2001.04.01  高所恐怖症でもパイロットになれる??

私は高所恐怖症だ。 小さい頃から高い所が怖かった。
歩道橋の上から車の通る道路を見下ろすのが怖かった。
家族旅行に行ったとき、灯台の手すりに手をかけることすらできなかったのを覚えている。
つり橋も大嫌いだ。 足がすくんでしまい、一歩も前に進めないのである。
それは今も同じこと。
東京タワーや高層ビルの展望台に登っても、決して窓際に立つことができない。
ニューヨークのワールド・トレーディング・センターが私が立った最も高いビル。
あそこには窓際の床がガラス張りで真下が見えるところがあったような気がする。
恐ろしかった。 チビってしまいそうだった。

副操縦士は航空身体検査を毎年1回、キャプテンは2回受ける。
大阪の乗員は関西空港の近くのゲートタワー・ビル内にある診療所に行く。
そこの診療所は昼食券をくれるのだが、
ゲートタワー・ビルの53階にある中華レストランで昼ご飯を食べることができる。
大阪に転勤になり、初めて航空身体検査を受けにゲートタワーへ行ったとき、昼食券に感激した。
こんなきれいなホテル内にあるレストランで食事が出来るの? しかもタダで?!
私には未知の経験で、ドキドキしながらいざ53階へ向かった。
高速エレベーターのドアが開くと、正面に大きな窓が一面に広がり、晴天の景色がとても美しかった。
ウワー! と窓に走り寄ったのだが、床までガラスなため足元に地上が見えた!
その瞬間私は固まってしまった。
ひざが曲がり、内股になり、ちょっと前傾姿勢で固まりながらも
振り向いて窓ガラスに背を向けようとしたが体が動かない。
そのままゆっくりと、一歩一歩後ずさりして、ガラスから2メートル程離れて、やっとホッと一息。
あー怖かった。 と右を見ると、そこは中華レストランの入り口でボーイがこちらをジッと見ていた。
しまった、見られた!
昼食券を見れば、私がパイロットであることが分かるようになっている。
とても恥ずかしかった。

バンジー・ジャンプやスカイ・ダイビングなど、
例え太陽が西から登ってもやってみたいとは思わない。
だが、不思議なことに観覧車や、高いところから一気に降りるジェット・コースター、
そして飛行機は全く怖くないのだ。 何故だろう??
あれは乗り物だからだろうか?


2001.04.02

YS−11が出来た当時、オートパイロットはありませんでした。

古い時代、副操縦士は滅多に操縦をさせてもらえませんでした。
機長に色々飛行機について質問され、
それに答えられなければ勉強不足、ということでさらに操縦をさせてもらえなかったそうです。

オートパイロットがついていなかった頃、一日何時間もマニュアルで操縦するのは大変です。
機長が離陸、上昇後、水平飛行は副操縦士にやらせ、
降下、着陸まで再びキャプテンが操縦したこともあるようでした。

水平飛行中はパワーを変えることはほとんどなく(車のアクセルを一定に保つようなもの)、
ひたすら高度計の針が動かないようにまっすぐ飛行するだけです。
時々変針するため若干旋回することがある程度で、
操縦桿を握っているとはいえ、ほとんど動かすことはありません。
それを果たして操縦と呼ぶのかどうか?
でも当時ほとんど操縦することがなかった副操縦士は、喜んで引き受けたそうです。

私が札幌にいた頃、月に数回程度しか操縦させてもらうことはありませんでした。
さらに冬季、滑走路上に雪が積もっているときは規程上、副操縦士の操縦は禁止されていました。
これでは操縦は上達するどころか、カンが鈍りハードランディングばかり。
そうすると、下手だ、というイメージを機長にもたれ、さらに操縦する機会を失いました。

同じ時期に福岡へ転勤になった私の同期は、若いキャプテンと乗ることが多く、
1日に4回フライトがあれば、必ず半分は操縦させてもらえた、と言っていました。
札幌は仕事が忙しく、月間の飛行時間は福岡の倍以上だったにもかかわらず、
雪がない時期でも離着陸回数は彼らの 3分の1以下、冬季は 0回で、彼らをいつも羨ましく思っていました。

A320で操縦をしていて、今はグレート・キャプテンになった機長に上空で質問され、
それに答えられないとたまに言われます。
「おまえらはいいよなぁ。
 オレがコーパイだった頃は、質問されて答えられなかったら操縦させてもらえなかったもんな。」
そんな時、とても耳が痛いです・・・・・・


2001.04.04

育成フライトで、高知 → 伊丹 を往復した。
1年に1回、機長昇格へ向けてのステップ・アップ、進捗度を見るため、
そしてさらなる向上のために育成フライトは行われる。

天気は良く、上空に雲もない。
問題となる要素は強い北風が山に当たって起こす乱気流により上昇、降下中に揺れることだけだった。

高知を離陸して右旋回を開始し、3,000ft 〜 4,000ft を通過したぐらいから、本当かよ?と思えるほど強く揺れだした。
飛行機はあおられ、姿勢がめまぐるしく変わった。
機首が上下し、バンク角(傾き)もロッキング・チェアのようにゆらゆら、グラグラ。
エアラインでは旋回するとき 30°を超えてバンクしてはいけない規則になっている。
その 30°を何度も超えそうになったり、また機首が上下するたびに速度も大きく変化するので、
オートパイロットを切ろうかどうしようか、かなり悩んだが、
結局オートで制御しきれない程ではなかったのでオートパイロットに操縦を任せることにした。
次の403便で降り返し高知に帰るときは、高めにアプローチして海上で高度を下げた方がいいかな?
降下速度は早めに減速しておいて 250kt にしようか?
そんなことを考えていた。

8,000ft を通過すると、暴れるような気流がピタッとおさまり、
伊丹へ向けて降下を開始するまでベルト・サインを消灯することが出来た。

伊丹へのアプローチはやはり北風の影響で高知を離陸するときに揺れた 8,000 〜 4,000ft の間は Rough Air だった。
そして着陸直前の高度 1,000ft から下もガタガタだったが、うまくコントロールして、そっとタイヤをつけることが出来た。


403便のためのクルー・ブリーフィング(乗員と客室乗務員との打ち合わせ)が終わると
GH(地上係員)からトラブル・PAX(パックス=旅客)の報告を受けた。
401便に乗る予定だったが、そのお客さん(30才ぐらいの女性)は時間を間違えて空港に遅く来てしまい、
乗り損ねたのだが、そのためにご立腹で地上係員に当たり散らしている、とのこと。
自分が悪いんじゃないの?と思いつつ、やはりお客さん、気分良く乗って頂けるように努めるのがプロだ。
今日の CA はベテランだから、任せておけば大丈夫だろう・・・・

さて、乗客全員の搭乗が終わり、ドアが閉まり、エンジンをかける前に CA がコックピットに入ってきた。
いつも笑顔なのに、暗い顔をしている。 何かあったな。
「先ほどのお客さんはどうですか?」と聞いてみると、少し問題が発生した模様。

今日はほとんど満席だったが、そのお客さんは大きなカバンを持っていた。
座席上の物入れに荷物を入れるときは、カバンの中に壊れモノがないことを CA は乗客に確認する。
すると、「カバンに何が入っているかなんて、開けてみなければ分からないわよ。」 と怒った調子で突っぱねた。
これにたじろいだ CA は年上のベテランにバトンタッチ。
隣の席が空いていたので、空席にカバンを乗せてシートベルトで固縛してもいい、と申し出ると、
「○○さんは、上に乗せろって言ったんですけど。」 とさらに不機嫌そう。
しかも CA の名札までチェックしてる!? 危険だ・・・・・

コックピットにいる私達に出来ることといえば、とにかく定刻に到着すること。
可能な限り気流の悪い所を通過しないように、着陸も滑らかにすること。 それ位だ。
だが今日は高知のアプローチは揺れるに決まってるし、接地寸前だって気流は良くないのは分かっている。
まいったな。

高知に近づくにつれて、定刻はどうやら守れそうなことが分かった。
あとは出来るだけ揺らさないこと。 とにかく高めにアプローチを開始した。
減速して、スピード・ブレーキを引っ張って降ろして行くと、後ろでバタンッという音がした。
シートベルトを付けるようにベルトサインを点灯させたのだが、誰かがトイレに入ったのか?
だが、コックピットのお手洗いのライトは消灯しており、誰もトイレに入っていないようだ。
CA が着陸前に確認しただけかな?
8,000ft を通過したころからワッサワッサ、ガタガタ大きく揺れだし、ここでギア・ダウン。 一気に降下。
そして着陸前の数分間も気流は最悪だったが、なんとかタイヤをそっと着けることが出来て、ホッとした。
これならクレームも上がるまい。

降機が終わり CA が入ってきた。 さらに表情はブルーになっていた。
話しを聞くと、そのお客さんは機内誌を床に敷き、靴を履いたままその上に足を乗せていたらしい。(何故だろう?)
更にベルトサインが点灯してからお手洗いに行こうとしたので、席に戻るように促すと
まだギアが降りてないから大丈夫だ、と言い張って入ろうとしたらしいが、とにかく丁重にお断りをした。
それがあのトイレのドアの音だったのだろう。
その後すぐに揺れだしたので着席してもらって良かった。

降機後、しばらく機内ではそのお客さんの話でもちきりだった。
お客さんが空港を去る前に、どこかで地上係員をつかまえてクレームをつけることもあり得る。
15分程して、無線で何事もなかったとの連絡が入って一安心。

CA 曰く、「何があっても怖じ気づかないように、もっと気丈にならなくっちゃ。」
帰宅してから湾岸線を車でぶっ飛ばし、夜はお酒を飲んで寝る、と彼女は言っていた・・・・・・
お疲れ様でした!


2001.04.06

418便で高知を出発する前の出来事。
乗客の案内が始まってしばらくすると、突然客室乗務員(CA)にインターフォンで呼ばれた。
あのー、オブザーブ(ジャンプ・シート)に搭乗される方がいらっしゃるようですが・・・・
「え、誰ですか? 聞いてませんけど。」
キャプテンと思わず顔を見合わせた。
すると、インターフォンから別の声が、どうやら地上係員(GH)らしき女性の声が聞こえてきた。
すみません。 ○○ですが、先ほどブリーフィングしましたように、1名ジャンプシートに搭乗お願いします。
「えーっと、聞いていませんのでカンパニーで確認します。 そのままお待ち下さい。」

すぐに無線でカンパンーと交信。
「この便、ジャンプシートの予定入ってましたっけ?」
いえ、ないですけど。
「今、CA に呼び出されまして、ジャンプシートに乗る方がいる、ということなのですが・・・・」
その方の名前は分かりますか?
「今、聞いてみます。」

「もしもし、その方の名前を教えて下さい。」
「・・・・・あっ、間違えました。 この便ANKさんですね。 失礼しました。
なぬ?  (・・?)

しばらくすると、飛行機を降りていく背広姿の男性と、某社の GH の姿が見えた。
そう、某社のジャンプシートに乗るはずだった方を、誤って某社の GH が連れてきてしまったのだ。
搭乗口が同じ場所とはいえ、そそっかしい人だなぁ。
飛行機を見れば色が違うし、機内の内装も CA の制服も違うのに、気が付かなかったのかな?
それに、うちの CA もなんで某社の GH が居るのか、変だと思わなかったのかな?


2001.04.09

291便(関空 → 仙台)
仙台は海から霧が入ってきており、とてもじゃないが降りれるような状況ではなかった。
だが、ディスパッチャーによれば私達が到着するまでには霧はなくなり、着陸には問題ないとのこと。
飛行計画は 37,000ft で計画されていたが、上空はもしかすると揺れる可能性があり、
仮に FL370 がダメで 25,000ft まで降ろすとすると、燃料は約 1,000ポンド余計にかかる計算だった。
私達は万が一に備えて飛行計画で搭載予定だった燃料量にプラス 1,000ポンドを追加オーダーした。

仙台の天気は視界 250〜300m、雲の高さ 100ft以下で朝は推移していた。
今日のキャプテンに適用される最低気象条件は視界 1,200m 以上、雲の高さ 250ft だ。
霧がなくならなければ、確実に着陸は不可能な天気。
ディスパッチから飛行機へ向かい、乗客が搭乗中に再度、最新の天気を確認。
すると、状況は依然変わらず。
本当に予報通り、回復するのだろうか? でもさっきより気温が1℃ 上がったし、あと1時間もあれば大丈夫か・・・・

関空を離陸し FL370 に到達した。 気流は良好だったので、そのまま 37,000ft で仙台へ向かうことにした。
途中、再び最新の仙台の気象をカンパニーで聞いてみた。
すると、状況は変わらず回復の兆しがない。 しかも気温が下がってしまった。
これはマズイかも。
ダイバートすることも考えて、とりえあず代替飛行場として計画されていた羽田と福島の天気を確認。
こちらはどうやら大丈夫なようだ。
カンパニーとしては乗客の利便性を考慮に入れて、仙台に降りれなかった場合は、福島へ行ってくれ、とのこと。
キャプテンも私も福島へは行ったことがない。
飛行場毎にチャート(地図のようなもの)が設定されているのだが、
福島空港を一応ざっと見ておいた。
滑走路の方向や長さ、幅、障害物となる山の位置、進入方式、着陸をやり直す場合の上昇経路、
万が一エンジンが壊れた場合の上昇経路、等々。
さらに仙台から福島までの飛行経路、方角、距離、最低降下高度などもついでに調べておいた。
これで準備万全。 いつでもダイバートできる。

仙台に近づくと仙台のカンパニーが聞こえてきた。
どうやら全日空便の2機が仙台の上空で待機することを決めたようだ。
私と一緒に飛んでいるキャプテンの最低気象条件は視界 1,200m 以上、雲の高さ 250ft。(Basic−T)
きっと全日空のキャプテンの着陸の最低気象条件は視界 550m 以上、雲の高さ 200ft のはず。(CAT−T)
彼らが着陸出来ないと判断して上空で待機することを決めたのなら、私達に全くチャンスはない。
私達は燃料を出来るだけ使わないように、燃費の良い高い高度、仙台上空 25,000ft にて待機することにした。

ATCを聞いていると、全日空以外にも JAS、JAL Express も着陸待ちで待機していた。
彼らはかなり低い高度で待機しており、旋回中、下に何機も待機している飛行機が見えた。

そういえば、仙台の離陸のための最低気象条件はいくらだったっけ?
視界 800m の雲の高さ 300ft? ということは飛行場にいる飛行機は1機も離陸できないわけだ。
とすると、着陸しても私達の駐機所ないんじゃないの?

除々に天候が回復し、CAT−Tであれば着陸できる条件にまで天候は回復してきた。
私達以外の飛行機が次々にアプローチをリクエストする中、
案の定、ATCが駐機所がないので先に離陸機を上げる、と言っていた。
まずいな、着陸機と離陸機を待っていたら、私達は燃料が足らなくなってしまうぞ・・・・

仙台上空に 09:18に到着し、既に20分待機をしていた。
その間もずっと燃料計算をし待機可能時間を計算していたが、段々残燃料は減ってきていた。
しかも気象状況は BASIC−Tには今だかなり難しい状況だった。

やっぱり福島へ行くことになるのかな?
私達の乗っていた飛行機は仙台から関空へ戻ったらもう今日は使用予定はないし、
私達は継ぎの便まで3時間あるし、福島へ行っても乗員と飛行機に問題はないか・・・・・
次の折り返し仙台→関空は乗客60名ちょっとか。
フェアリンクのCRJには50名しか乗れないから、全員救済することは出来ない。
やっぱり私達が降りなきゃなぁ。
それとも福島へダイバートして、仙台の天候が回復してからフェリーで仙台に行き、お客さんを乗せて関空へ行けばいいか。
でも国際便に乗り継ぎのお客さんがいたら、それでは間に合わない可能性もある。
フェリーで仙台ではなく、関空へ空で飛ばすよう指示される可能性もあるよな。

そこへ国際便のコンチネンタルが入ってきた。
彼らは仙台上空 16,000ft で待機することにしたようだった。
アプローチは通常低い高度の飛行機からすることになっている。
後から仙台に到着したコンチネンタルが、まさか私達の前にアプローチするわけないよな・・・・
念のためATCに確認。
えっ、コンチネンタルの方が先なの??? まっずいじゃん! 燃料足りないよ!
その旨ATCに連絡。 でもコンチネンタルは国際便だから、私達より残燃料は少ないかもしれない。
だとすると先に降りさせてあげないと。 それに少しでも後の方が、霧は薄れてくるはずだ。
あとどれだけ待機できるかなぁ・・・・
再度燃料計算をし直し、結果、10:05までならなんとか待てそうだ。
そのようにATCとカンパニーに無線で伝えたが、もし滑走路が見えずにゴーアラウンドしたら、
そのまままっすぐ福島へ向かわなければならない程、ギリギリの残燃料だった。

管制官も私達の燃料が少なくなってきていることを考慮に入れて、少しでも早くアプローチできるように配慮してくれた。
この頃の滑走路の視界は 1,700m で BASIC−Tの 1,200m 以上。
あとは雲の高さだけだ。
既に着陸した飛行機からの通報では、雲の高さは丁度 200ft で CAT−Tでもギリギリ。
だが、少しずつ雲がとれてきているというカンパニーの通報があった。

ILS の電波に乗り、高度を降ろしていった。
1,000ft でも雲の上だ。 ずいぶん低い、海に這うような雲だ。
450ft 程度でやっと雲に入った。 うわ、これはヤバイぞ。 全然見えないかも。
350ft、最低降下高度より 100ft 上。 何も見えない。 うっわー、福島へ行くの?
250ft、"MINIMUM!!"、おっしゃー、見えたぁー!!
"LANDING!!" というキャプテンの声を聞きホッとした。
だが、滑走路に接地するまでは気を許してはいけない。
"50"、"30"、"20"、"Retard" というコンピューターの声を聞きながら無事仙台空港に着陸した。

私達を苦しめた霧、滑走路の丁度降下経路上にしかなかったのだ。
そこを通過して地上から上を見上げると青空が広がっていた。

折り返し292便で上空から仙台空港を見下ろすと、滑走路は完全に見えており、
Runway27の降下経路上にしか雲はなかった。
天気が悪かったので、若干の追い風だったが ILS を使い Runway27 に降りたが、
もし今着陸するなら、この状況だったら Visual09 で降りても良かったのかもしれなかった。

もし、出発時に燃料を計画より 1,000ポンド余計に搭載していなければ、絶対に仙台に着陸できなかっただろう。
42分間上空でホールディングしたためにかなり定刻より遅れてしまったが、
291、292便の乗客のことを考えればこれで良かったのだと思う。


2001.04.10

全日空16便  0745− 0850
合同緊急訓練 1100 −1300
CRM座学   1400 − 1700
全日空37便  1820 − 1920

年に1回の訓練が東京で行われた。
合同緊急訓練は、乗員と客室乗務員が30名程度集まり、飛行機で発生するであろう緊急事態を想定して
緊急着陸、着水し、最終的に緊急脱出までをする訓練だ。
パイロット役2名と客室乗務員役3名を選出し、残りは乗客の役をする。
緊急事態が発生したら、例えば飛行機が爆発したり、機内で火災が発生したら、
乗客の役をしているみんなで大騒ぎをして臨場感をだすのだが、
今回は人数がいつもよりやや少なかったのと、乗員はベテラン機長が多かったので(乗客役の副操縦士は私だけ)
あまり騒ぐ人がいなく、静まり返った中での緊急着陸だったので、ちょっと残念だった。
1年ぶりに脱出用のスライドを滑ったが、以外とうまく滑り降りるのが難しい。

CRMの座学の今年のテーマは「リスク・マネージメント」。
飛行機の運航で発生するリスクは、単に急激に天候が悪化した場合や、着陸間際に飛行機が壊れたり、
というケースだけではない。
注意散漫、思い込み、あせり、慢心、信頼過剰、などを起因としてミスを犯してしまうことに対するリスクがある。
そういったメンタル的な部分をどのようにコントロールするのか?
常に自分自身に内在するリスクの存在を認識し、出来る限りそれを排除するように努力する。
そういったことをみんなでディスカッション形式で話し合った。

以下は配布されたテキストの結びである。

 私たち運航乗務員は知識を蓄え、洞察カを養い、人間の持つ弱点を謙虚に見つめる視点を
 絶えず持ち続ける努カが必要とされています。 そしてみなさんの心の片隅にある、
 自分だけには事故は降りかからないだろう、と言う過信をなくすことが強く求められているのです。
 私達は毎日のFLlGHTの中で飛行の安全を脅かす数多くの事象を、
 時には排除し、時には回避し、また、それらを克服しつつ大切な乗客を守っているのです。
 私達運航乗務員はリスクと闘う最後の砦なのです。
 「彼を知り、己を知らば、百戦して殆うからず
 (敵情を知って、自軍の状況を把握していれば百回戦っても危険な状況にならない。)

最後に中国の孫子の一節を引用し、リスク・マネージメントのCRMは終わった。


2001.04.14

関空での長い中空きの後の関空→高知(703便)。
703便の使用機材は Spot 19 に既に入っていた。
だが、703便に乗務予定の客室乗務員(CA)は、女満別から帰ってくる212便に乗っており、到着ゲートは Spot 23だった。
703便の出発時刻は 15:30。 212便の到着時刻は遅れており、15:05 頃だった。
212便が到着してから後片付けをし、荷物を持って Spot 19 に入っている703便の飛行機に CA が来るのは恐らく15:15過ぎ。
さらに乗客を案内する前に CA がしなくてはならない準備があるのだが、
それが終わるまでにどんなに急いでも10分程度はかかる。
到底間に合うはずがないことは最初から分かっていた。。

私達は15:05頃に Spot 19 に到着した。 すると乗客へのアナウンスが聞こえた。
「機内への案内は15:15を予定しております。」
もう、そんなの無理に決まってるじゃない! と思いつつ、飛行機に乗り込んだ。
CA の業務はパイロットには分からないので、CA がしなくてはならない出発前の準備を先に終わらせてあげることが出来ない。
知っていればやってあげるのだが・・・・・ 仕方なく、機内で待っていた。

結局 CA の準備が終わり、25名の乗客が搭乗し、Push Back を開始したのは 15:36 だった。
女満別からの長いフライトを終え疲れていただろうに、CA が頑張ってくれたおかげで6分の遅れで済んだのだ。

エンジンをかけている最中、出発する飛行機の ATC が聞こえてきた。
どうやらかなり混んでいるようだった。
しかも今日の関空の使用滑走路は24。 24の時はよく渋滞が発生する。
一刻も早くエンジンをかけて地上滑走を始め、出来るだけ順番が前になるように急いだのだが6分の遅れが痛かった。
私達の隣で Push Back をしたANAのB767より、定刻では私達の方が先だと思うが、数10秒差で負けてしまった。
そして私達が地上滑走を始めようとすると同時に、管制官から待つように指示が出た。
なんとANAのB767と私達の間に2機の出発機を差し込まれてしまった!

滑走路の手前で停止したのが15:44。 その後離陸まで待つこと14分。
Air Canada A340 着陸 → JAS A300 離陸 → North West B747 着陸 → ANA B767 着陸 → JAL B767 着陸 →
→ North West B747 離陸 → ANA B767 離陸 → Alitalia B747 着陸 → Air China B767 離陸 → ANA B777 着陸 →
→ JAA B767 離陸 に続き、やっと私達は離陸することが出来た。
もし私達が定刻に Push Back していれば、ANA B767 より先に離陸できたはずだった。

地上は丁度寒冷前線が通過中で、その雲の影響で高知へのアプローチは揺れた。
そして前線に南風が吹き込んでいたため、高知の使用滑走路は14。 これでまたアプローチに時間がかかる。
だが、早く着陸できる32サイドの風も、追い風はそれほど強くなかった。(滑走路に対して風はほぼ直角に吹いていた。)
到着機と出発機がいなければ32で着陸することも可能だ。

だが、あいにく出発機と到着機、それぞれ1機ずついた。
離陸機が14から上がるため、着陸機も14で降りなくてはならなかった。
しかも私達のアプローチの順番は2番目で後回しになってしまった。
こうなると、私達に出来ることは何もない。
どんなに頑張っても、急いで着陸することで遅れた時間を取り戻すことが出来ないのだ。
管制官に誘導されるまま導かれ、減速し、そして到着したのは16:38。
定刻は16:10なので結局28分も遅れてしまった。 


2001.04.15

昨夜は21:00には床につき、朝05:30に目を覚ました。
これだけ寝れば朝一の便もつらくない。
高気圧に覆われ、雲一つない快晴。 とても涼々しい朝だ。

乗客が全員搭乗し終わるとカンパニー無線で連絡が入る。
乗客の人数、飛行機の燃料抜きの重量、バランス、燃料も勘定に入れた総重量などを送ってきてくれる。
このデーターを私達はコンピューターに入力する。
搭乗ゲートでも同一の情報がプリンターで打ちだされ、後でCAがコックピットに持ってきてくれるので、
それと無線で受け取ったデーターが同じであることを確認するのだ。

私達が Push Back を開始すると、隣の飛行機へカンパニーが同じように飛行機の重量に関する情報を送ろうとした。
○○便、ウエイトを送ります。」(カンパニーの女性)
「いらないでしょ。」(パイロット)
なんともそっけない、吐き捨てるような声で応答した。
すみません。」(カンパニーの女性)
せっかくの涼々しい朝が台無しだ。

眠くて不機嫌だったのだろうか? 何か別の言い方はなかったのだろうか?
無線を受けたカンパニーの女性も、一緒に乗っているもう一人のパイロットも、
きっとばつが悪い思いをしたことだろう。

私は極力丁寧に無線に応答するようにしている。
相手の顔、表情や、相手の置かれた状況が分からないので、なおさら気を使う。
だが、日常において電話で不当な扱いを受けた場合など、やはり穏やかな気持ちでいることはできない。
きっと自分では気付かずに声を上げたり、
きつい言葉使いをしたり、相手を傷つける言い方をしてしまっているのだろう。

自分が不機嫌なとき、何らかの理由で不愉快な思いをしたとき、
どんな時にも、笑顔を見せる必要はないと思うが、
せめて丁寧な言葉使いが出来るように、仕事、日常生活に関わらず日頃から努めたい。
これは毎日練習することで習慣になるのではないだろうか?


2001.04.16

座学だった。 09:00〜17:30までの勤務。
危険物航空輸送、急病人発生時の対応、Crew Incapacitation、緊急装備品、航空生理(低酸素症=Hypoxia)
のCD−ROMによる自習と、ビデオ学習だ。
1年に1回あるのだが、まる一日かかり、かなり疲れた。

休みの時間に低酸素症に陥った脳を活性化させるために、ターミナル内を歩きに行った。
搭乗ゲートの全くない、長い通路を一人の女性が歩いていた。
両手にお土産らしき紙袋を何袋も持ち、重そうに歩いていた。
どうやらJAL、JASサイドのX−線検査所から入り、ANAサイドまで歩いているようだった。
私はすることもないし、余計なおせっかいかな?とも思いつつ、またその女性に声をかけた。
「荷物お持ちしましょうか?」

大分に帰る方で、どうやらお土産を買いまくりながらターミナルを歩いているうちに
ANAサイドからJAL、JASサイドまで歩いてしまい、一番近くにあったX−線検査所を通過したようだった。
彼女の搭乗ゲートは5番で、ANAサイドでも最も端にあるゲートまで歩かなくてはならなかったのだ。
良かった、声をかけて。
5番ゲートにつくまで世間話をして一緒に歩いていったが、私も結構肩が疲れた。


座学が終わり、家につくと思わず、「しまったぁー!」
座学は一人でパソコンによる自習専用の部屋にこもってするのだが、そこの鍵を持って帰ってきてしまった。
会社に電話してみたが、合鍵はない、とのこと。
しぶしぶ鍵を返しに会社に戻った。


2001.04.20

羽田→大館能代(447便)で大館能代空港へ向けてアプローチをしていた。
秋田の上空を 11,000ft 程度で通過し、さらに高度を下げていった。

次の高度制限は "NOSSY" と呼ばれる地点にあり、 2,600ft まで降ろして良いのだが、
私達の右前方 8km 程のところに、
高度 3,000ft で飛行中の飛行機の機影を TCAS が計器画面上に映し出していた。
その飛行機は私達の針路に対して右から左へ、下をくぐって通過するような動きをしていた。

大館能代空港の管通官に、空港周辺に飛行機が飛んでいるとの情報が入っているか聞いたが、
関連飛行機はない、と言う。
TCAS の誤作動かな?とも思いつつ、我々は 2,600ft へ降ろすタイミングを先送りすることにした。

雲の頂上の高さ(Cloud Top)は約 8,000ft で、その上をしばらく水平飛行した。
もし TCAS が正しければ、雲の底(Cloud Base)は恐らく 4,000ft 前後であり、
雲に入らないように 3,000ft を飛行している飛行機がいるはずだ。

雲の隙間から TCAS が示す当たりを目視で探すと・・・・・・ いたっ!
白い小さな小型機が、雲に見え隠れしながら右から左へかなり速い速度で横切り、通過し、
日本海へ消えていった。


2001.04.25

401、404、405、406便で伊丹を出て高知を2往復のパターン。

高知の南岸を低気圧が通過し、それに伴う雲の影響が予想された。
401便で高知へは、通常通り 16,000ft で飛行した。
上昇中、雲の影響で 12,000〜13,500ft の間で強く揺れ、
その後雲の頂上(Cloud Top)に出る 15,000ft 近辺でも揺れた。

Cloud Top に一旦出てしまうと、16,000ft は比較的気流良好だった。
しかしそれもつかの間、淡路島から徳島より南にさしかかると揺れだし、
シートベルト着用のサインを点灯せざるを得ない状況だった。
だが西の空を見ると、かなり天気は回復してきていた。
雲の動きを見るレーダー・エコー図をコンピューター画像で出発前に確認したが、
低気圧の移動速度は速く、帰りの404便までには良くなっているであろう、と予想できた。

高知に向けて降下を開始。
J-air の後回しになってしまった。 先行機の J-air はプロペラ機で速度が遅い。
かなり減速したがどんどん追いついてしまい、飛行場に向けて管制官はなかなか誘導してくれなかった。
当初、定刻より若干早く到着する予定だったが、結果的に3分遅れてしまった。
あれはどう見てもうちを先に降ろしたほうが、スムーズに2機とも到着できたのでは・・・・

折り返し404便は私の担当だった。
前便のレポートによると 13,000ft、15,000ft ともに気流は良好とのこと。
だが、実際上昇してみるといずれも雲の中で、結構揺れた。
上を見ると雲の隙間から青空が広がっていた。
もし低気圧が通過し終っていれば、Cloud Top は下がっているはず。
17,000ft まで上がれば上に出れるかな? とりあえず様子見で上がってみることに。

どうやら低気圧の通過速度は私が想像していた程ではなく、
17,000ft はほとんど Cloud Top 付近でかなり強く揺れてしまった。
しまったー! 読みが甘かった。 仕方なくすぐに 13,000ft まで降下。
15,000ft、17,000ft より気流はずっとましだった。
雲の頂上(Cloud Top)近辺は大きく揺れることが多い。
Cloud Top の近くを飛ぶよりは、ズボッと雲の中に入ってしまい In Cloud で飛ぶ方が気流は良いことが多いのだ。
最初から素直に 13,000ft に降りておけば良かった・・・・・・

残念ながら、やはり 13,000ft も所々揺れが予想されたため、
シートベルト着用のサインをずっと点けたまま伊丹空港へ向かうことにした。
客室乗務員(CA)もお客さんも立つことができず、特に CA はサービスをすることが出来ない。
申し訳ない、という気持ちをこめて、低気圧の雲の影響でベルトサインが消せない状況と、
CA にサービスを控えさせる旨のお詫びのアナウンスを入れた。

2往復目は雲が通りすぎ、通常飛行する行き 16,000ft、帰り 15,000ft は
On Top Smooth(雲の上を飛行し、気流が良いこと)だった。

405便で高知へ向けてアプローチを開始すると、再び J-air が1番目、私達は2番目だった。
今回も順番的には私達を先にすれば、どちらの飛行機も待たずに着陸できたのでは?と思えるタイミングだったが、
結局私達は後回しにされ、定刻を5分も遅れてしまった。

406便は再び私の担当だった。
タイヤがいつ接地したか分からない、衝撃も機体振動も全くないスームズな着陸が出来た!
そんな Landing はとても久しぶりで、一人、心の中で喜んでいた。


2001.04.26

昨日と同じパターンだった。
401便での高知へアプローチは、今日は J-air の先だった。
だが、滑走路のすぐ近くまで来たときに、J-air と飛行場の位置、我々と飛行場の位置関係を比較すると
ほとんど同距離だった。 イヤ、むしろ J-air の方が近かったかもしれなかった。
やはり、管制官は大変だ。 最終的にどちらを先に着陸させた方が良かったかなんて、結果論として分かることだ。
どちらが先に降りるかは、運によって左右されるのかもしれない。

高気圧に覆われ上空は快晴だったが、四国の東から紀伊半島にかけて薄い雲が連なっており、
どうやらその下を飛行するときに揺れたようだった。
大阪発高知行きで通常飛行する 16,000ft は、初めは気流良好だが、淡路島を過ぎたあたりから
船が大波に揺られるような変な揺れ方をした。 12,000ft まで降下するとましな状態だった。
帰りは普通飛ぶ 15,000ft はダメで、結局 11,000ft で飛行した。
空気に波動があるようで、波打つような縦揺れがとても気味が悪かった。


2001.04.27

以前、勤務中に伊丹から羽田に他社便で乗客として移動中の出来事。
上昇中からシートベルト着用のサインが消された。
ほぼ満席の中ドリンク・サービスが始まった。
私はコーヒーをお願いしたかったが、短い路線で客室乗務員(CA)が忙しいことは分かっている。
トレーに飲み物を載せてCAが私の所に来たとき、たまたまスープだけしかなかった。

乗客全員への飲み物の配布が終わり、もし時間的に余裕があったら最後にコーヒーをお願いします
という言いまわしで言おうと思っていたのだが、忙しそうだったので省略して言ってしまった。
「後で暇になってからコーヒーを下さい。」

伊丹−羽田が満席のとき、CA が 「暇」 になることは決してない。
機内販売もしなければならないし、飲み終わった紙コップの回収、
読み終わった新聞の回収、新聞を読みたい人たちへ回収した新聞を配ったり、と忙しい。
私は 「暇」 という言葉を使ってしまったが CA は終始笑顔だった。
だが(暇になんてなるわけないでしょ!)と心の中でその CA は感じていたかもしれない。
私は彼女に気を遣って言ったのだが、裏目に出てしまったかもしれない。

トレーにはスープしかなく、私のためにすぐにコーヒーを取りに戻り、持って来てくれた。
私はその彼女の好意に感謝する。

言葉使い、というのは難しいもので、自分が意図した意味と違う意味に解釈されていまう可能性が大きい。
その場、状況に最も適した、誤解を招かない言いまわしを瞬間的に思いつき、表現できるすべはないものだろうか?


2001.04.29

何故か朝3時に目が覚めてしまい、その後眠れずじまい。
05:10に起きる予定だったので、とても損した気分。

西から低気圧が接近しつつあり、西日本から除々に天気が崩れるパターンだ。
今日の勤務は関空→松山、松山→千歳、千歳−中標津往復、最後に千歳→羽田を便乗で移動。
松山に到着するまで天気がもってくれれば、後は東行きなので問題ないはず。

関空→松山は通常通り FL200 で向かったが、広島を過ぎるころから揺れが始まり早めに降下を開始した。
上空でカンパニーを聞いていると熊本の天気が悪かったようだったが、まだ四国には雨域は迫ってきていなかった。
どんよりした天気ではあったが、松山空港には何事もなく着陸することが出来た。

松山を離陸し、千歳へは FL330 で計画した。
西日本は低気圧の雲に覆われ、どの高度も In Cloud(雲中飛行)だった。
巡航高度の 33,000ft に到達後、コトコト揺れは続いたが CA がサービスするには問題ない程度と判断し、
シートベルト着用のサインを消した。
富山の辺りまで来ると低気圧に伴った雲も薄くなり、地上の風景が見えてきた。
だが、それと同時に風向きが少し不安定になり、それまで−44℃で一定だった気温が下がってきた。
私達の前方23マイルには 37,000ft を飛んでいる飛行機がおり、
左斜め前方5マイルには 41,000ft を飛んでいる大韓航空の A300 がいた。
ということはきっと、高い高度の方が揺れないのだろう。
新潟の西40マイルまで来ると FL330 の揺れが我慢できなくなり、 37,000ft に上昇する許可を管制官にもらった。
FL330 を離れ、34,000ft を過ぎた辺りから揺れは収まり、37,000ft は再び気流良好だった。

しばらくすると関空→女満別のうちの便(211便)がカンパニー無線で揺れの状況を聞いていた。
私達と同様 33,000ft で来たが、富山から先は揺れが強くなってきており、37,000ft はどうかと考えていたようだった。
カンパニーは 「FL370 は揺れていない」、と伝えたが、211便はなかなかATCに高度の変更を要求しない。
きっとどうしようか迷っているのだろう、と私は思い、
211便が聞いているはずのカンパニーの周波数でレポートを入れた。
「こちら松山初千歳行きです。 富山から先は FL330 が揺れたので FL370 へ上昇したところ
 34,000ft を通過した頃から揺れが止まり、37,000ft も気流良好です。 現在新潟の西20マイル。」
その直後、211便はATCに 37,000ft へ上昇するための要求をした。
今回のように相手の知りたい情報をタイムリーに伝えることが出来ると、とても嬉しい。

さて、ずっと私達の左斜め前方を 41,000ft で飛んでいる大韓航空が気になっていた。
どうも行き先が私達と同じ千歳のような気がする。
距離は近く10km程度しか離れていないし、彼らの方が若干先なので、もし千歳行きなら
当然私達は減速させられる。

数分後、その心配は的中してしまった。
マッハ0.82で飛んでいた大韓航空には0.83まで増速する指示を、
マッハ0.78で飛んでいた我々には0.75まで減速する指示を管制官は出した。
うーん、やられた。 やっぱり千歳行きだったか。 でも、仕方ない。
待たされず、減速させられず、まっすぐ降りれた、として定刻に到着できる予定だったが、
こうなってはなすすべはない。

着陸後、駐機所に向かうと、コンチネンタル航空と全日空2機が同時に Push Back しており、
彼らがエンジンをかけ終わり動き出すまでは私達も大韓航空も Spot-in できなかった。
結局定刻より6分遅れて千歳空港に到着した。

千歳→羽田への移動は全日空便に乗ったのだが、とてもめずらしくガラガラだった。
ゴールデンウィークでもうみんな遊びに行ってしまっていたのか?
ビジネスマンもほとんどいなかった。
きっとみんな楽しい休日を過ごしていることだろう!


2001.04.30

羽田−中標津往復、羽田−大館能代往復のパターン。

837便で羽田を離陸時の出発は11番目だった。
いつになく混んでいたが、私達の後ろには5機も待っており、大変な渋滞だった。

37,000ft で中標津へ向かったが、仙台の近くから揺れが始まった。
そういえば仙台の近くは 40,000ft にジェット気流が走っており、そこから風が下の高度に向かって減速しているはず。
それで揺れているのでは?
33,000ft まで降下してみたが、揺れは若干収まっただけで完全にはスムーズにはならなかった。

北海道に近づくと、再び揺れが始まった。
そういえば北海道の南にも軸が 30,000ft 弱の弱いジェット気流が走っていたっけ・・・・
北海道のカンパニーに降下中の揺れのレポートが入っていないか確認してみた。
28,000〜31,000ft が揺れるとのこと。
きっと 33,000ft は大きく揺れることはないだろう。
そう思い我慢することにした。
私が降下を計画していた地点(Top Of Descent)の手前、5分程度の場所では風が 130kt も吹いていたのに、
降下開始点までに 60kt 程度にまで減速してしまった。
そうか、ジェット気流は想像していたより高い高度にあったんだな。
でも大きな風速の減速があったにもかかわらずコトコト程度で、大きな揺れを伴わなかったのは幸いだった。

降下開始前、シートベルト着用のサインを点灯した。
もうジェット気流は通過したはずなので、もしかすると揺れないかな?とも思ったが、念のため点灯したのだ。
33,000ft では 280°から吹いていた風が、降下開始と同時に突然向きを変えだし、
31,000ft を通過時には 330°まで北に向き、ガタガタと激しく揺れた。
やはりレポート通り。 ベルトサインを点灯させて良かった!
28,000ft より下に下がるとその揺れは収まっていた。

折り返しは当然 31,000ft 以上だ。 33,000ft の巡航も結構揺れたし、
かといって 39,000ft だと仙台のジェット気流にひっかかるし、35,000ft が妥当かな?
どうやらキャプテンも同じようなことを考えており、FL350 で帰ることにした。

今度は上昇中 28,000〜31,000ft まではスムーズだったが、31,000〜33,000ft まで激しく揺れ、
34,000ft を通過すると気流は良好になった。
837便では仙台で FL370 の揺れに我慢できず FL330 まで降ろし結局揺れたが、
やはり FL370 で我慢した方が良かったのかな?
FL330 に降りたために、300ポンドも余計に燃料を使ってしまったし・・・・

FL350 で良好だった気流が、帯広を過ぎると揺れだした。 仕方なく 39,000ft まで上昇した。
ところが花巻を通過し、仙台に近づくにつれて再び揺れが始まり、さらに突然激しく揺れたため
シートベルト着用のサインを点灯せざるを得なかった。
カンパニーによると仙台を過ぎるまではダメとのこと。 FL390 で我慢することにした。

羽田へ向けて降下を開始すると 31,000ft より下は雲の中だったが比較的スムーズだった。
そして 23,000ft には唯一 Between層(上と下の雲と雲の層の隙間)があり、そこは完全に気流スムーズ。
23,000ft より下についても雲の中の飛行で、コトコト程度だが揺れた。
次の大館能代行き(447便)は FL230 がいいか?

ディスパッチへ一旦戻った。 飛行計画は FL290 で予定されていた。
ディスパッチャーによると 29,000ft は良好とのこと。 その言葉を信じて FL290 で行くことに決めた。

実際上がってみると FL280 が一番大きく揺れ、FL290 も軽く揺れたので
まだましだった FL270 に降下。 なんとか我慢できる程度の揺れになったので
シートベルト着用のサインを消した。
雲の様子はどんどん変わっており、さっきまで雲が広がっていたのに、15,000ft 以上は雲がなくなっていた。
447便は満席だし、このまま FL270 で飛行すればサービスが終了するまで揺れずにすむだろう。
と思っていた矢先、揺れだした。
どうやら下のモヤが北へ行くほど高くなっており、27,000ft では引っかかってしまっているようだった。
すぐに 23,000ft まで降りてそのモヤの中に入ってしまうと気流は再び良好になった。
ディスパッチで計画した飛行計画では、大館能代からの帰りは FL310 だったが、
この様子だと FL240 の方がいいだろうな・・・・・ そう考えていると突然ガタガタ激しく揺れだした。
なんだこりゃ? シートベルト着用のサインを点灯させてすぐに 17,000ft まで降下した。
すると再び気流はスムーズになった。
さて、困った。 帰りはどの高度を飛ぼう? 帰りは私の担当だったので私が飛行高度を決めるのだ。
結局迷った末、計画通り FL310 で帰ることにした。

折り返し448便は上昇中、とても気流は良かった。
でも同じ経路を447便で降下中は揺れたし、さっきと風向きも全然違う。 きっとどこかで揺れるはずだ。
そう考えシートベルト・サインはつけたまま上昇した。
26,000ft まで 330°の方向から吹いていた風が、突然西に回りだした。
同時に激しく揺れだし、28,000ft では風向は 290°になっていた。
良かった、シートベルト・サインをつけておいて・・・・・
30,000ft を過ぎると気流は落ち着き、予想していた風向・風速になり安定したのでシートベルト・サインを消した。
地上で見た高層天気図から察するに、31,000ft は大丈夫だ、と最初から考えていたし、
予想通りだったので安心した。
448便も満席だったので、客室乗務員(CA)が少しでも長い時間サービスが出来るように、
FL310 に到達する前に消したのだが、31,000ft で水平飛行に移るや否や、ガタガタ再び揺れだした。

しまったー! どうしよう??
もう CA は立って動き出しているはずだ。
カートを出して飲み物の用意をしているに違いないし、ここでベルトサインをつけるわけにもいかない。
既に CA はサービス案内の機内アナウンスも入れていた。
300kt で飛行するはずの所を 250kt まで減速することで、少しでも揺れないように努めた。
448便は447便の到着が遅れてしまったために20分遅れて離陸しており、
本当は少しでも早く羽田に到着するために増速したかったのだが、
快適性を考えると、揺れる中を高速飛行するなんてもっての他だ。
それに、今日の天気はどの高度でも南北に飛行するとどこかで揺れているようだし、
きっと 31,000ft で我慢していればどこかで揺れは止まるはずだ。
そう自分に言い聞かせで我慢することにした。
満席なので最低20分はベルトサインを消しておきたかった。
今ここで降下するとすれば、降下中揺れるかもしれないし、ベルトサインをつければ
CA は後片付けをしてから見まわりをするのに3分はかかってしまう。
さらにベルトサインを気流の安定したところで消した場合、
再びカートを出して飲み物の準備をしなくてはならない。
羽田へのアプローチもきっと降下中揺れるだろうから、ここは降下せずに FL310 で我慢するのが得策だ。
そう思った。

ところがどこまで行っても揺れは収まらず、どちらかといえば除々に強まってきていた。
250kt からさらに 240kt まで減速して我慢した。
前方からこちらへ向かって 37,000ft を飛んでくる飛行機の飛行機雲がちぎれているのが見えた。
きっと、FL370 も揺れているんだろう。 しまったなぁ。 24,000ft か 22,000ft にしておけば良かったな。
イヤ、でも途中で揺れていたかもしれないし、これはあくまでも結果論だから後からつべこべ言っても仕方がない。

羽田へのアプローチは 14,000ft が揺れるとのレポートをカンパニーにもらっていた。
FL310 から降下を開始し、FL260 を過ぎると気流はピタッと収まり、スムーズだった。
失望の嵐である。 あーあ、今日は予想が完璧にはずれた・・・・・・

14,000ft が揺れる、ということは、そこを通過する3分前にはベルトサインを点灯させなくてはならないのだ。
逆算するとそこはおよそ 25,000ft 以下であり、最も気流が安定し、飛行機がピクリとも揺れない場所だった。
なんで揺れているところから気流が完璧にスムーズになる場所に来て、ベルトサインをつけなくてはならないのか?
自分自身に怒りを感じたが、こればっかりは仕方ない。

14,000ft を通過時、確かにレポート通り揺れたが、その揺れは 31,000ft を巡航時と同じ程度のものだった・・・・・
なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう? とても自分に腹が立った。

雲の中を通過中、11,000ft の付近で CA にインターフォンで呼ばれた。
女の子のお客さんが、かなり前から頭をかかえこみ、CA を呼び出すベルを鳴らしている。
ベルトサインは点灯しているが、立ちあがってもいいかどうか聞かれた。
揺れる可能性があるので、注意して歩いてもらうようにお願いした。

降下に伴って機内の気圧が上がり、耳が痛いのだろうか?
耳抜き(内耳と外気の気圧を同じにすること)が出来ずに、このまま降下すれば相当痛いはず。
もうアプローチを開始しているが、しばらく様子を見るために管制官に状況を説明し、水平飛行し、
アプローチの順番を遅らせてもらおうか? でも燃料に余裕はあまりない。
どうしようかなぁ・・・・・

CA が女の子の所に行き様子を聞くと、どうやら離陸後からずっと頭痛がしているようで、
同乗していたご両親が薬を飲ませたからまもなく良くなるはず、とのこと。
それを聞きホッとした。 耳でなくて良かった。

今日は高度選択に悩まされた一日だった。
だが、キャプテンも天気が(気流が)どうなっていたのかさっぱり分からない、と言っていたので、
私に予測できなかったのは仕方なかったのだろうか?