽田で乗り継ぐ DH であり、
それに乗るには家を8時前に出なくてはならなかった。
オリジナル・スケジュールでは家を 10:05 に出るはずだったので、2時間も勤務時間が早まってしまう。
もう一つの選択肢は 関空 → 千歳。
これだと家を8:40に出れば間に合いそうだ。
というわけで、関空発の便で行くことになった。

そういえば13日も DH でカウンターへ行ったら GH さんに予約が落ちていると言われた。
あの便が満席でなくて良かった。
もし満席だったらそれこそ臨泊になっており、今日の休みはなくなっていた。



2001.02.15

朝 8:40 に家を出て関空へ向かった。
チケットがないので自腹で片道 35,000円で千歳行きを購入。
あとで支払書で対応。
それにしても航空券って高いなァ、とかなり驚いた。
私は国内旅行をしないし、海外へ行くときも格安チケット、パッケージ・ツアーしか利用しない。

無事飛行機に乗り込みホッとしていると、Push Back 開始。
しばらくしてアナウンスが入り、GTB(Ground Turn Back)するという。
どうやら計器類に不具合が発生したため Spot に戻り、整備作業をするようだった。
私の乗務予定の便までは2時間以上あったので、
私は良かったが、かなり沢山のスキー客が乗っていたので、できるだけ早く出発できればいいけど・・・・・
15分程してから飛行機は直り、出発した。

勤務は、千歳 → 松山(238)、松山 → 関空(224)、関空 → 松山(223)。
ディスパッチへ行くと最後の223便で飛行機が代わるとのこと。
通常だと最後まで同じ飛行機を使うのだが、どうやら関空で今晩整備がスケジュールされているようだった。
飛行機へ向かうと詳しい旅客情報が入ってくるのだが、
223便にはハワイ沖で沈没した「えひめ丸」の関係者が何名か乗ってくる予定になっていると報告を受けた。
私達はいつも定刻を目指して努力して運航しているが、今日のような特別のケースはなおさらだ。
なんとしてでも 223便は定刻に出発し、定刻に到着したいが、
Ship Change(飛行機の乗り換え)があるといつも出発が遅れてしまう。
また珍しく 238、224便は満席で、清掃に時間がかかるためなおさら定刻を守るのが難しい。
とにかく 224便で関空に定刻より早く到着して次便の準備をしないと。
乗務員全員がそう感じていたに違いなかった。

238便にお客さんが搭乗を開始すると、それまで晴天だったのに雪が強く降りだした。
これですんなり Push Back をできなくなってしまった。
飛行機の除雪作業をしなければならないし、路面に雪が積もると滑りやすいので
Push Back しながらエンジンをかけることができない。
Push Back が終わってからパーキング・ブレーキをかけてエンジンをスタートしなければならないのだ。
やっとエンジンをかけ終わり10分遅れで滑走路へ向かうと、雪が積もり出したので滑走路を点検するため
2本ある滑走路のうち1本しか使えなくなっていた。
(2本滑走路を使うときは1本を離陸に、1本を着陸に使えるためあまり待たずにすむ)
到着機があるため離陸を待つことになり、結局15:04に離陸した。
定刻14:35発なら晴天なら14:50までには離陸できることがほとんどだ。
この時点ですでに15分遅れとなってしまった。

当初 FL350 を予定していたが、高高度はジェット気流で向かい風が強く時間がかかる。
余計に燃料は食うが FL280 なら飛行時間を 5分縮められる。
幸い中間高度も今日はあまり揺れていないようだった。
飛行機のコンピューターが計算した最も燃費の良い速度はマック(マッハ)0.76 だったが 0.79 で飛ぶことにした。
離陸するとコンピューターが自動的に松山到着時刻を計算してくれる。
それによると 17:17 の予定だ。
定刻は 17:00。
Spot-in まで入れると到着は 17:20 を過ぎそうだった。
松山でのステイ・タイム(到着時刻から次便の出発時刻まで)は 40分ある。
通常は 35分。
短いときで 30分。
10分は余裕がある、と考えられる。
それなら 17:10 に Spot-in できれば次便(224)を定刻で出発できるはず。
どうすればいいか・・・・
近道はできないだろうか?

飛ぶ便によって航空路は通常決まっている。
千歳 → 松山 は新潟から名古屋へ行き、大津を通って岡山へ抜けるのが普通だが、
これだとかなりジグザグに飛行してしまう。
一直線に飛べば飛行距離は短くなるのでそれだけ早く着けるのだ。
地図を見て、最も近いコースを探すとあった。
新潟から小松を通り、宮津(天橋立の近く)を経由して岡山へ行くのだ。
だが、管制官から許可をもらわなくてはならない。

ジグザグに飛ぶのには理由があるのだ。
近畿の上空は東西に飛行する飛行機と、大阪、関空、名古屋にアプローチする飛行機とで混雑しているため、
飛行機の通り道が決められている。
私達の考えた飛行経路では混雑した道路を信号を無視して渡るようなもので、
他の飛行機との管制間隔を維持しなくてはならない管制官にとって大変なことなのである。
よっぽどの理由がなければ勝手に航路を変更することは許可されないのだ。
どんな理由で許可を求めようかキャプテンと相談して、向かい風が強く到着が 20分遅れであることを告げることにした。
「Request route change.」(飛行経路の変更をお願いします。)、と聞くと
やはり 「Say your reason.」 (理由は何故ですか?)と管制官に聞かれた。
打ち合わせた通り 238便が 20分遅れていることを告げたが、
Unable.」(その理由では許可できません。)と言われてしまった。
仕方ない。 よっぽどの理由がなければダメだろうな?ということは分かっていたので諦めることにした。
だが、しばらくしてもう一度聞いてみることにした。
宇和島水産高校の「えひめ丸」の関係者を 223便で松山に定刻に送り届けたい旨を伝えた。
Stanby.」(しばらくお待ちください。)と言われてしばらくしてから飛行経路変更の許可が出た。
心の中で、ありがとう!と叫びながら、無線では穏やかに 「Thank you.」 と感謝を伝えた。

当初 238便は17:20到着予定だったが、17:04 に到着。
定刻 4分遅れにまで時間を縮めることに成功した。

千歳を出る前、キャプテンが 224便か 223便を私に操縦させてくれると言っていた。
必要書類に書き込みながら、もし 223便を頼まれたらどうしようかと不安に感じていた。
アナウンスを入れた方がいいのか?
入れるなら何と言えばいいのか?
そう悩んでいるとキャプテンが聞いてきた。
どっち操縦する?
私は出来れば 224便で 松山 → 関空 を操縦したいと伝えたが、
いつもと同じように飛べばいいのだから、ということで私は 223便の担当になった。

ディスパッチへ行くと悪い知らせ。
223便で使用する飛行機は宮古島から戻ってくる飛行機(712便)だが、
定刻 18:25 着のところが 18:40 の 15分遅れの予定だという。
わがままを言い、かつ管制官の仕事量を増やしてしまったのに、その努力が水の泡となってしまった。
それでももしかすると712便は少し早く到着するかもしれない。
私達は急いで 224便で関空へ向かった。
712便の到着が遅れる、ということで 223便の準備はかなり急ぐ必要があるため、
キャプテンが 223便を操縦し、私は 224便の担当になった。

関空は視程が悪く ILS24 をやっていたが、アプローチが長く着陸まで時間がかかる。
私達の前を飛行する飛行機は間もなく着陸。
私達はかすんでいたが飛行場が見えたので Visual Approach を要求した。
許可されれば到着が3分は早まるし、ひょっとすると私達の後の飛行機も Visual Approach を要求し、
712便の到着も早まるかもしれない。
「Request Visual Approach.」と要求したが、視程が悪いのでダメだと言ってきた。
そこで 「Airport Insight.」(飛行場が見えています。)と言い換えると
Clear for Visual Approach Runway 24.」 と許可が出た。

224便で Spot17 に到着後、飛行機を降りて 712便が到着する Spot 20 まで歩いて CA と移動した。
我々の後続機も ILS24 をせず私達の思惑通り Visual Approach をして時間短縮したが、
712便はそれでも 17:40 に到着した。
Spot 20 にはビデオカメラを持った報道陣、普段はいない警備員、A社とうちの会社の偉そうな人達数人が待機していた。
「えひめ丸」の関係者 5名の搭乗と降機の要領に関するブリーフィングを受けてから私達は飛行機に乗り込んだ。

関係者達は最後に飛行機に乗り込んできたが、ビデオカメラマンが撮影しながら彼らの後を追い、
その後カメラマン達は飛行機を外から撮影するために階段を下りて Ramp に出ていった。
Push Back 中、地上滑走開始まで撮影していたようだった。

定刻出発を目指して Push Back の時点で 9分遅れの 19:09 だった。
清掃の方達も頑張って大急ぎで仕事をしてくれたが、それが精一杯だった。
滑走路24へ向かうと渋滞していた。
関空は 19:00前はほとんど待たずに出発できるのだが、
19:00 を過ぎると国際便の出発機と到着機でごった返すのだ。
羽田や千歳と違い、滑走路が1本しかないために時間がかかってしまう。
(だからといって1日のうち1、2時間の渋滞のためだけに、もう1本滑走路を作る必要性があるのかは分からないが。)
結局離陸したのは 19:37。
滑走路の手前で15分も待つことになってしまった。
当然到着時刻も大幅に遅れ 20:17 だった。(定刻19:50)

私達乗務員は全員で努力したが、全く力が及ばなかった。
燃費の悪い飛び方もしたし、管制官に迷惑もかけたが、ダメだった。
でもベストは尽くしたので仕方ないか・・・・

スケジュールでは 10:05 に家を出る予定だったのが 08:40 に変更になり、
また地上でも上空でも今日は色々考えることが多かったので疲れた。
そんな話をキャプテンにしたが、キャプテンはもっと大変だたようだった。
07:20 に家を出て、会社でデスクの仕事を 09:00 には始めており、勤務終了は 20:50 だったのだから。
みなさん、お疲れ様でした!



2001.02.16

NH444 松山−伊丹 1120 − 1210(便乗によるDH)
409便 伊丹−高知 1445−1525
410便 高知−伊丹 1555−1635
179便 伊丹−石見 1710−1810
578便 石見−羽田 1840−2000  2030に終了

上空に寒気が入り、天気予報では日本海側で雪の予報。
松山でも雪が降る予報が出ていた。
DH で伊丹へ向け降下中、大きく揺れるところがあった。
伊丹−高知 は何フィートで飛べばいいのかな?
揺れない場所あればいいな。
そんなことを考えていた。

伊丹、高知ともに強風注意報が出ており、地上に近い場所(離着陸付近)では大きく揺れそうだった。
その上には雪雲があり、雲の中を通過するときに揺れ、雲の上約 15,000ft を超えれば気流は比較的良好とのこと。
石見は継続して雪が降り、今のところ着陸するのはかなり難しい状況が続いていた。
ILS でまっすぐ滑走路に降りれれば問題ないのだが、風が ILS と反対側のため周回進入をし、
滑走路の反対側に回って降りなくてはならない。
ILS で着陸する場合、降下してよい最低高度は滑走路からの高さは 200フィート。
風が反対で周回進入する場合は滑走路からの高さ 1400フィートまでしか降りることができない。
石見の雲は低く、雲の底の高度は滑走路からの高さ 1200フィート。
これではアプローチしても雲の下に出れないために滑走路は見えない。
また、例え滑走路の下に出れたとしても周回進入するために滑走路から離れてグルッと反対側まで回るのだが、
この時雪により視程が悪く滑走路を見失えばゴーアラウンドしなくてはならない。
とても難しい状況だった。

と、いうことは、キャプテンが石見を操縦していくはずなので、私は 伊丹−高知 を任されるんだろうな。
気流悪そうだけど、高知やってく? 離着陸自信ある?
キャプテンが聞いてきた。
私は生意気にも 「ええ、自信あります。」 とサラッと言ってしまった!

飛行機には既に CA がいた。
彼女達の今日のスケジュールは 伊丹−高知を2往復してから
石見経由で羽田まで飛ぶ 6ラン(6回離着陸をすること)のパターン。
とても疲れる勤務だ。
私達の方が若干楽な勤務であり、こんな時は恐縮してしまう。

伊丹−高知 は気流不安定な中、何事もなかったし着陸もまずまずだったように思う。
高知へアプローチ中、180便(羽田 → 石見)が離陸し、
カンパニーで飛行場周辺の雲の状況をレポートしているのが聞こえた。
つまり、石見へ着陸が出来たわけだ。
高知もディスパッチでさっそく石見空港の天気をチェックすると、雪は止み天気は回復していた。
朝から石見空港上空に張り付いていた雪雲も空港の南東に移動していた。

179便(伊丹 → 石見)。
途中近畿のカンパニーで石見の最新の天気を取ると、若干雪が降り出したようだった。
だが雪雲は薄く、降雪は弱いので問題ないとの見解。
石見のカンパニーと連絡を取り状況を聞くと、やはり問題なく降りれる程度の状況。
ILS で西から東へ降下し、滑走路が見えたら北(左)に旋回し、滑走路を右に眺めながら反対側へ行って
空港の東側から着陸する計画。
到着予定時刻は周回進入をする分時間がかかり、定刻より 5〜10分遅れる予定。
お客さんは29名だし、清掃には時間はかからないだろう。
ステイ・タイムはスケジュール上で 30分だから実質 25分弱か・・・・
ま、なんとか羽田行き 578便は定刻で出れるだろう。

ILSの電波に乗り高度を降ろしていくと海上は雲が高く視程は極めて良好。
飛行場があるであろう海岸線も見えていた。
だが、空港の北から雪雲が接近し、雪がカーテンのように飛行場周辺を覆っている。
最低降下高度の 1400フィートに達する前に、進入灯と呼ばれる滑走路の手前にあるライトが見えた。
これが見えれば周回進入をしても良いのだ。
最低進入高度 1400ft に達し滑走路に近づくと PAPI と呼ばれる滑走路の脇にあるライトも視認できた。
だが滑走路自体は全く見えない。 降雪が激しすぎるのだ。
これでは周回進入をしたところで滑走路は見えない。
ゴーアラウンド。

あーあ。
こんなはずじゃなかったのに。
燃料は余り積んでないから長いことホールディングは出来ないし、
雪雲が通過しないと降りれないだろうからどこへ行くのかな?
代替飛行場は山口宇部と伊丹だけど、宇部には行ったことないからできれば伊丹がいいな。
お客さんはどっちに行って欲しいんだろう?
29名しか乗ってないとはいえ、多数決で決めるわけにもいかないしな。
私の明日の勤務は DH で羽田から関空へ移動後、関空で始まるから
今日伊丹で終わって家に帰れるといいんだけど、そんなに甘くはないか。
今日の勤務が羽田で終わるっていうことは明日、早朝からこの飛行機を羽田発の便に使うはずだから
伊丹 → 羽田 をフェリーする羽目になるのかな。
山口宇部にダイバートしてから 羽田にフェリーするより、伊丹からの方が早く仕事は終わるよな。
でも 石見 → 羽田 は珍しくお客さん 100名もいるし、私達がダイバートしたらショックだろうな。
降りてあげたいな・・・・・・
そんなことを考えながらホールディングする所定の場所、海上を北へ向けて 4000ft で飛行していた。

ホールディングに入り旋回しながら石見空港へ機首を向けたとき、機上レーダーで雪雲の状況を確認。
まだ大きなエコーの真中に飛行場が映し出されていた。
もう少し雲が動いてくれないとアプローチは無理だろうな・・・・
ホールディングはレーストラックのような形を描きながら旋回を続ける。
一周するのに約4分程度かかるのだが、飛行場へ向けて飛行する直線部分が約1分ある。
そのときレーダーを使って雪雲の動きを観測するのだ。

一回ホールディング・パターンを回り、2周目のとき飛行場の明かりが見えた!
レーダー上では以前として雪雲が飛行場を覆っていたが、
どちらかというと ILS でアプローチした西側により厚い雲があり、東側は通り過ぎようとしているように見えた。
キャプテンと話し合い ILS ではなく、海上からのアプローチ、飛行場に対して北からのアプローチをして
雲をよけながら空港の東側へ旋回し着陸を試みる作戦に変更。
すぐに管制官にアプローチの許可を求めた。
これをミスると(= ゴーアラウンドすると)燃料が足りないのでダイバートしなくてはならない。

飛行場まで 14マイルまで 4,000ft を維持してから 3,000ft まで降下。
10マイルまで 3,000ft を維持してから 1600ft まで降下し、飛行場まで 5マイルの地点から 1400ft まで降りる。
ここまでに着陸形態を整えておく。
激しい雪に視界を阻まれないように通常より離れたところからアプローチ・コースを離れ、
雪雲と降雪を東へよけながら飛行場に接近していく。
滑走路に対して正対したところで高度約 600ft 。
この辺から接地するまで1分程度なのだが、除々に降雪が激しくなり視界が悪くなっていった。
だが、滑走路に入りタイヤが接地するまで着陸が許される気象状況を保つことができた。
滑走路の東の端(進入端)の路面は濡れた状態だったが、反対側は路面が白くなり雪のようなものが積もっていた。

最新の飛行場の気象情報によると、雪はあられ混じりとなっていた。
そのため夜間でライトに照らし出される白い粒が、雪ではなく丸い形をしていた。
これはあられか・・・・・
確かあられが滑走路面に積もっている状態での離陸禁止だったよな。
空港の運用時間は 20:30 までで、それ以降は空港は閉まってしまう。
まだ雪雲は通過しきっていないし、あられが溶けきらないと離陸できないし、
外気温度は高いので仮に溶けてスラッシュになると横風制限にひっかかって離陸できないし・・・・・
うーーーん。
これはひょっとして石見空港に臨泊?
激しい降雪のため管制官が見える範囲は限られており、そこの路面は濡れているだけだ。
まさか滑走路の西の端は雪が積もっているとは思ってないだろうな。
キャプテンと相談し、管制官に路面状況を通報し、滑走路の滑りやすさを計測してもらうことにした。

しばらくして計測を終えた人が戻ってきた。
彼によると路面上の雪、又はあられは溶け、濡れているだけだという。
良かった、これで羽田へ向けて出発できる。
飛行機へ戻り、出発の準備を開始。
到着が遅れたため飛行場の運用時間は迫っていた。
整備さんが飛行機を点検した結果、翼の上面に若干積雪が認められるので
除雪作業をお客さんが搭乗し終わってからすることになった。
これの作業で離陸が 5分程度遅れる。
腕時計を見ながら空港の運用時間の終了時に飛行機がいなければいけない地点から飛行場までの距離を考慮し、
逆算して何分までに離陸しなくてはいけないのか、そのためには何分にエンジン・スタートをしなくてはいけないのか、
何分に除雪作業が終わっていなくてはいけないのか計算する。
刻一刻とその時間が近づいてくると気持ちがあせってくるが、
あせればあせるほど操作にミスが起きやすいので自分の気持ちを制するように努力するのだ。

結局、空港の運用時間終了の2分前に所定の地点を通過することができた。

羽田は北風が強かったせいか空気がとても澄んでおり、夜景がとても美しかった。
(風が強かった分、着陸前は大きく揺れたのだが。)
房総半島の先端付近から東京タワーがくっきりと見えるのはめずらしい。
こうして見ると東京湾って結構狭いなァ・・・・
そう感じた。
羽田には定刻を 30分遅れて到着した。
お急ぎのところお客さんに迷惑をかけてしまったが、
石見空港に着陸できたために全員東京に送り届けることができて良かった。
その中には石見で休暇を過ごしたうちの会社の CA 3名も搭乗していた。



2001.02.17

関空を上がって一路宮崎へ向かった。
宮崎に着陸するのは恐らく1年ぶり以上だ。
しかも 関空−宮崎 を飛ぶのも初めて。
このパターンは通常福岡クルーが乗務している。

FL240 は当初スムースだったが、高知を過ぎるころ気流が悪くなったので FL200 まで降下し、気流良好となった。
管制官に降下を開始するとすぐ我々のスピードを聞いてきた。
その時 300kt だった。
これは前か後ろに飛行機がいるんだろう。
増速させられるか、減速か。
しばらくして 260kt に減速するよう言われた。
負けた!
相手は誰だ?
TCAS を使って探したが近くにはいなかった。
相手機には 320kt まで増速するよう管制官は指示を出していた。
きっと宮崎行きに違いない・・・とタイムテーブルをチェック。
やはり東京から来た便(613便)で、まもなく TCAS 上に機影が移った。
その飛行機は FL260 で飛行中だった。
高度を FL240 から FL200 に降ろすと地面に対する相対的な速度は減る。
恐らく 613便とほぼ同タイムに宮崎へ到着しそうだったが、私達が降下したから減速させられたのだろう。
それほど大きな揺れではなかったので我慢すれば良かったか。
613便の定刻は18:10で私達は18:05。
私達に先に行かせてくれても良かったのでは・・・・・・

高知を過ぎると宮崎までは海上を飛行する。
宮崎空港は海に面しており、海岸線は南北、滑走路は東西に伸びている。
今日の風では空港へは西から東へ向けてアプローチしたのだが、
高知からずっと見晴らしのいい海の上の飛行でとても清々しかった。

さて、間もなくして 613便が降下を開始した。
なんでこんなに手前から降りるのだろう?
私達の降下計画では彼らの降下は早すぎるように感じたのだが、どんどん高度を降ろしていく。
高度 10,000ft 以上は 300kt を超える速度で飛んで良いのだが、10,000ft 以下は最大速度は 250kt と決まっている。
613便が先に行ったため、我々は減速させられたわけで、できるだけ高めにアプローチして
10,000ft 以下に降りて欲しくなかったのだが、降りられてしまった。 当然私達も 250kt に減速させられた。
結果的に私達の降下計画だとほとんど着陸までパワーを足さないでよい理想的なアプローチとなり、
降下開始点の計算は正確だったことになる。
彼らは 2,000ft に達してから水平飛行を 5マイルはしていた。
天気はとても良く飛行場は遠くから見えていたので、出来れば 10,000ft 以上の高度で長いこと飛んで欲しかった。

折り返しの 熊本 → 関空 は FL210 で帰った。
気流もよく、空気が澄んでおり夜景と星空がきれいだった。
関空へのアプローチ機はほとんどいなかったようで、私達が一番目かと思われた。

突然関空の管制官に南へ90度近く旋回するように指示された。
なにィ!? どこに飛行機がいるんだ?
見回したが同じ高さ付近にはアプローチ機はいない。
夜は暗いので飛行機のライトが見つけやすいのに、どこだ?
TCAS を見るととてつもなく低い高度に1機いる!
なんでこんな場所で 10,000ft 以下に降下してるわけ?
ってことは、もう 250kt で飛んでるの?
まだ20マイル近く 10,000ft 以下に降りなくていいでしょ!?
310kt で私達は飛行しており、高度さは 7,000ft 。
250kt まで減速するしかない。
しばらくすると相手機は私達のほぼ真下に来た。
アプローチ機同士は 10〜15マイルは離れるように管制官は並べていく。
関西空港は見えているのに我々の飛行機と関空を結ぶ直線に対して垂直に飛行し、
しばらく行って180度旋回し反対方向へ垂直に飛行させられてしまった。
このジグザグ飛行で飛行場へはほとんど近づくことはない。
コンピューターの計算する到着予定時刻が 6分遅れになってようやく飛行場の方向へ旋回する指示が出た。

しばらくしてその飛行機を管制官が呼ぶのを聞き航空会社が分かった。
North West だ。
外国のエアラインで要領を得てないのか。 仕方ない。
国により減速する高度も違うのだろうし、慣れない飛行場へのアプローチということで早めに高度を降ろしてしたのか。
でも飛行場があんなにくっきり見えていたのに、どうしてそんなに早く降りなければいけなかったの?
と聞きたいくらいだった。

関空へは Visual Approach 24 だ。
通常滑走路に対して平行に滑走路から 2.5マイル程度を飛行し(Downwind)、
滑走路の延長線上に直角に旋回し(Base Leg)、
最終的に滑走路の延長線上に乗るように旋回して(Final)着陸する。
何を思ったか North West は 5マイル巾 の広い Downwind を飛んだ。
これでさらに着陸が遅れるのである。

North West の頭上を越えて、私達の降下計画で 310kt で高めにアプローチし、
10,000ft 以下で 250kt を維持しスピード・ブレーキを使って一気に降下すれば、
North West のアプローチを邪魔することもなく、North West を大きく引き離して着陸できていたことだろう。
宮崎へは私達が先に高度を降ろしたから後回しにされ、関空では高度が高かったから後回しにさせられてしまった。



2001.02.19

スタンバイ稼動で楽なパターンになった。
関空v− 宮崎 を往復するだけだ。
福岡の乗員の予定だったが、福岡で雪が降って機体除雪をしたとき
路面にこぼれた防除氷液で滑って転んで骨折してしまったらしい。
その便は欠航になってしまったとか。
きっとそのキャプテンは気まずかったんだろうな、と思う。
北海道では路面が凍りつき、外部点検中に転びそうになることがある。
気をつけないと。

さて、出勤は午後だったので朝ゆっくり起きた。
妻に頼まれていた玄関用の小さな棚を作るためにホームセンターへ行き、木材とネジを購入。
お昼はお好み焼きが食べたくなり、妻が材料を買い出しに行っている間に私はジョギングに出かけた。
家に戻り近くのスポーツジムへシャワーを浴びに行った。
(もちろん家にもお風呂はあるが、ジムのジャグジーが気持ち良い)
今日は仕事からの帰りが 21:30 頃。
帰ってから風呂に入るのがめんどくさいので、仕事前に風呂へ行っておきたかったのだ。
こうしていると独身時代の怠惰な生活を思い出すのだが、これがなかなか気持ちが良い。

気分良く体を洗いながら、家に帰ってからすることを考えていた。

家に戻ってから1時間はあるな。
きっとお好み焼きを作るのに時間がかかるだろう。
次の休みにすぐ棚が作り出せるように線引きして、穴を開ける位置も書いておこう。
ついでに丸ノコ(電動ノコギリ)で切ってしまおうか。
時間的余裕はありそうだぞ。
イヤ待てよ。
以前出勤前に丸ノコ使っていて、気持ちがあせってたせいか刃の回転が止まる前に親指が触れて大怪我したっけ。
血が吹き出て止まらず、軟膏ぬって2泊3日ズキズキしながら仕事へ行ったっけ。
やっぱり切るのはやめとこう。
でも一度失敗してるから今度は気を付けるだろうし大丈夫かな?
そういえば一昨日 関空 → 宮崎 で宮崎に着陸したとき、丁度夕暮れだったよな。
ってことは18:00 頃か。
ん・・・・・ 出勤時間遅すぎないか?
だってフライトに1時間かかって、Show Up はその1時間前だろ?
関空まで1時間半みて何時のバスに乗ればいいんだ・・・・・・?
ヤッベー!!
1時間間違ってるよ!
あと20分で家出ないと間に合わないじゃん。
体洗ってる場合じゃないぞーーー!!!

だが、とりあえず体を洗い終えてから風呂を出て、チャリをかっ飛ばし家へ大急ぎで帰った。

結局お好み焼きはお預け。
晩御飯に回った。
昨日と一昨日の残り物をチーンしてかきこみ、妻へ車でバス停へ送ってもらった。
腹をすかし、お好み焼きを食べ損ねた妻は、車の中でボソッと言った。
送り迎えの車代、ガソリン代、時間給、会社に請求しといてね。

今日一緒だった CA がチョコレートをくれた。
これを持って帰れば妻の機嫌は直るだろうか・・・・・・?
そんなことを考えながら関空からの帰りのバスの中でこのダイアリーを書いている。



2001.02.21

めずらしく 418便(高知 → 大阪)は 17,000ft で飛んだ。(通常 15,000ft)
雲が 16,000ft まであり、その上には星空が広がっていた。
長い路線で高高度を飛行する時は大抵星がきれいなのだが、低い高度では空気がよどみ、町の光が明るいため
沢山の星が見えることは少ない。
だが今日は関西エリアをベッタリ雲が覆い、町の光を遮断しているので星がよく見えたのだろう。
小さな星が隙間もないほどビッシリ空を覆い尽くしていた。
紀伊半島を北上すると真正面の北斗七星めがけて飛んでいるようだった。
コックピットの横の窓に顔を近づけ頭上を見上げると、
小さな星の砂の中にくっきり浮かび上がるようにオリオン座が輝いていた。
キャプテンの方からは天の川が見えているようだった。

なんでオレがオマエなんかと一緒にコックピットに居なきゃなんないんだよー。  冗談じゃねー!
 こんな日は女の子と二人で居たいよな。 口説くには最高だぜ。
」  とキャプテンがブツブツ文句を言っていた。
「何て口説くんですか?」
もう少ししたら降下しなくちゃならないけど、出来ればこのまま君と二人であの星を取りに行きたいな。

思わず大笑いしてしまった。
そんなこと恥ずかしくて到底私には言えない・・・・・
そうか、こういうことを平気でサラッと言えるから、このキャプテンは CA に人気があるんだろうな。
男性のみなさん、
観覧車に好きな女の子と乗る機会があったら、一番高い所を通過する前にでも言ってみてはいかかでしょうか?



2001.02.22





  休日の午前中に玄関に置く棚を作った。

  109×23×4cm の板、2枚 = 1000円 × 2 = 2000円
  109×18×4cm の板、1枚 =  750円

  木ネジ 75mm × 4.5mm 6本/袋 を1袋 = 100円
       65mm × 4.3mm 7本/袋 を3袋 = 300円

                材料費 合計 3150円


  幅 18cm の板を棚の部分として使うため 4枚に切るのですが、
  板の厚さは4cmで厚くノコギリで切るのは大変なので、
  ディスク・グラインダーに丸ノコを付けて切断しました。

  角はグラインダー用のサンドペーパーを使って落とすと早いです。

  ネジも長いのでキリだと疲れますから電動ドリルを使いました。

  線引きして切断、穴あけ、組み立てまで約1時間半で完成!


  天気のいい日に日曜大工するのも楽しいです。

  簡単なのでみなさんも是非作ってみてください。




2001.02.24

中標津発千歳空港行き(484便)で千歳へ向けてアプローチ中、
ジャンボの後方乱気流(2000.11.25 参照)に入ってしまった。
後方乱気流(Wake Turbulence=ウエイク)は翼が揚力を発生させるときにできるもので、
翼の先端から斜め後方に向かって広がる大きな渦だ。
この渦に小型機が入るとひっくり返ってしまうことがある。

後方乱気流は重量の重い飛行機(大型機)ほど大きく、また低速で飛行しているときほど大きい。
そして風が強い日は後方乱気流はすぐ消滅するのだが、弱い日は長いこと残ることがある。


羽田でアプローチ中、以前何度か滑走路の手前 10〜5 マイル近辺で
管制官がトリプルの後方約 3.5マイル程度のところに私達のエアバス320(小型機)を導いたことがある。
かなり接近していたが、風が弱い日にもそれほど大きな後方乱気流を感じたことがなかった。

遠くに見える先行機の形からボーイング767か、
ひょっとするとそれより大きいボーイング777(トリプル)かと思っていた。

今日は前方の飛行機との距離が 5マイルあった。
当然後方乱気流なんか影響するわけがないと思っていたが甘かった。
それまで気流はとてもスムースだったのに、突然ガツンと殴られるような衝撃があり、
瞬間的に左の翼が持ち上がり機体が一時的に 20度程度傾いた。
すぐに翼は水平に戻りしばらく気流は落ち着いたが、時々同じような揺れがあり、
確実に先行機の後方乱気流に入っていることが分かったので、最低速度まで減速しそれ以上近づかないようにした。
あとで分かったのだが、先行機はジャンボだった。

搭乗していたお客さんに不安な思いをさせてしまわなかっただろうか?



2001.02.25

羽田から中標津へ向かい飛行中、カンパニーの周波数で ATC をやっている人の声が聞こえた。

無線機には ATC とカンパニー、2つの周波数を表示できるようになっている。
音声をコントロールする部分にはこの他 CA と話をするためのインターフォン、
駐機しているとき外にいる整備さんと交信するためのインターフォン、
乗客へのアナウンスをするための切り替えスイッチ等、
声を発するために必要な全てのチャンネルに接続できるようになっている。
丁度、ステレオのMD、CD、ラジオ、テープ、外部出力等、切り替えスイッチがあるのと同じ原理だ。

ATC が VHF−1、カンパニーが VHF−2 なのだが、無線を使って交信する際、
無線機の送信ボタンを押した時、今どちらの周波数で送信するように設定されているのか確認しないといけない。
だが、よくこの確認を忘れてしまうのだ。
カンパニーの周波数が使用中なのに、ATC だと思い ATC を呼び出すことも多々ある。
当然 ATC には聞こえていないので、呼び出しても返事は無い。
返事がなければ相手が聞き逃したと思い、もう一度呼び出す。

パイロットが ATC をカンパニーの周波数で2回呼び出した。
しばらくして、「カンパニーです。(ATCではありませんよ。 周波数間違ってます。)」
カンパニー無線を担当していた方に ボソッ と言われしまっていた。

私もよく同じミスをする。

上空で聞いていると、色々面白い送信を聞くことができる。

パイロット : 「えーと・・・ コーヒー、ブラック2つお願いします。」
管制官   : 「ちょっと持って行けないんですけど。」

パイロット : 「操縦席よりご案内申し上げます。 本日も・・・・・」(客室へのアナウンスをしている)
管制官   : 「お疲れ様です。」

宮古島 → 関空 へ飛行中、鹿児島の辺りで突然鼻歌で演歌が聞こえてきたことがある。
数十秒して、「キャプテン、無線入ってます。」 と副操縦士の声がキャプテンのマイクを通して
とても小さい声だったが聞こえた。 すぐ 「ブチッ」 と演歌の送信は止まった。
無線の送信ボタンには押しているときだけ送信するものと、
送信ボタンを押しつづけることが出来るボタンと 2つあるのだ。
間違って後者のスイッチを入れっぱなしにしてしまったに違いない。
数分後、次の周波数の管制官と交信するようにある飛行機に指示が出た。
そのとき返事した声が、まさに演歌の声の主だった。
私と一緒に乗っていたキャプテンと思わず、「この人だ!」 と吹き出してしまった。

幸い、私は顔から火が出るほど恥ずかしいミス無線送信をしたことが今だない。

みんなが聞いている周波数で全国放送をしてしまったとき、誰かが面白い返事をすることもあるのだが、
大抵はシーンと静まり返り、無視されることの方が多いような気がする。
この沈黙がとてもつらいし、気まずい。

これは日本の空でだけのことではないだろうか?
国際便で外国に行くことのない私なので分からないが、外国人だったら必ず誰かが突っ込んでくれるような気がする。
せっかくミスして恥ずかしい思いをするのだから、それをネタに誰かが突っ込み
無線を聞いているみんなが大笑いできるような、そんな雰囲気があったらいいと思う。
もちろんあざ笑うのではなく、温かい笑いが好ましいのだが。

日常生活でもあるのではないだろうか?
自分がとんでもない失敗をしたとき、みんなが見て見ぬ振りをしたり、座がしらけたり。
イヤミに聞こえないように、サラッとそれを笑いに変えることが出来るような突込みのセンスを磨きたいものだ。

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中標津空港でトイレに行ったあと、事務所に戻り、外を歩いて飛行機まで行き、
CA と話をしてからコックピットに入り出発前に準備をしていたとき、私の社会の窓が全開なのに気がついた!
ほとんどずっと上着を着ていたが、上着を脱いでシャツだけのときもあった。
うわ、誰かに見られたかな?
パイロットが社会の窓全開で、空港内をさっそうと歩いているのを乗客が見たら何て思うだろう?
格好悪すぎだよなぁ・・・・・
こんなとき、私は誰かに突っ込んで欲しい。

あるとき DH で乗る飛行機を待ち、ロビーにいたときのこと。
お手洗いから出てきた女性を見てビックリ!
スカートの後ろの部分がパンストに挟まり、お尻が丸だしだった!
一緒に移動していた同僚の男性2名、それに気がつき赤面しつつその女性と話をしている。
しばらくしてボーディングが始まったが、誰も彼女に教えてあげないのだ。
お手洗い内の洗面所に他に女性客はいなかったのだろうか?
私はなんとかしなきゃ、と思いつつ、男性の私が言ったらとてつもなく恥ずかしいだろう、と思い
そばにいたGH(グランド・ホステス)にその女性に教えてあげるようお願いした。
あら、まァ、大変!!」 とすぐ GH は走っていった。

笑いに変えることができる話術で突っ込むのもいいが、
突っ込まれる側としては好む人もいれば迷惑がる人もいるだろう。
恥ずかしさに耐え、そっとしておいて欲しい人もいるはずだ。
教えてあげることが差し出がましいこともある。
どうするのがベストなのだろうか?
難しい・・・・・・