2001.06.02

お昼からの勤務。
仕事がほとんどいつも 5時起きなので、その時間帯になると目が覚めてしまう。
今日は 6時半に目が覚めた。
まだとてつもなく眠いのだが、寝ることができない。
8時頃、新聞を読み終えた。
さーて、何をしようか。
散歩にでも行くか。
散歩といってものんびり歩くわけではない。
仕事前に走ると疲れてしまい、眠くなる可能性もあるから歩くのだ。
あくまでもファースト・ウォーキング。
近所をグルグル40分程歩くことにした。

さあ、帰ろうか、とコンビニの前にさしかかると、お年よりに声をかけられた。
「あのー、すみません。 この住所の病院に行きたいのですが。」
聞いたことのある住所だが、はっきり場所が分からない。
コンビニに入り店員さんに住所を聞くと、すぐ教えてくれた。
以外と遠いな・・・・・。

お年よりに道順を教えて立ち去ったものの、振りかえると彼女はとてもゆっくり歩いていた。
あのペースで、あそこまで行くの、結構時間がかかりそうだな。
でも、運動がてら、いいか?
まっすぐ目的地まで行きつければいいけど、ひょっとするとまた迷うかな?
そうだ、送って行ってあげよう!
うちの車は4WDで車高が高いから、スカートでは、乗りこみにくいかな?
迷惑かも・・・・・。

おせっかいな私は家まで走って帰った。
地図を調べて、すぐに車を出した。
お年よりがうちのすぐ近くまで来ていた。
やれやれ、やはり道が分からなかったか・・・・・。
教えた方角とは何故か全然違う方向へ歩いていたお年より。

「おばさん、送っていってあげますからお乗りになりませんか?」
パワー・ウィンドウを降ろして彼女にそう言った。
申し訳なさそうに断ったが、私のしつこさに負けて、車に乗り込んでくれた。
話しをしてみると、ヒザに水がたまっているのでもう一度来て下さい、と言われたのだそうだ。
やはり車に乗せてあげて良かった。
そう思った。

途中、植木屋さんに病院の場所を聞き、数分で到着した。
パーキング・ブレーキをかけ、運転席を降り、反対側の助手席に回ってドアを開け、彼女が降りるのを手伝った。
女性を車でデートに連れ出し、彼女が車を降りるのを手伝うためにドアを開けてあげるような、
なんか映画によく出てくるワン・シーンのようで嬉しかった。
彼女は私が恥ずかしくなる程、何度も何度もお礼を言った。

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伊丹 → 高知の最終便。
冬は出発前から真っ暗だが、日が沈むのが遅くなったため、
外部点検をする出発時刻の約20分前、
雲の隙間から覗く山に沈みかけた赤い太陽がとても美しかった。
周りの空は、ややピンク色に染まっていた。

今日の大阪の日の入りは、19:08。
エンジンをかけ、ランプ・アウトする19:00には太陽は山の影に沈んでいた。

離陸滑走路は32R。
北東に向かって上昇し、左へ180°旋回して瀬戸内に機首を向けると、
右席に座っている私から見ると左手、西の方向に、沈んだ太陽が見えてくる。
山の少し上に雲があり、山と雲の間のもやったところに太陽は赤く、やや楕円形にゆがんで見えた。
しばらく上昇すると、雲にかくれてしまった。

関西空港の方角に向けてさらに上昇し、8,000ft を通過するころ右へ、西に向けて旋回する。
そして 10,000ft を通過すると、地平線に沈んだ太陽が見えた。
地平線の上は青空が広がり、視界を妨げるものは何もない。
上昇するにつれて少しずつ明るくなっていく。
それはあたかも東から太陽が昇ってくるのと同じような感じなのだ。
まぶしくて進行方向が見えない。
しまったサングラスを再びフライト・バッグから取り出してかけ、美しいを空を眺めた。

巡航高度 16,000ft に到達し、水平飛行に移ると、今度は時間と共に太陽は沈んでいく。
淡路島の付近から左へ旋回し、高知へ向けて南西に向けてまっすぐ飛ぶ。
四国の西から南には、波のような筋状の水平に伸びる雲があり、
沈んだ太陽からの光を受けて真っ赤に染まっている。
時間の経過とともに、赤い雲は南から西に向けて除々に黒く変化していく。
既に東の空は暗く、地上と空の区別はつかない。
その暗闇が進行方向、向かって左手から正面、右手に向けて広がりながら、
赤くそまった筋状の雲を飲み込んでいった。



2001.06.06

便乗で伊丹から松山へ移動時に、JAC の YS-11 に乗った。
今月からのパターンだ。
札幌で勤務していた時以来なので 4年ぶりだろうか。
とても久しぶりだった。
懐かしい音とともにプロペラが回りだした。
離陸滑走して浮き上がったとき、ゆっくりとした上昇率だった。
こんなに遅かったかなぁ・・・・?

やっぱり YS-11 の揺れは心地よい。
上昇中からすぐ寝てしまい、気がついたときはすでに着陸前だった。
伊丹から松山まではいつもならジェット機で移動するのだが、
今日 YS に乗ってみて、松山まで遠いなぁ、と感じた。



2001.06.07

関空 → 女満別へは 37,000ft で向かった。
東北に近づくと高さ 37,000ft ギリギリの雲があり、所々揺れた。
この雲の中は揺れそうだし、帰りは 39,000ft しかないかな?
お客さんは少な目だけど、燃料を多めに積むので 35,000ft までしか上昇できないかも・・・・・・
でも、上昇中に燃料を使って重量が下がれば、FL390 まで上がれるかな?

女満別でディスパッチへ行くと、やはり飛行計画は 35,000 ft になっていた。
予想通り、重量が重過ぎて 39,000ft まで上がれないのだ。

女満別空港を上がったときの飛行機の総重量は 128,500ポンド程度だった。
あと 1,000lbs の燃料を燃やせば FL390 に上がれるはず。
20,000ft 近辺を通過中、コンピューターが計算した最適飛行高度は 39,000ft になっていた。
もちろんすぐに管制官に FL390 を要求した。

北海道から飛行経路の日本海側は新潟の辺りまで雲頂高度が 37,000〜38,000ft で、
FL390 以下で飛ぶことは考えられない天候だった。
水平飛行に移りしばらくすると、客室乗務員(CA)にインターフォンで呼び出された。
「お年よりの男性の方で、息苦しくて時々呼吸の出来なくなるお客様がいらっしゃいます。
 酸素マスクを使ってもよろしいでしょうか?」
大丈夫かなぁ・・・?と思いつつも、どうも急病人というわけでもなさそうだし、
とりあえず酸素ボトルを使ってもらって様子をみることにした。
しばらくして再び CA に呼び出された。
「呼吸も問題なく出来るようになりました。 お客様、以前、肺のうちの1つを手術されたそうです。」

39,000ft で飛ぶと、客室高度は 8,000ft(海抜2300m)になる。
体力のない人だと、酸素濃度が薄いために高山病にかかる可能性のある高度だ。
ご老人で、しかも仮に1つの肺しか正常に機能していないとしたら・・・・・・
飛行高度を下げれば客室高度も下がるのだが、
今日の天気では新潟までは 39,000ft 以下に高度を下げるべきではなさそうだった。
酸素ボンベ1本で25分の酸素を供給できる、と CA は言っていた。
規程では、機内には7本搭載されており、5本あれば次の便も就航可能なのだそうだ。
つまり、酸素ボンベを3本使ってしまい、予備が関空にないと次の便は欠航になるのか・・・・・

とにかく新潟まではあと40分程度で到着するはず。
とりあえず酸素ボンベ1本を使ってもらい、新潟までは 39,000ft で我慢して様子を見よう。

1本目の酸素ボトルがなくなった時点で CA がコックピットを呼び出した。
「今、1本目がなくなりました。 お客様、気分が良くなったようです。
 もう酸素ボンベを使わなくても良さそうです♪」
良かった、良かった。
このまま 39,000ft で関空に向かうか。

しばらくすると、再び CA に呼ばれた。
そろそろサービスも終わり、私達に飲み物を持ってきてくれるのだろう、と思いきや、
「やはり呼吸が困難なようです。 もう1本、酸素ボンベを使ってもよろしいでしょうか?」

カンパニーに連絡し、お客様の状況と、佐渡から西で揺れない高度を聞いた。
31,000ft では強く揺れたレポートがあるので、28,000ft か 26,000ft が良いとのこと。
下に広がる雲が途切れると同時に、一気に 26,000ft まで降下した。
39,000ft での客室高度は 8,000ft だったが、26,000ft では 3,400ft になった。
海抜1000mちょっとだ。
「2本目の酸素ボトルも使いきりました。 今のところ大丈夫です。」
その後、26,000ft も揺れたため、22,000ft まで降下した。
「酸素ボンベを使わなくても、問題なく呼吸ができるようです。 今、気持ちよさそうにお休みになっています♪」


鳥取のあたりから関空の管制官に代わり、南に旋回して岡山方面へ向かった。
さらに東、淡路島の方向へ旋回を指示されてからしばらくするとどうも、様子が変だ。
先行機が待機するよう指示されている。
これは私達にもホールディングを指示してくるかな?
やはり来た! 何があったんだろう・・・・?
どうやら大韓航空機が滑走路上でギア(タイヤ)に問題が発生し、動けなくなったため、滑走路が閉鎖されてしまったようだった。
すぐに我々の残燃料を確認。
40分以上は待機できるだけ、余分に積んである。 
これならダイバート(他の空港に着陸すること)しないでも良さそうだ。

最初は10分程度の間、滑走路が閉鎖される、という情報が管制官から流されたが、
それが訂正され、15分になり、20分になり・・・・・
破裂したタイヤのゴムを回収して、掃除する作業にあと30分かかる、と言っている。
うちはまだ燃料あるけど、国際便はどうするんだろう?
まず最初に我々の 1,000ft 下で待機していたノース・ウェストがダイバートを決定。
伊丹空港へ行った。
後ろの全日空機も燃料が少ないようで、カンパニー、ATC と無線でしきりにいつ滑走路が開くのか聞いていた。
さらに私達の後ろにいたノース・ウェストが名古屋にダイバートすることを決定。
日本エアシステムも伊丹に行ってしまった。
そんな中、私達の 1,000ft 上を飛んでいる沈黙し続けるキャセイに、管制官があとどれぐらいホールディング可能か聞いた。
国際便だ。 燃料は少ないに違いない。
「We can hold for 70 minutes.」
ゲー、なんでそんなに燃料積んでるわけー!?
そりゃ、黙って待機してるわな・・・・・

結局 25分待機してから滑走路がオープンした。

私達が次に乗務する高知行きの飛行機はスポット21番に入っているはず。
我々はスポット19番だから、着陸後、Spot-in したら速攻あと片付けして移動しないと、次の便が遅れちゃう。
あれ、スポット21番に飛行機いないじゃん!
そっかー!
彼らも上空で待たされてるわけね。
あ、でも、私達は余分な燃料を沢山積んでたけど、彼らはそんなに積んでないんじゃないかな?
とすると、彼らはダイバートしてるかもしれないし、彼らが関空に着陸できなければ、高知行きはキャンセル?
それとも今私達が乗っている飛行機(次は女満別往復が予定されていた)を、高知に回すかな?
Spot-in すると同時に、高知行きの飛行機が今どこにいるのかカンパニーに聞いた。
熊本から帰ってくる飛行機で、なんとか関空に着陸するまで燃料が持ちそうだ、と言う。
だが、いつ到着するのかは未定。

約30分遅れて到着した熊本帰りの乗員に聞いてみたところ、あと 5分待たされていたらダイバートしていた、と言う。
彼らもたまたまいつもより多めに燃料を積んでいたのだった。
大幅に遅れはしたものの、めでたし、めでたし。

上空で呼吸困難に陥ったご老人は、元気に飛行機を降りていった。



2001.06.08

私は750ccのバイクに乗っているが、
唯一の問題は二人乗りして遠出をしようと思っても後部座席に座る妻の尻が痛くなること。
250ccのスクーターを買えば、後部シートが大きいので尻が痛くなりにくいかもしれない。
また、10年前のバイクよりきっとパワーもあるし、車検もないし、荷物も詰める。
だが、どうしてもスクーターには乗りたくない!
その前に、いつか今のバイクが動かなくなったとき、V−maxが欲しい!(YAMAHAの1100cc)

どうも仲間の話しを聞いていると、二人乗りをすると、やはり後部座席に座る奥さん方、もって1時間程度。
バイクの後部シートは小さいからだろうか。
往復1時間以内では、どこにも行けないではないか。

と、いうことで、尻が痛くならない後部シートを作ってみることにした。
座席部分に使ったのは、昔買った木のまな板。
足の部分(後部シートに固定する為の木)は以前紹介した玄関の棚を作ったときの余り木。
まず、座席になるまな板の上に妻に座ってもらい、線引きする。
そのラインに沿って金槌とノミを使って、尻の形になるように掘り込む。(この作業は大体でOK。)



ガタガタに削ったところを、本来切断に使う丸ノコをディスク・グラインダーに取りつけ、
横に滑らすように出っ張りを削り落としていく。
ある程度滑らかになったら、丸ノコをはずし、グラインダー用のサンドペーパーをとりつけ、さらに滑らかに仕上げる。
ここまでの作業時間は約2時間。



まな板に足をバイクの後部座席にピッタリはまるようにセットし、
木工用ボンドで接着し、12時間放置すれば出来あがり!





2001.06.09

もちろん今日は昨日作った試作品を試しに行った。

出発前に財布の中身を確認。
おっ、なんか万札が入ってるぞ!
そういえばこの間出張清算でお金をもらったんだ。
ラッキー! でも落としたら大変。
万札を全て抜き取った。

いつもだと、妻は20分もバイクに乗ると尻が痛くなる。
30分を過ぎるとかなり辛いらしい。
さて、今日はどうだろう・・・・?
何度も尻の調子を聞きながら、先へ進む。
20分を過ぎても全く問題ないようだ!
よしっ! ダムまで行こう!
バイク好きのキャプテンで、イヌを乗せて1周するダムがある。
そこまで行って、帰ってくれば、往復1時間半程度にはなるだろう。
その間妻の尻が耐えられれば完璧だ。

ダムの入り口に到着したが、尻は全く痛くないらしい。
とても良い天気でダムの周りを散歩している人々が気持ち良さそうだ。
快調にバイクを飛ばし、橋のそばに差し掛かると3人の警察官が飛び出してきた。
えっ! 速度違反?
でも制限速度は守ってたけどなぁ・・・・・
もしかして、何かの検問?
んなバカな。

なんと、この道は、土・日・祭日、二輪車通行止めだったのだ!
なんでだよ〜!
冗談じゃないよ〜!
交通違反なんて、15年前にバイクで速度違反で捕まって以来、一度もない安全ドライバーなのだ。
いつもキャプテンがイヌ連れて走ってるコースなのに・・・・
何で今日が土曜日なんだよ!

免許証、お願いします。
あれっ! ない!
えっ、何でだ?
さっきズボンのポケットに入れたじゃん・・・・・
あっ、そっかー!
万札抜いて、そのまま置いてきてしまったんだ!
うわぁー、ヤッベー!
免許不携帯だよ。
なんてこった・・・・・・

優しいお巡りさんは免許不携帯を見逃してくれた。
でも 「通行禁止場所通行」 はしっかり罰金¥6,000。
私の免許証の確認を取っている数分の間に、更に1台のバイクが止められた。
ヤツもやられたなぁ。
何で止められたんだ?って顔してるぞ。
かわいそうに。

この通行禁止の道路を通らずに帰る道順を、お巡りさんは親切に詳しく教えてくれた。
「どうもありがとうございます。 すみませんでした!」 と言って、立ち去った。
ところが道に迷ってしまい、10分近く走り回ったあげく、
結局そのお回りさん達が検問している場所に、今度は同じ道を反対の方向からたどり着いてしまった!
ピッピッピーッ!! と笛を鳴らされ、違うお巡りさんが飛び出してきて、再び止められてしまった。
さっきのお巡りさんは私達を遠巻きに眺めながら苦笑いしていた。
この辺は、道が分かりにくくてすみませんねぇ。」 と反対に私達に謝りながら
今度は、別のお巡りさんがもっと分かりやすい道を教えてくれた。
かなり恥ずかしかった・・・・・・

結局、往復約1時間45分かかったが、妻の尻は無事だった。
あと1時間は楽勝だと思う、とまで言ってくれた。
作った甲斐があった。
後部座席の制作費に¥6,000かかったと思えばいいか・・・・・・



2001.06.10

関空 → 松山 → 千歳 → 中標津 → 千歳 → 東京(便乗)

松山で北海道の天気をチェック。
北海道の西に弱い低気圧がある。
この低気圧に吹き込む湿った南の風の影響で、道東の南の海岸線には低い雲が発生。
低気圧の動きが遅いことから天候の回復は見こめないが、千歳は着陸できない天気ではない。

帯広の西から女満別にかけて、前線性の雲がレーダー・エコーで確認できた。
その動きは北北東進しており、女満別の上空に次から次へと雲が押し寄せている。
この動きなら中標津にこの雲がかかることはないだろう。
ちなみに女満別と旭川の天気をチェック。
どちらの空港も、雨が降っても比較的良好な天気だ。
よし、仮にこの雲が東へ流れ中標津にかかったとしても、天気はそれほど悪化しないに違いない。
あとはエンルート(巡航)。
前線性の雲の高さが気になる。
通常千歳−中標津間は 17,000ft、18,000ft で飛ぶのだが、それより雲が低ければ幸いだ。
エンルート情報は入っていないが、恐らく北海道は雲が低いので大丈夫?

松山 → 千歳 は定刻に到着。
予想通り南の風で低い雲が発生し、ILS19R へアプローチした。
千歳空港のディスパッチへ行き、再びエコー図を確認。
ありゃ、前線性の雲が中標津に移動してしまっているぞ!
どれどれ、中標津の天気は、と・・・・・。
げっ、結構悪いじゃん。

同じ雲の下でも、女満別は北海道の北に位置しているのに対し、中標津は南の海岸線から近い。
南の風が吹けば、湿った空気が南から北に移動するのだが、北海道の北の海岸線に達する前に、
かなりの湿気が消散するため、女満別空港では低い雲は減るのだ。
これに対して、南岸に位置する釧路や、若干内陸部ではあるが海岸線に近い中標津は低い雲が発生しやすい。
これは丁度、北東の風が吹く冬に日本海側に雪雲が発生し、太平洋側が晴れるのと、似た原理だ。
うーん、風の方向を見るのを忘れていた・・・・

とはいえ、着陸できない天気にまで悪化しそうな状況ではなかった。
風は弱く、飛行機の重量も軽いので、追い風で ILS08 に降りることができる。

エンルートの雲は、中標津行きは通常通り 17,000ft で Cloud Top にかからず、気流は良好。
帰りは少し Cloud Top が上がっていたようで、18,000ft で水平飛行に移ると In Cloud でゴトゴト揺れが続いた。
上を見ると空が少し透けて見えていたため、20,000ft まで上昇したところ On Top Smooth となった。

明日は中標津の天気、良くなっているかな?



2001.06.11

朝一の羽田発中標津行き。
昨日の悪天候をもたらした低気圧が道東に残っており、中標津は相変わらず低い雲に覆われていた。
天気図を見ると、5,000ft から上は 30,000ft まで南風。
地上の風のみ 030°から 10kt の北西風だった。
ディスパッチャーの説明しよると、この風の変わり目が暖かい空気と冷たい空気の境目で、
地上の空気を上からふたをして抑え込んでいるため、レーダー・エコー図で発達した雲が東の海上に抜けたあとも、
しばらく低い雲はとれずに残り、悪天が続く、との予想だった。

ディスパッチャーの予測は当たった。
あの天気図解析能力が私も欲しいものだ。



2001.06.12

今日は機長昇格訓練中の先輩副操縦士のシミュレーター訓練の付き合いだった。
機長昇格訓練の一環として行われるものだ。
昇格ロフトと呼ばれ、通常私達が1年に1回するのと内容的には同じで、CRMを目的としている。
雪氷滑走路への離着陸経験も兼ねているところが若干異なるところだ。

ブリ−フィングが始まる30分前に訓練センターへ行くと、相手方はすでに来ていた。
機長昇格訓練ではどういったことを勉強するのか聞いてみたが、内容が濃すぎてブルーになってしまった。
シートベルト着用のサインの点灯は、乗客に対する機長からの命令なのか、それともお願いなのか?
その法的な根拠は?
搭乗中に乗客が地上係員の言うことを聞かず、地上係員の判断で搭乗を取りやめにしようとしているが、
機長はそれを許して良いのか?
旅客規程には何と書かれているのか? 等々。

私は副操縦士“役”で右席に座り、訓練を受ける先輩副操縦士が左席に座ってキャプテン役をした。
想定は冬の日本海側の空港を上がり、太平洋側の空港への飛行。
途中 TCAS が鳴ったり、機械が壊れたり、
エンジンの調子が悪くなったりしながら、それぞれ対処しつつ目的地へ向った。
これをいつか自分が左席に座ってやるのかぁ・・・・。
そう事を考えると楽しみではあるが、とても不安な気持ちにもなるのだ。



2001.06.22

大阪−高知 のみ、2泊3日でこなした。

梅雨の時期、短い路線で南へ行くのは大変だ。
梅雨前線に伴った雲が必ずあるのだが、
路線が短ければ高い高度に上昇することができず、雲を飛び越えることは不可能だ。
だからといって低い高度、10,000ft 以下で飛べば巡航速度は 250kt に制限されるため、到着に時間がかかる。
それに低い高度にも当然雲があるし、四国は山があるため 8,000ft 以下には降りれない。
そんなわけで、大阪−高知 だけをずっと往復する毎日は、
低い高度ばかりを飛ぶので体には楽なのだが、精神的に疲れる。

しかもこの時期は高知空港では南風が吹き、湿った空気が空港の北にある山の手前に溜まり
低い雲を発生させるため、着陸できない天気になる確率も高いのだ。
20日、21日、ともに午後から夜にかけての勤務だった。
幸い2日間とも高知は朝のうちは雨が降り、午後から天気が回復、というパターンだった。

伊丹から高知へ向う 415便は私の担当だった。
伊丹空港を離陸し、関空の方角へ向って上昇するころ、
丁度関空を離陸した705便、関空→高知行きが私達より前方 40km程度のところにいた。
いつもなら、ここで出会うことはない。
705便はどうやら定刻より遅れて出発したようだった。

11,000ft を通過する頃、12,000ft なら雲の下をずっと気流良好で高知まで行けそうな気がした。
すると、キャプテンは私の気持ちを察したかのように言った。
こういうときは、前にいる 705便がどの高度で飛ぶか見てればいいよね。
なるほど、確かにそうだ。
705便も 415便も通常 16,000ft を飛ぶ。
気流が悪いときや雲を避けるときにはそれより上へ上がるときもあれば、下がるときもあるのだが、
前方の 705便はまだ上昇中で 15,000ft を通過していることを TCAS が示していた。
恐らく 16,000ft までは上昇するのだろう。

私達が 14,000ft に達するころ、705便は 16,000ft で水平飛行に移った。
前便のレポートによると、大阪→高知は 16,000ft は In Cloud で気流良好とのことだった。
やはり 12,000ft より 16,000ft の方が良いのだろう。

さて、16,000ft に到達して水平飛行に移りかけたが、どうも揺れるようだ。
上を見ると、雲の層は薄そうだし、しかも形が揺れなさそうな感じがする。
18,000ft に上がろうか?
20,00ft まで上がろうか?
このまま 16,000ft で行こうか?
まだ 705便は 16,000ft で飛んでいる。

「キャプテン、18,000ft もらってください。」(管制官から上昇の許可をもらう。)
私はドキドキしながらあと 2,000ft 上昇してみることにした。 すると・・・・・
いいじゃない、気流! よっしゃ、シートベルトサイン OFF!
20,000ft に上がってたら揺れてただろうね。」(キャプテン)
「何故ですか?」
さっき、20,000ft は揺れてるって、カンパニーで言ってたから。」(キャプテン)
そのカンパニー、私には聞こえなかった・・・・・・

しばらくして 705便は 12,000ft まで降下していった。
きっと 16,000ft が揺れていたので、どうしようか今まで決めかねていたのだろう。
705便は 12,000ft まで下がり、私達は 18,000ft まで上がった。
どちらが正しい、というわけではない。
全てパイロットの判断に委ねられており、それぞれの人がそれぞれの経験や知識から判断をするのだ。

操縦に専念していると、ATCとカンパニー、両方の無線を聞けないときがある。
キャプテンは 20,000ft が揺れることを知っていながら、
私がどういう判断をするか見たかったために教えてくれなかったのだろう。
間もなく機長昇格訓練がくる私だが、それまでに自分で考え、自分で判断、決定する習慣をつけさせよう、
というキャプテンの親心みたいな気遣いからだろう。
もちろん、私が誤った判断をすれば、私が決定する前に指摘、訂正はしてくれるのだが。

また明日も大阪−高知 を2往復。
明日は天気、どうかなぁ?



2001.06.25

先日、ステイ先で「ここが変だよ日本人」でハゲについて放送していたのを見て、思い出しました・・・・
私も昔、急激に髪の毛が薄くなった時期がありました。 
その頃の悲しいお話を、今回ちょっとご紹介したいとます。

昔、昔、ハゲになりかけていたパイロットのお話し。 (って、オレだよ!)

私はYS−11の訓練に入った頃から、髪が薄くなりだした。
最初に指摘されたのは一緒に訓練を受けていた同期からだ。
今でも忘れない、蒸し暑い大阪でのシミュレーターの訓練中だった。
風呂上りの私を見た彼は言った。
デブ、おまえ髪、薄くなってきてるなぁ。 ちゃんと育毛剤つけてるか?
?!?!?!?! (私は当時デブだった → ダイエット編、参照〜♪)
産まれて初めてそんなことを言われ、ショックった私は鏡に頭を写してよーく見た。
うわっ! ほんとだ! すごい薄いじゃん! ガビーン!
デブのうえにハゲたら、どーすんだよー! オレ、結婚できないよー! (i▽i)
(この時点で彼女いない暦、××年。)
母親似の私だが、母方のご両親も髪はフサフサ。
これまで気にすることはなかったのだ。

それからというもの、髪のことが心配で心配で、育毛剤なるものを買った。
更に熊本でYS−11の実機訓練中、床屋に行ったとき、
お客さん、米ぬかが毛穴にはいいんですよ。 抜け毛が止まりますよ。」 と
店主に薦められるまま¥3500もするハゲに良いとされる米ぬかシャンプーを買ってしまった。

それから3年後、A320のシミュレーターの訓練で東京に来ていた。
暑い夏の昼過ぎ、鎌田の床屋に入った。
おばちゃんは私の髪を切りながら無感情に言い放った。
あんた、40才までには完全にツルッパゲだね。
!?!?!?! 私は声を失った。 第一余計なお世話じゃないか!
私、わかるんだよね。 長いこと髪の毛切ってて、ひとの頭さわってるうちに。
・・・・・・・・・・・・・・・ (T▽T)
でもさー、どうにもならないわけでもないんだよね。
ここで一筋の希望が・・・・ またシャンプー買わされるの?

ツルッ、ツルッにはげてる人って、頭が必ず光ってるじゃない? ワックスかけたみたいに。
 頭皮がしわしわで光ってないハゲって見たことないでしょ?
 そういう人が仮にいたとしたら、それは自分で剃ってる人だね。
 頭が光る人がはげてる、っていうことは、頭皮が固いんだよ。
 頭蓋骨と頭の皮の間には脂肪の層があってさ、その脂肪層の厚さが毛根の深さを決めるのさ。
 頭が光るほど頭皮が固いっていうのは、
 この脂肪層が薄くなって、頭蓋骨に頭の皮が貼りついた状態なんだよ。
 頭蓋骨の脂肪層はその人が太っているか痩せているかに関係することじゃないんだ。
 だから体が太っていても頭蓋骨の脂肪が少ないために、はげてしまうケースもあるんだよね。
 頭皮がしわしわのハゲがいないのは、
 しわができる、イコール頭蓋骨と頭の皮の間に脂肪があるってことだからじゃないの?
 あんたもさ、自分の頭の中で、髪がフサフサなところと、薄くなってるところの頭蓋骨に指を当てて
 頭の皮が骨の上をどれだけ動くか試してみなよ。


頭のてっぺんから後ろにかけて、髪が薄いと感じる場所にマッサージをする要領で指を当て
頭蓋骨の上を頭の皮がずれるように前後左右に動かしてみる。
そのずれ幅は1cmもない。
そこで一般的にハゲることの少ない耳の辺りから首に近い頭皮を同じ要領でずらしてみる。
すると1cm〜2cmは動くではないか!

やっぱり私の言ったとおりでしょ?
 ハゲにくい耳の近くや後ろの方は頭皮が頭蓋骨にくっつきにくい、
 つまり骨と皮膚の間の脂肪がなくなりにくいんだよね。
 よくマッサージはハゲに効く、って言うけど、あれは毛根を刺激するんじゃなくて、
 頭皮をずらすことで頭蓋骨に皮膚がくっつかないようにすればいいんだよ。
 毛根は深い方が髪は抜けにくいけど、毛根の深さ、イコール、頭蓋骨と頭皮がずれる幅、なんだ。
 私のお客さんでハゲそうだった人も何人かいたけど、私が言ったとおりに頭皮をずらすようになってから
 ハゲの進行が止まった人もいるし、髪が増えた人もいたよ。
 あんたもさ、やってみたら? 40才でツルッパゲはイヤでしょ?


このおばさんは何かを私に売るでもなく、
ただ、彼女なりに考えたマッサージの意味と方法を伝授してくれただけだった。
これは信憑性があるぞ! (^-^v (あんまり「刈上げ」はうまくなかったけどなぁ・・・・)

それ以来、私はシャンプーをするときにだけ頭皮をずらすようにマッサージしている。
コンディショナーも育毛剤も使っていない。
だが、髪の薄さが気にならなくなった。
未だに頭のてっぺんの髪が薄い場所は、フサフサの所ほど頭皮はずれないが、
以前よりはなんとなく柔らかくなったような気がする。
もしかすると私はこのままハゲないでいけるのだろうか?

最近、髪が薄くなってきて心配な方、是非試してみてください♪



2001.06.27

羽田−大館能代は大変だった。

梅雨前線に伴った雲が東北を覆い、関東は積乱雲が飛行経路上を南北に連なっていた。
当初 27,000ft で大館能代へ向かう予定だったが、積乱雲を避けるために進路を東にとったせいで
反対方向から 24,000ft で飛んでくる飛行機の経路と重なってしまい 25,000ft までしか上昇できなかった。
その飛行機も我々同様積乱雲をよけていたのだ。
羽田−大館能代 間はそれほど遠くないので、出来るだけ早く巡航高度に到達しないと
水平飛行の部分が短くなってしまう。
乗客は満席に近かったため、仮に客室乗務員(CA)がサービスをするとなると、水平飛行を長くとりたいのだ。

なかなか 25,000ft から上に管制官に上げてもらえなかったが、上昇の許可がきたときに 33,000ft をもらった。
南北に連なる積乱雲を私達は東によけたため、
東北の西に位置する大館能代へ向かうには積乱雲を越えなくてはならず、
計画していた 27,000ft より 33,000ft の方がまだましそうだった。
一番雲の薄い部分、つまり揺れにくい部分を飛行することが出来たが、
それでも積乱雲の近くを飛行するためかなり揺れた。
結局 33,000ft に到達してから降下開始まで 5分しかなく、
またずっと揺れが続いたためシートベルト・サインは点灯させたまま大館能代へ向かった。

東北地方も雲に覆われていたおり、とくに秋田近辺は発達した雨雲に覆われていた。
だが、大館能代空港に着陸するためには秋田の上空を 11,000ft 程度で通過しなくてはならない。
そのつもりで降下を開始したのだが、今日は管制官は秋田を過ぎても 15,000ft 以下に下げさせてくれなかった。
それは秋田空港近辺に沢山の飛行機が 13,000ft より下を飛行していたためだった。
最初からそれが分かっていれば、降下開始する場所をより先に伸ばし、
揺れる雲に入るタイミングを少しでも遅らせることができたのに・・・・・

大館能代空港へそのままアプローチするにはあまりにも高度が高すぎるので、
NOSSY と呼ばれる地点の上空で旋回して高度を下げてからアプローチをすることになった。

羽田のディスパッチでブリーフィングを受けたときは、
私達が大館能代に到着する頃までには雨雲が東へ抜けて天候は回復している、との予想だったが、
あてがはずれ、除々に天気は悪化していった。
それでも着陸するには全く問題ない程度だったので幸いだった。

折り返し羽田行き。
計画は 26,000ft で予定されていたが、積乱雲をよけるにはそれでは低すぎるだろう、ということで
31,000ft で帰ることにした。
ところが 31,000ft は揺れてダメ。
すぐに 35,000ft まで上昇したが、さらに気流は悪化。
仕方なくまだましだった 31,000ft まで降下してベルト・サインをつけたまま羽田に向かうことにした。
その旨 CA に伝えた直後、山形を過ぎた辺りで雲の外に出て、気流は良好になってしまった。
そういうことはよくある。
気流が良く、ベルト・サインを消した瞬間に揺れが始まったり、
その後仕方なくベルト・サインをつけた瞬間に揺れが止まったり。
今日もまさにそんなタイミングで揺れが止まってしまった。

山形を過ぎるとやっと気流は落ち着き、ホッと一息ついた。
さて、羽田の天気をチェックしなくっちゃ・・・・・
きっと VOR22 Approach だろう。
ATIS と呼ばれる空港の気象とアプローチの種類を教えてくれる放送を聞く。
やっぱり VOR22だ。
でも風が北風になっていた。
予報では今日の21:00までは南風で、その後北風に変わるはずだった。
まだ16:00なのに、もう北風に変わったのか?
でも何で VOR22 をやっているんだろう?
ILS34L じゃないのかな?
「キャプテン、北風ですけど VOR22 をやってるみたいです。 コンピューターには何をセットしましょうか?」
「じゃあ、VOR22 を表に入れて、裏に ILS22 入れてくれる?」
(コンピューターにはアプローチ・タイプを2種類セットできるのだが、際に使用するのが「表」、予備にセットするのが「裏」)
あれ、裏は ILS34L じゃなくて良いのかな? まっ、いっか。
しばらくして再び ATIS を聞くと、アプローチ・タイプは ILS34L に変更されていた。
「じゃあ、表が ILS34L、裏は VOR22 に変えてくれる?」
「了解しました。」
コンピューターへアプローチ・タイプを入力するのには意外と時間がかかる。
大急ぎでアプローチのチャート(地図のようなもの)を出し、前に出したものをしまい、
その地図をみながらコンピューターをセットし直した。
「キャプテン、セット終わりました。 もう一度 ATIS 確認しておきます。」
すると風は南風に変わり、今度は VOR16L(C)になっていた。
「じゃあ、表に VOR16L、裏に ILS34L を入れてくれる?」
再びチャートを出し、コンピューターのセットをやり直し始めたのだが、
もうすでに羽田へのアプローチは開始されており、目の前に積乱雲が近づいてきた。
「ちょっと右に旋回してよけようか。 Request heading 210.」
私はキャプテンが要求した通り管制官に 「Request heading 210.」 と言わなくてはならない。
右手で無線の送信ボタンを押しながら、左手でコンピューターを操作し、
目はチャート、コンピューター画面、外の積乱雲、TCASに写る他機の位置を順番に見る。
もう少し高度を下げた方が揺れないかな・・・・ と考えていると、すかさずキャプテンから指示が出た。
「高度下げてよけようか。 Request descent.」
どうやって雲をよけるか?
成田の管制空域と自分の位置から、降ろせる高度は何フィートか?
先行機の高度との間隔を維持するために、私達が許可される高度は何フィートか?
先行機はどれで、それに対して私達は速度が速いのか遅いのか?
仮に減速したとすると、降下率が下がるので、高度は高くなるのか?
高度処理に問題がないなら、降下率をいくらにすればより揺れない場所を通過するのか?
着陸10分前の合図をいつ CA に送るのか?
着陸灯出したかな? 忘れてる操作はないかな?
コールアウト(通常操作の1つ)は抜けてないか?
次にくるコールアウトは何かな?
そんなことを考えながらも、左手は正確にキー操作をしてコンピューターに入力をしなくてはならない。
窓の外、計器、TCAS、コンピューター画面、チャート、全てを見ながら指を動かし、
無線を聞きつつ、キャプテンの言うことも聞きながら無線操作を行うため口も使うのだ。

なかなか忙しかったが、全てをこなし、無事着陸した。