2001.10.03

伊丹 → 高知 の最終便。

通常、伊丹空港では私達の乗る A320 は短い方の滑走路 32R を使って離陸する。
定刻に Block Out して短い方の 32R へ向かったのだが、
長い方の滑走路 32L には私達より前に Block Out した飛行機が3機待っているのが見えた。
離陸の順番は滑走路に向かった順番で決まり、この時点で私達の出発の順番は4番目だった。
だが、32L のファイナル(滑走路の手前の直線部分の進入経路)に着陸機がいるのが見えた。
32L から離陸しようとする飛行機は、着陸機を1機待たなくては滑走路内に入ることはできない状況だった。

客室内で非常用装備の説明や緊急時の脱出方法の説明が終わり、さらに客室乗務員(CA)が客室内を回り、
乗客が全員シートベルトを着用していることを確認し、その一連の作業が終わったことを CA がコックピットに連絡するまで、
飛行機は離陸することができない。
この作業にどの程度の時間がかかるかは、乗ったお客さんの数で大体見当がつく。
私達が Block Out してからの時間を考えると、間もなくその合図がくるはず、と思われるタイミングで、私達は 32R に接近していた。

管制官は離陸機同士の管制間隔を考える。
私達の飛行機が 32R から離陸し上昇した後に、次の飛行機を 32L から離陸させて良い間隔とそれに要する時間は決まっている。
32L に着陸する飛行機が滑走路に接近しつつある状況だったが、着陸機の滑走路までの距離を見て、
着陸機が降りてから離陸機が滑走路内に入り、離陸するまでにかかる時間内に、
私達の飛行機が上記の間隔を保てる場所に到達できる、と判断すれば、
管制官は離陸の順番を変更して私達を一番最初に離陸させてくれることがある。
管制官が 「Advise when ready.」(離陸の準備ができたら教えてください)と私達に言ってきたのだが、
この表現を聞くと、管制官は私達を一番最初に上げてあげよう、という意志があることが分かるのだ。

早く客室の準備が整わないかなぁ♪、と思いながら、32R に接近し、待てど暮らせど CA からは連絡が無い。
そうしている間にも 32L への着陸機はどんどん接近してくる。
早くぅーーーー!!
今なら1番目に上がれるのに、これを逃すと4番目になっちゃうぞぉー!
なかなか連絡がこない。
あぁー、もうダメだぁー。
先に行かれるーーー!
と、そこへ準備完了の連絡が入った。
よっしゃー!
「We are ready !」(離陸の準備ができました。)と管制官に告げた。
You are number 4.」(離陸の順番は現在4番目です。)
くっそぉー!
あと20秒準備完了が早ければ1番目に上がれたのにー!
悔しいぃ〜〜!
時計を見ると、いつものタイミングで準備が終わっていれば 19:03 には離陸できていたはずだったのに・・・・・。

離陸機が3機前にいるだけならどうってことないのだが、無慈悲にも 32L には着陸機が2〜3機見えた。
着陸機の間に離陸機を3機入れるために、さらに私達の離陸まで時間がかかることが容易に分かった。
仕方ない。
19:00 を過ぎたし、高知の最新の天気でもカンパニーでもらっとくか。
それでも時間が余る。

結局待たされた挙句、離陸した時刻は 19:13 だった。
離陸が10分の遅れたおかげで当然着陸も遅れ、定刻を3分まわって高知空港に到着したのだった。



2001.10.04

高知 → 伊丹の最終便。
もうすっかり夜だ。

Runway 32 を離陸し、オートパイロットを使わずマニュアルで 1,500ft を通過して右旋回した。
東の空にチラッと見えた夕日。
鮮やかな黄色い・・・・ 月?
夕日のわけないか?
でも本当に夕日と見間違えるほど空は明るかった。
真ん丸い月が鮮やかに黄色く輝いているのが見えたが、すぐに雲で隠れてしまった。

12,000ft を通過すると雲の上にスパッっと出た!
ここでは月の光は白く、平らに広がる眼下の雲に銀色に反射しており、まるで大海原のようだった。
水平に筋状の薄い雲の後ろに透けて見えた月は、筋に沿って屈折しているのか、
横にずれているように見えた光景が不思議だった。

しばらくするとその筋状の雲もなくなり、若干欠けてはいたがほぼ満月のその表面には、
図鑑で目にする模様がくっきりと映っていた♪



2001.10.05

今朝 03:55am に家の近くで家事があった、ようだった。
家の前と横に2台の消防車が留まりサイレンを鳴らし、無線交信をスピーカーで大音量で流していた。
にもかかわらず起きなかった私。 ムニャムニャ言っていたらしい。
火の手は見えなかったが煙が上がっているのを妻が目撃しており、多数の見物人もいたそうだった。

朝になって火災現場を見に行った。
アパートの一室の窓から壁伝いに煙が上がったのであろう形跡があったが、
隣の部屋までは火が回らなかったようで不幸中の幸いだっただろう。
表の道路にはお巡りさんが一人立って警備に当たっていた。
ご苦労さまです。
大きな火災ではなかったようだが、通りまですすの臭いがしていた。

先日、深夜に震度4の地震があって、次の日に会社ではその話題で大騒ぎになっていたときも、私は起きなかった。
小6の頃、2段ベットの上段から床に落ちても起きなかったため、
両親が重いのに担ぎ上げてベットに戻してくれた、らしい。
この時も朝まで起きることがなかった。
妻に言われた。
自分の家が火事でも、消防士さんに水をかけられるまで起きないんじゃないの?」(妻)

ところで、2000年の1月に実家が火災にあった。
丁度私は東京ステイのパターンで実家に泊まっていた。
ステイ先でも車が迎えに来てくれる。(「ピック」と呼んでいる。)
ピックの10分前、気持ち良くトイレに座り用をたしていた私。
Yシャツにネクタイをしめ、下はスウェットパンツをはいていた。
さぁ、そろそろ出勤だ、と立ちあがりかけたころ、何か外で音がしている。
パチッ、パチッ。
あれ?
この音、どっかで聞く音だな?
ハテ・・・・。 焚き火の音か?
んっ、それにしちゃぁー随分大きい音がするなぁ。
トイレから出て何気なく玄関を見ると、ドアの横のすりガラスが赤い。
んっ?
何だ・・・・・・?

火事だあーーー!!

走って玄関へ行き、ドアを上げると火柱が上がっていた!
大急ぎで茶の間に戻り、母親を発見。
テレビを見ながらお茶なんてすすってる場合じゃないよぉ!
母親は目が点になっており、すぐには状況を把握できなかった。
「火事だよ。 火事。 隣の家が燃えてて火柱が上がってるんだよ!」
母と玄関まで走りドアを開けた。
ボーボー燃えていた。
家の外に出ると熱い!
通りには人だかりができていた。
私は留めてあった実家の車を移動させ、次は何をしようか?考えていると、通行人が声をかけてくれた。
お兄ちゃん、バイクもどかした方がいいよ!
「あっ、そうですね。 ありがとうございます。 誰か携帯持ってます? 消防署に電話したいんですが。」
もうかけたよ! この消火器使って!
「ありがとう!」

戻っちゃダメだよ!」 と声をかけられたが、
「まだ母が家にいるんです!」 と言って燃える隣家の脇を走りぬけて家に戻った。
母は隣家に最も接近している2階の私の部屋へ行き、雨戸と窓を閉めて火が少しでも入らないようにしていた。
隣の家とは1m程度しか離れていない。
火柱がうちの外壁に直接当たっており、燃え移るのも時間の問題のように思えた。
まだ他にすることはないだろうか?
小さなプロパンのボンベが目に止まった。
おっと、これも移動させとかないと。
パリッ、という音が何度も聞こえた。
窓ガラスが熱で割れたのだ。
でもガラスが落ちない。
私の部屋の窓にはワイヤーが入っている。
火災でも窓が割れて飛び散らない構造になっていることを、この時初めて知った。
部屋全体が熱くなり、煙が入ってきた。
そろそろ避難しないと。

母は玄関のドアは防火扉になっており、消防士が入ろうとして下手に開けられると、
家の内側に火が入ってしまう、と言って内側からカギをかけた。
私の部屋の雨戸と窓、玄関を閉めた母の行為が、最終的には良い判断となったのだった。

消防士がかけつけ消火を開始。
家の前には幅3m程の通路があるのだが、通路を挟んだ隣の家に火が移っていた。
私はこのとき初めてピックが来ていることを思いだし、車が留めてある場所に走った。
「運転手さん、すみません。 家が火事で。」
いやぁ、驚きました。 大丈夫ですか? 10分前に車を留めて待ってたら、黒い煙が上がり出して。
 あれって、お宅かと思って見に行ったらやっぱりそうで。
(おーい、何で教えてくれなかったんだぁー!)
 ピックに行ったら家が火事だった、なんて、前代未聞ですよ。 会社にはもう電話しておきましたから。
「ありがとうございます。 ちょっと電話おかりできますか?」
すぐに羽田の事務所と伊丹の事務所に電話をした。
伊丹には幸い室長がおり、実家が大変だろうから1週間でもいくらでも必要なだけ居ていいぞ、と言ってくれた。
ピックに来た運転手さんには謝って帰っていただいた。

警察官に携帯を借り、父に電話し、NTT、水道、ガス会社と電話していった。
父はすっ飛んで帰ってきた。
それまで冷静だった母もさすがにうろたえて泣いていた。
燃えちゃう・・・・・。」(母)
でも、いいよな、地上では逃げれるから。
上空で火災が発生して火が消えなくても逃げるところはない。
必死で降りるところ探して緊急着陸して、それまでの間に飛行機が燃え尽きて墜落しないように願うしかないもんな。
そう考えると目の前で起きている出来事がそれほど大きなことに思えなかった。
生きてるんだし。

出火した隣家は築50年以上経っているし、飛び火した家も築30年以上だ。
露出した壁の木は乾燥していた。
古い木は密度が軽いし、ダンボールのように燃えやすい。
でも一気に燃えてしまうから、例えうちが炙られても、うちの壁と屋根が着火する温度に達する前に燃え尽きるのでは?
うちに使われている木材は金槌でガンガンたたいても5寸釘が曲がってしまって入らないほど、
固くて密度の高い木を使っている。
こういう木は燃えにくい。
2年前、防火ペイントを塗りませんか?という押し売りに負けて、外壁の塗りなおしをしてるし、
屋根もトタンだけだと夏暑いから、と「積水瓦U」とかいうものを乗せてある。
きっと火は移らない。
うちは大丈夫だ。
私は何故かそう確信していた。

火を出した隣家と飛び火した家との間隔は約1m程度だったが、結局、うちは外壁と屋根が少し焦げただけだった。
火を出した家は全焼。
飛び火した家も80%程度燃えて、ほぼ全焼の状態だった。
可哀想に・・・・・。

普段、焚き火程度しかやったことがないが、
家が燃えるとあんなに熱いんだなぁ、火って怖いなぁ、と身をもって体験したのだった。



2001.10.09

昨晩は 関空 → 松山 の最終便で松山に入った。
通常のスポットは6番だが、中国の飛行機(B737)が整備作業で留まっていたために、私達は1番スポットへ変更になった。
国へ帰れなかったお客さんがいるのだろうか?

夜の便には時間帯によっては弁当がついている。
私はこの弁当を次の日の朝ご飯に回すことが多い。
昨晩もそのつもりだったが、松山のホテルの冷蔵庫は小さくて弁当をしまうスペースがほとんどない。
製氷室の下に数センチの隙間があったので、そこに押し込んだ。

今朝、弁当を出してみると凍っていた。
やっぱり・・・・・。
ほっとけば解凍するだろう。
家でご飯を冷凍することもあるが、電子レンジでチーンすれば元に戻る。
でもただ解凍させただけのものを見たことがない。
どうなるんだろう・・・・?
1時間もするとポロポロの米粒になってしまった。
ゲェーッ!
これって、食えないじゃん。
でもこの程度でめげる私ではない。
ステイバッグには「ゆかり」ちゃん(シソのふりかけ)をしのばせてある。
ホテルには備え付けのティーバックとポットがある。
よしっ、お茶漬けだ!

ホテルに備え付けのティーバックには、薄いお茶にしかならないものと、かなり濃いお茶になるものとがある。
確か松山は薄目だったな。
お茶漬けにするには、かなり沢山のお茶がいりそうだし、2つティーバック使っちゃえ♪
グラスに2つティーバックを入れ、お茶を注ぎ込みしばらく放置し、割り箸で押しつぶして濃い目のお茶をつーくろっと。
テレビを見ながら割り箸でティーバックをグラスの内側に押し付ける。
ふと手元をみると、メチャクチャ濃いーい、お茶の原液みたいなものが出来上がっているではないかぁー!
ゲェェェエエエーーーーッ!
まっ、いっか。
ご飯に「ゆかり」ちゃんをかけ、お茶をかけて、パクリ。
マッズーーー。
しばらく放置すると、米がお茶を吸ってふやけた。
そしてパクリ。
やっぱり、マッズーーー!
もう少し「ゆかり」ちゃんの助けを借りてお茶の味を消そう。
それでもダメだ。
私にはめずらしく、7割くらい食べたところでギブアップ。
あとで伊丹で昼ご飯を食べよう。

今日の勤務は便乗(DH)で松山から伊丹空港に移動して、その後スタンバイ。
タクシーでホテルから松山空港へ到着。
運転手さんが荷物をトランクから降ろすのを手伝ってくれようとしたが、「キャプテンの分を助けてあげてください。」
と言い、自分で荷物を出そうとかがみこんだ。
ガツンッ!!
痛〜いっ!
ヒザがガクッと折れ、一瞬意識が遠のきかけ、思わずフラッと倒れそうになった。
トランクのふたが上がりきる前に前かがみになり、自分の頭をトランクのふたの角に思いっきりぶつけてしまった。
周りにもガツンという音がしたようで、頭以上に周辺の人達の冷た〜い視線が痛い。

トイレに行き、おでこをチェック。
毛の生え際に少し血がついていたが、どうやらなんともなさそうだ。
なんて石頭??
と自分に驚きながら便座に座った。

アナウンスが聞こえる。
伊丹空港行き444便をご利用のお客様、搭乗手続きは11:05で締め切らせていただきます・・・・。
出発時刻は11:30なのに、随分早くにチェックインを締め切るんだなぁ、とビックリ。
ゆっくり用をたし、搭乗ゲートに向かった。
ありゃー、もう搭乗開始してるよ。
これはきっとテロがらみで早め、早めに何でもやっていく方針になったんだろう、とボーディングパスを見る。
ありゃ、出発時刻は11:20じゃん!
ヤッベェー!
勘違いしてた。
危なく呼び出されるところだった。
そういえば、過去にも何度か同じことしてるな。
年取って忘れっぽくなったのかな?
でも、学生時代にもやったっけか。
18:00発を08:00pm発と勘違いして国際便出発の30前に成田空港に到着したこともあったっけなぁ〜。
空港は閑散としてて、チケット持ってきてくれた旅行会社の人が、一緒に荷物持って走ってくれたっけ・・・・。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

低気圧が九州に接近しているせいか、上空でのサービスができない、という旨のアナウンスを客室乗務員(CA)が入れていた。
ということは揺れるわけね。 気持ちよく眠れそうだ!
シートに浅く座り座高を低くし、少しでも体が斜めになるようにする。
ヘッドレストの上に頭が出ていると首を休ませることができない。
そして足を前に投げ出して寝る準備をした。
すると再びアナウンスが入った。
上空に参りましてから 『ミスター・ビーン』 を上映いたします。 チャンネルは12番です。
寝てる場合じゃないよ、とすぐさまシートに深く座りなおし、座高を高くする。
そして座席前のポケットからヘッドフォンを取り出し、12チャンネルに合わせて離陸を待った。

今日は「幸い」気流不安定のため、上空で CA がサービスをしなかった。
つまり通路を CA が行ったり来たりしないのだ。
これは私にとってはラッキーなことだ。
ミスター・ビーンを見ていると、ついついほっぺたが緩み(まぁ、大抵はいつも緩んでおり、笑い皺があちこちにある)、
時には声を押し殺して笑ってしまうこともある。
以前も他社便で移動中、同じような状況のとき、CA が私に話し掛けてきた。
そんなに面白いんですか? 私はあなたの顔を見てる方が面白いですよ♪
CA が通路を通らず、至近距離で笑っている顔を見られない方が、安心してほっぺたを緩んだ状態にしておけるのである。
今日の私の座席は 14C。
前から14列目でこっちを向いて着席している CA からはかなり離れていたが、それでも時々 CA と目が合った。
きっと私がヘラヘラしてるところ、全部見られてるんだろうなぁ・・・・。

伊丹へ到着。
飛行機を降りると腰の曲がったおばあちゃんが3つもカバンを持って歩いていた。
到着ゲートから出口まではかなりの距離がある。
これは荷物を持つのを手伝ってあげないと♪
周りには沢山人がいたが、恥じは掻き捨て。
おばあちゃんに声をかけて、大きい袋を2つ持ってあげた。
そのうち1つはかなりズシッとくる紙袋だった。
紙袋の上から、同じ形の箱の包みが何個も覗いていた。
きっとお土産だろうなぁ。
「ご旅行でしたか?」
はい、実家へ戻っておりました。
実家???!!!
腰の曲がったおばあちゃんが実家に帰った、っていうことは、
もっとお年を召されたおばあちゃんのお母さんが松山にはいらっしゃるのだろうか?
「おうちまでは遠いのですか?」
奈良に住んでおります。」
「結構遠いですね。 ご家族の方はどなたかお迎えにいらっしゃってるんですか?」
いえ、一人なんです。 昨日だったら休日だったので息子が迎えに来れたのですが、今日は仕事なので。
おばあちゃんは手荷物のみ。
私は預けた荷物があったので、途中でおばあちゃんに荷物を渡し別れた。
ありがとう、と深々とお辞儀をしてゆっくりと歩いて去っていった。
私はしばらくおばあちゃんの後ろ姿を見送った。
曲がってしまった腰に大きな荷物。
一歩一歩、歩いていくおばあちゃんの後ろ姿に、何故かたくましさを感じた。
笑顔のとっても素敵なおばあちゃんだった。



2001.10.13

千歳 → 中標津(485便)
全乗客の搭乗が終わり、通常通り客室乗務員(CA)がコックピットに入ってきた。
あのぉー、1名、ご老人の方なんですけど、どうもかなり酔った様子のお客様がいらっしゃいます。
 千鳥足でヨタヨタ歩いてるんですが、とても楽しそうにしてらっしゃいます。
 恐らく他のお客様へご迷惑をおかけする感じではないと思うのですが、どういたしましょうか?

上空へ行くと気圧が下がるため、更に酔いが回ることもあり、泥酔したお客さんの搭乗を拒否することもあるのだ。
地上係員は何も言ってなかったの?」(キャプテン)
ええ、別に・・・・・。」(CA)
仕方ない、そのまま乗せて行こうか。 ひょっとして、お尻触られたりするかもしれないから気をつけろよ♪」(キャプテン)
「えぇ〜、もしそんなことがあったらお呼びしますので、出てきて助けてくださいよぉー。」(CA)
そりゃダメですよ♪ 何かあったら私達は飛行機を守らなくてはいけないのですから♪ ねぇ。」(キャプテン)
こっちを見ないでくださーい!
あぁー、もうなんてこと言うんですかぁー、キャプテンー (TT.TT)
ウソでもいいから、出て行って助けてあげる、って言ってあげてくださいよぉー!

中標津に到着し、お客さんが全員降機し終えると、再び CA がコックピットに入ってきた。
で、さっきのお客さん、どうでしたか?」(キャプテン)
えぇ、大丈夫でしたよ♪ 今降りて行かれましたが、まだその辺にいらっしゃると思います♪」(CA)
コックピットを出て、ディスパッチへ行くために、お客さん降りていった通路を通る。
見るとそこには例のおじいちゃんらしき人が、立ち止まってベルトのあたりをいじりながら何かをしている。
んっ?
動き出したぞ・・・・。 
わぁー、歩くの遅っいなぁー。
あれじゃ、いつ出口にたどりつくんだ?
歩いては立ち止まり、ちょっとフラッとして、また一歩進む。
誰か迎えに来てればいいんだけどな。
おじいちゃん、飛行機に乗る前にいっぱい飲んじゃ、ダメですよ♪



2001.10.14

初めての千歳ステイ。

ホテルの外を歩いてみると、区画の大きな家が建っている。
70坪強の土地が中心部の便利なところで800万円。
中心部から離れると1500万円程度で土地付き一戸建てが買える、という話を聞いた。
東京や大阪に比べてなんと安いこと!
町並みがアメリカの地方都市の住宅街のような場所があった。
う〜ん、あこがれる。

今日は午後からの勤務。
朝、ホテルの向かいにある大きなスーパーへ物色に行った。
魚売り場に並んでいる魚介類が安い!
食べたいものがいっぱいあるが、家に持って帰れないので何も買えない。
なんとも残念。
ああいう光景を見ると、北海道に住みたくなってしまうのだ。

昨晩と今朝は貧相なメシで我慢したので、お昼は何を食べようか?
ホテルのすぐそばには吉野家と回転寿司があった。
吉牛の特盛りにしようか?並で我慢するか?
北海道ならきっと回転寿司もネタがいいに違いない。
どうしよう・・・・・。
そんなことを考えながら、エネルギーを少しでも消費するため、外を早歩きで散歩。
雲が垂れ下がり、今にも雨が降りそうな天気。
結局決めることが出来ず、ホテルにトボトボ戻った。
エレベーターに乗ると、バイキングの広告が目に飛び込んできた。
¥1,100 でランチ・バイキングだぁー?!
ホテルにしては安いかな?
ほんとかなぁ?
何度も広告を見る。
あぁ、やっぱり¥2,500だよな。
あれっ?
いや、これはディナー・バイキングの値段だぞ。
よーし、今日は久々に奮発してホテルでバイキングといくか♪
アメリカにいた頃、よく安いバイキング 「All You Can Eat for $9.99」 に行ったことを思い出す。
あの頃はよく食ったなぁ。
だからガンガン太ったんだな、これが。
昨日はひもじかったし、食べるか!

間もなくチェックアウトして空港へ向かわなくてはならないので、制服に着替えてからにしようかとも思ったが、
きっといっぱい食べてしまうだろうし、ベルトがきつくなっては困る。
それでトレパンにジャージでレストランに行った。
バイキングに男性の姿はほとんどない。
それほど混んではいなかったが、
バイキングが置かれてる場所から最も遠い席に案内された。
私がいっぱい食べそうなのが分かっていて、それで往復しにくいように遠くにしたのだろうか?
もしそうなら、このウェイター、なかなかのやり手だ。

バイキングとはいっても意外と種類は少なく、またレストランのサイズに比べて食料の量が少なかった。
結構格式の高いホテルのはずなのに、メニューごとに別れたプレートのうち、かなりの器がほとんど空だった。
お客に2〜3人、私のような男性客がいたら、数分で全てが空になっていたことだろう。
それでも私は出されている全ての種類の料理を食べることができた♪
狂牛病が紙面を賑わせているせいか、牛肉はなし。
滅多に食べることのない羊の肉を久しぶりに食べたのも嬉しかった。
結局プレートを山盛りにして 5往復してしまった。
おかげで垂直に座ることができない。
制服、入るかなぁ・・・・?
いつもは食事制限をしているのだが、バイキングという言葉に私はめっぽう弱い。
どうしてもガンガン食べてしまう。
だが、昔に比べるとかなり食べる量が減ったのは事実。
きっと胃が小さくなっているのだろう。

斜め前方のテーブルには、リッチそうな感じのオバサン2人が座っており、メニューを見ている。
安いバイキングを食べずに、彼女達のテーブルには何やらお重のようなものが運ばれていった。
なかなか良いご身分のようだ。

夢中にガツガツ食べていたが、満腹になり外を見ると、にわか雨が降っていた。
昼食に吉野家に行ってたら、今ごろきっとずぶ濡れだったんだろうなぁ、とちょっとだけ幸福感を味わった。

そろそろレストランを出ようか、という頃、女性ばかりのアジア人団体旅行客が入ってきた。
顔は日本人なのだが、言葉が違った。
最後に私が見たとき、バイキングは9割ほど空になり、種類も7種類ほどあったメインディッシュのうち、5種類ほどは空だった。
あの人達、食べるもの全然ないなぁ、と可愛そうに思って見ていると、ほとんどの人達がフルーツかサラダをごく少量、とってきていた。
しかも一番小さなプレートに。
みんなダイエットをしているのだろうか?
不思議な光景だった。

お昼、食べ過ぎてもたれた胃は、17:00 に松山に到着したときもパンパン。
18:20 に関空に到着しても、まだ張っていた。
晩御飯を食べることが出来ない時間帯の勤務だったので晩飯の弁当が出るのだが、手配ミスだったようで、2つもついていた。
よっしゃぁー。
これで今日の晩と明日の朝食はゲットしたぜぇ〜♪

19:00 になっても全〜然お腹は空いてこないのに、弁当を2つゲットして喜ぶ、食い意地のはった自分に、
一瞬ためらいを感じたような、感じなかったような、食い物に振り回された一日は無事終わった。



2001.010.25

高知発伊丹行き(404便)に、酸素ボンベの持ち込みが必要なお客さんがいた。
酸素ボンベを飛行機に持ち込む場合、色々な制限がある。
ディスパッチャーが OK と言えば、もちろんそれらの制限事項は全てクリアーなはずなのだが、
一応勉強に、ということで、私達が持っている規程類と、空港に置いてある旅客運送規程を見比べてみた。
フムフム・・・。
そうだよな。
 へぇー、そうだったけか?
ウンウン、なるほど。
うる覚えである程度のことは知っているのだが、やはり時々は目を通さないと忘れてしまう事項が多い。

高知から伊丹へ向かう 406便に、パラリンピックに参加した方々が搭乗された。
電動式の車椅子を1つ受託したのだが、液体を含むバッテリーが車椅子にはついており、
これは危険品とみなされ、やはり一定の制限事項をクリアしなければ飛行機に搭載することはできない。

当便には足の不自由なお客様 2名、目の不自由なお客様 3名、耳の不自由なお客様 3名が搭乗予定だった。
体の不自由なお客様は、飛行機が緊急着陸して脱出するときに手助けを必要とする場合があるため、
搭乗人数に制限のある場合がある。
付き添いの人がいる場合といない場合など、細かく分類されているのだ。
これもディスパッチャーと旅客担当者が既に規程を満たしていることを確認済みであるが、
また勉強の意味を兼ねて規程類を引っ張り出してきて調べた。
う〜ん、毎日毎日見ているわけではないので、忘れてしまっている事項が多々ある。
いかん、いかん。

406便はほぼ定刻に伊丹空港に到着した。
体の不自由なお客様が多数いらっしゃったため、普段より降機に時間がかかったが、
幸い折り返しの 409便まで時間がたっぷりあったので、次の便が遅れる心配もなく、
きっとゆっくり、いつも以上に丁寧に地上係員の人達も降機のお手伝いが出来たのではないだろうか。

飛行機は、狭い機体に可能な限り沢山のお客さんを乗せることが出来るように設計されている。
シート間隔を窮屈でない範囲に狭めたり、通路を細くすることで座席数を増やすようにしている。
一度に運べる最大乗客数を増やすことが出来れば、それだけ運賃が安くなるからだ。
このため、車椅子での乗り降りが大変なのだ。
バリアフリーを達成するために、この矛盾を打破、解決できる方法はないものだろうか?

飛行機を降りて行く体の不自由なお客さん方が、時々振り返って仲間と話をする姿がコックピットから見えた。
みんなさんの、明るい、にこやかな笑顔が印象的だった。



2001.10.26

関空 → 高知(703便)での出来事。
Push Back の許可をもらう地上の管制官と交信する周波数が VHF-1(無線1)に、
VHF-2(無線2)にはいつものようにカンパニーがセットされていた。

お客さんが全員乗り終わるとカンパニーからファイナル・ウェイト(=乗客数、飛行機の重量等)をもらう。
その後、客室乗務員(CA)がウエバラ・シート(Weight & Balance Sheet)と呼ばれる、
カンパニーが送信したファイナル・ウェイトと同じ事項が記載されている紙をコックピットに持ってくる。
この2つを見比べて、同じであることを確認してから Push Back を管制官にもらうのだ。

703便の出発時刻がせまっており、カンパニーからファイナル・ウェイトをもらうタイミングが遅れてしまったたのだが、
その時丁度 CA がウエバラ・シートを持ってコックピットに入ってきた。
私がカンパニーにファイナル・ウェイトを送ってもらおうとすると、キャプテンが言った。
ウエバラ・シートで確認するからカンパニーはもういいわ。
私達は出発時刻の数分前になると秒単位で行動するため、頻繁に時計を見ている。
そしてこの時点でカンパニーと交信していると、定刻に Push Back できないことが分かっていた。
2つ隣のスポットからジャンボが間もなく Push Back する。
彼らに先に行かれると、私達の離陸時刻が2〜3分遅れるのだ。 急がねば。
私は無線をカンパニー周波数の VHF-2 から地上管制官の VHF-1 に切り替えた。
CA から乗客のインフォメーションを口頭で聞いている最中に、カンパニーに呼ばれた。
ANK Air 703便、ファイナル・ウェート送ります。」(ディスパッチャー)
すかさず私は答えた。
「ANK Air 703便です。 今、CA からウエバラ・シート受けとりました。
 ステータスはAということで了解しています。 ファイナル・ウェート結構です。」
ふと無線機を見ると、それは VFF-1 であった!!
ヤッベェ〜!! 管制官の周波数で放送しちまったぜ!
「ANK Air 703. Disregard.」(私の送信を無視してください。)
VHF-2 のカンパンニーに切り替え言いなおし、再び VHF-1 に戻って言った。
「ANK Air 703. Request Push Back.」
クッソー! なんてこったい。
今さっき 「ANK Air 703」 と言ったばかりなので、
管制官も周波数を聞いているパイロット達も全員私の声を知っているわけで、
間違って送信したのは私だってバレバレじゃん?!
でも、地上の管制官専用の周波数だったからまだマシか。
これが上空の飛行機も聞いてる周波数だと、ほんと、全国放送だもんな。
キャプテンは笑っていた。

2つ隣のジャンボが若干先に Push Back を開始したが、彼らは4つのエンジンをスタートしなくてはならない。
私達が先にエンジン・スタートを終え、ジャンボより先に地上滑走の許可をもらった。
滑走路へ向かう途中、私達よりはるかに滑走路に近い場所で、
JAA の B767 が Push Back を終えて地上滑走を待っていたが、
私達の後ろのジャンボの後から地上滑走をするように管制官に言われていた。
可っ哀想〜、と思いながらも、ラッキ〜、と感じつつ、滑走路へ向かった。
丁度着陸機が滑走路末端を通過しかけており、2機目も滑走路の手前5マイルの地点を通過していた。
きっと2機目が着陸後に私達は離陸することになるんだろうなぁ、と思いつつダメもとで管制官に言った。
「ANK Air 703. Ready♪」(離陸の準備は完了しています。)
ANK Air 703. Taxi into position and hold Runway 06.」(滑走路に入って待機しなさい。)
ウッヒョ〜、ラッキ〜、言ってみるもんだなぁ。
着陸機2機の間隔がこれだけしかないのに、その間に離陸機を入れるのは羽田だけだと思ったけど、
関空もなかなかやってくれるじゃん。

1機目が滑走路の外に出た時点で離陸の許可が出た。
計器上の TCAS が表示する、すぐ後ろにせまる機影の距離と高度とにらめっこしながら離陸パワーをセットした。
私達が離陸滑走を始めたとき、2機目の飛行機の高度は 900ft(300m)を切っており、その距離わずか3マイル。
さらに離陸滑走をして浮き上がった瞬間、700ft の地点にいた。
私が着陸機の立場だったら、とっとと上がれよ。
じゃないとゴーアラウンドしなきゃならないじゃん!
と思うであろう間隔だった。
ハラハラさせてしまって、ゴメンナサイです。
もし、JAA の B767 の後の離陸になっていたら、5分以上遅れて出発していたんだろうなぁ。
もちろん目的地の高知には定刻より2分早く到着することができた♪

こういう出来事が一日の最終便で起きると、一日の疲れはふっ飛んでしまう。
高知の町へ買い物に出かけた。
目的は小さなカメラ用の三脚を買うこと。
でもバラして別のものを作るために必要なので、新品を買う気はもうとうない。
リサイクル・ショップが見つからず、100円ショップへ行った。
店員に聞いてみたが三脚はさすがに置いてない。
そりゃ、無理だわな・・・・・。
店内を見て回ると、目に飛びこんできたのは自転車のチェーン・ロック。
これっ、100円で買えるの?!
何ヶ月か前、500円で安売りしていたチェーン・ロックをゲットして喜んでいたのだが、
錆びついてしまいカギが回りにくくなっており、先日力ずくで回してカギ穴にカギが刺さったまま折ってしまったのだ。
これぞまさに安物買いの銭失い。
もちろん安物に弱い私はこりずにチェーン・ロックを100円でゲット♪

さて、テクテク歩きながら三脚を探していると、次に目に飛びこんできたのはワゴンに積んである靴の山。
ステイ先に持っていくときにかさばらないスニーカーの類をずっと探しているのだが、
目的に合ったものはアクア・シューズ。
海や川に入るときに履くタイプの靴は、小さくて軽くて折りたためる。
でもヒモできつく縛れるしっかりしたタイプのものは高い。
ずっと狙っていたのが、9800円のアディダス製。
でも安売りするのを待ちすぎて店頭から消えてしまった。
そこで次に狙ったのが7900円のアディダス製のもの。
マレーシアの Duty Free で見たものが209リンギットで(約6270円)最安値だったが買い損ねた。
まさかあるわけないよなぁ・・・・と思いつつワゴンを見るとあったぁ!
しかも5530円だぁー!
よっしゃーっ!
4つしかないけど、サイズは・・・・?
24.5、24.5、やっぱし小さいのしかないなぁ。
24.5、25.5!!
おっしゃー、これなら履けるはずだぜ。
店内に入りイスに座り、さっそく履き心地チェック。
う〜ん、完璧♪

さらにフラフラ商店街を歩き回った。
今度は時計屋が目に入った。
何気なく立ち寄り、安売りしているものをチェック。

私は高校生のときに買ったセイコーのダイバーズ・ウォッチを愛用している。
私は寝るときも風呂に入るときも、一日中腕につけているので、防水でないとまずい。
さらに仕事がら、休日が土・日・祭日ではないので、曜日の感覚がなくなってしまうため曜日のあるものが良い。
そしてアナログでないと時間の経過が分かりにくく、デジタルはパイロットという仕事に向かない。
キャプテンはよく副操縦士に次の便の出発時刻を聞く。
忘れっぽい私がそんなものを覚えられるわけもないし、聞かれる前にタイムテーブルを見ることも忘れてしまう。
そこで、離陸してしばらくすると、次の便の出発時刻(分)をダイバーズ・ウォッチの回転ベゼルにセットするのだ。

これらの理由でダイバーズ・ウォッチしかしないのだが、ずっと同じ時計だとさすがに飽きる。
ときには違う時計もしてみたい。
とはいっても選ぶのはやはりダイバーズ。
ロレックスをしている乗員も多いが、あれには曜日表示がないし、高い。
それで、なんちゃってロレックスのようなエルジンのダイバーズも持っている。
それでも飽きるので、最近新しいダイバーズを探していた。
しかし・・・・・何故か一昔前にはあった曜日表示が、今はほとんど見かけない。
しかも私はかなりのこだわりがあるから、何を見ても満足しない。

ちょっと軽〜い感じで本体もベルトも蛍光色っぽいダイバーズが良い。
でも仕事にも使うので秒針と曜日表示がなくてはダメだ。
今使っている男物のダイバーズは少し大きめなので、若干小さめがいいが、小さすぎると貧弱なのでほどよい大きさが良い。
でもわがままばかり言ってられない。
本当はクリスタル・サファイアが良いが、そうすると高くなってしまうので、ガラスでも我慢しよう。
本当に海に潜るわけではないので、本物のダイバーズでなくても、怪しげな10気圧防水なら構わない。
さて、いくらなら買うかなぁ・・・・・、3000円くらいか・・・・・・。
もちろんそんないい話があるはずがない。

が、あったのだ!
沢山ぶら下がっている時計達の中に、
ひときわ目立つ蛍光色のオレンジ色のダイバーズ。
オッ!
でも日付はないのかな・・・・と近づいてよ〜く見ると、
回転式の針で日付と曜日を表示しているではないかぁ!
しかも大きさが私が望んでいたピッタリサイズではないかぁ!
クリスタル・サファイアのわけもなく、ガラスでもなく、プラスチックの風防。
更に秒針はイルカちゃんの絵が書いてある
円盤状の透明プラスチック板だぁー!
値段は・・・・うぉー!
定価5000円で、売値1500円!!
で、メーカーは?
国産で激安といえば ALBA しかないだろうし、
さもなくば怪しいノン・ブランドのはず・・・・・
へぇっ?
maruman? あれっ?
marumam って掛け時計や目覚し時計のメーカーだよな?
腕時計見たのは初めてだぞ?
まっ、いっか。
いっちょ前にブランド品?だぜぇ。

レジで消費税込みで1575円を払うと、電池交換500円割引券をくれた。
「このチケット、有効期間はありませんので、電池交換の際にはお立ち寄りください♪」
心の中で、電池交換は自分ですれば電池台100円、大きめのダイバーズだって150円だも〜ん、
と思いながらも、とっても気分が良いので、「どうもありがとうっ!」と言って店を出た。

帰り道、G短パンで悲しい思いをしたアーケードを今日は足取り軽く、
いつも通り食材をスーパーで買いこみホテルに戻った。
明日の朝はバイキング〜♪
早く寝ーようっと♪




2001.10.27

伊丹発高知、403便。
管制承認(Delivery)をもらってから周波数を代えて地上の管制官(Ground)と交信して地上滑走を始める。
ところが・・・・、またやってしまった。
私達がスポット12番で Push Back をせずにエンジンをかけている最中、
JALのジャンボが我々の飛行機の行く手をふさぐように Push Back をしていた。
早くエンジンかけ終わって Taxi Out してくれないかなぁ・・・・。
そんなことを考えていて周波数を Ground に代えるのを忘れていた。
おっ、そろそろかけ終わったな。
「ANK Air 403. Request Taxi.」(地上滑走の許可をください。)
This is delivery. Contact Ground.」(こちらは Delivery です。 Ground と交信してください。)
「Sorry !」

高知空港での数分の空き時間。
地上係員(GH)のお姉さんに呼びとめられた。
知り合いなのだが、私のHPを愛読してくれている。
接遇新聞できましたよ♪
高知の GH さんが作っている社内の手作り新聞に、私のHPアドレスを載せて宣伝してくれたのだ。
「わぁ〜、どうもありがとうございまーす♪」
でも、同業者に見られるのは、かなり恥ずかしい。
照れながら、でも悪い気分もせず、ルンルンッと飛行機に戻ると、CA に言われた。
この間、HP見ましたよぉ♪」(CA)
「えー、どこで見たんですか?」
ステイ先の高松空港で、整備さんの事務所のパソコンで、みんなで見ました。」(CA)
「えっ?! 整備さんの事務所ですか?」

一見、図々しそうで、目立ちたがりやの私だが、実際にはかなりシャイなのだ。
とはいっても、きっと私を知る人は誰も信じてくれはしまいが・・・・・・。

同業者以外の未知の人に見てもらうぶんには全然OKなのだが、
同業者で私よりもずっとキャリアが長い人や、業界に通じている人に読まれるのは、ムチャクチャ恥ずかしい。
関係者は入ってこれないような、何かパスみたいなものってないのだろうか?

今度は高知発関空行き、702便。
Push Back の前の無線の交信の順番は、普通、管制官から管制承認をもらい、
次にカンパニーでファイナル・ウェートをもらう。
つまり、最初 VHF-1 を使い、次に VHF-2 に切り替え、Push Back 前に VHF-1 に戻す。
しかし、時々この順番が変わる。

そろそろ管制官から管制承認がくるだろうと思って待っていると、カンパニーが呼びだしてきた。
ファイナル・ウェート入りました。 送ってもよろしいでしょうか?」(ディスパッチャー)
「ハイ、どうぞ♪。 ファイナル送ってくださ〜い。」
しーん・・・・・・・・。
?????
あっちゃ〜、まただよ。
VHF-1 じゃん!
「ANK Air 703. Disregard.」(私の送信を無視してください。)

昨日、今日と、いったい何回間違ったら気がすむんだ?
あ〜あ、自己嫌悪。
キャプテンはクスクスいつまでも笑っていた。
ゴメンナサイでした。



2001.10.29

低気圧は東進し、前線も通過したかのように見えた西日本。
ディスパッチで天気図や衛星写真等を見て、関空発松山行き(221便)は全く問題ない、と判断していた。
飛行機へ向かう途中、221便は私が操縦するように、とキャプテンに言われた。

いつもなら瀬戸内海の上空を 20,000ft で飛行する。
だが、今日は 15,000ft 〜 20,000ft 近辺までは風が変わるため揺れるという予想だったため、12,000ft で飛行計画を受けた。
関空に早朝到着した国際便のレポートもそれを裏付ける内容だったので、私は松山まで快適なフライトを予期していたし、
松山空港も前線が通過した後で、天気は良好なものと思っていた。

関空を離陸し、上昇中にカンパニー無線で天気のレポートを入れている他機の通信が聞こえた。
Cloud Top(雲の頂上)は 9,000ft でそれより上には雲がない、という内容だった。
10,000ft を通過し、雲の上に出てから、私はシートベルトサインを消した。
だが、ずっと西の方角に、若干高めの雲が見える。
あの雲の Top(頂上)はどれくらいかなぁ。
どうも 12,000ft より高そうなんだけど・・・・・
恐らく 14,000ft 弱に違いない。
丁度その時、222便(松山 → 関空)が天気のレポートを入れているのが聞こえた。
何々、15,000ft は気流良好?
15,000ft から上は気流の変わり目で揺れとの予想だし、よしっ、14,000ft まで上がるか。
「キャプテン、14,000ft もらってください。」
何の疑問も持たず、自分の判断は正しいと確信しきっていた。

しばらくすると、コトコト揺れが始まった。
巡航高度に達したばかりのときは 255°の方向から吹いていた風が、いつの間にか 265°まで振っていた。
ひょっとして、この辺に気圧の谷があるのか?
(気圧の谷を東から西に横切ると、風は南西から西、北東へと変わり、揺れることが多い。)
まずったなぁ・・・・・。
まぁ、でも、そんなに揺れることはないだろう。
西の雲が接近してくると 14,000ft でかつかつで、Top にギリギリかかるか、かからない程度の高さであることが分かった。
客室乗務員(CA)へのブリーフィングで、気流良好って言ってしまったし、どうすっかなぁ。
さっき222便は 15,000ft は良好って言ってたけど、今更 16,000ft に上がっても仕方ないし、16,000ft は揺れるはずだし・・・・。
しゃあない、我慢しよう。
この程度ならベルトサインを点ける必要はないだろう。
CA もベテランだし。

更に西へ進むと雲が除々にせり上がっており、飛行機が雲の Top をかすめそうになると、大きく揺れるようになってきた。
ありゃ〜、いつの間にか風が 275°まで振ってきてるじゃん。
これは揺れるだろう。
ベルトサイン、点けた方がいいだろうなぁ。
でも、まだ7分しか消してないし、もうちょっと粘ってみるか。
「あの雲を過ぎると、Top が低くなっている可能性もあると思うので、もうちょっとサイン点けずに様子みます。」
んなこと言って、ホンとかよ?
きっとキャプテン、ベルトサイン点けた方がいいと思ってるんだろうなぁ。
そういえば、衛星画像で瀬戸内海上空に、ほんのちょっとだけ雲の映像が映ってたような気がする・・・・・。
そっかぁ、きっとあれだな、この揺れる雲は。
待てよ、もしかして関西から瀬戸内、松山にかけては前線は通過しきったと思っていたけど、
前線の端っこの雲が残ってるんじゃないのか?
高知までは通過したと思ってたけど、判断が謝ったな。

キャプテンが最新の松山の天気を取ってくれた。
1時間前は曇りで、私は CA へのブリーフィングで、到着するころは晴れてるはずだと言っておいたが、
なっ、なにぃ〜?!
雨が降ってるのぉ?!
やっぱりそうだ、前線、抜けきってなかったんだ。
ウワァ〜、大ウソついちまったぜ! どうしよう・・・・。
しゃぁーない、ベルトサイン点けて、後で CA に謝ろう。

松山へのアプローチは、BAMBOO という地点で約 10,000ft になるように降下していく。
私は 14,000ft を飛んでいたので、BAMBOO の手前12マイル付近から降下を開始すれば良かった。
BAMBOO の手前40マイルのところで、10,000ft まで自由に降りてよい管制承認がきた。
14,000ft が揺れてるのは Cloud Top 近辺だからかなぁ。
だとすると、今すぐ降りてしまった方がいいよな。
でも、雲の形から判断するに、雲中も揺れそうだし。
それに 10,000ft まで降りると 250kt まで減速しなくてはならない。
ちょっと遅れ気味だから、 14,000ft を高速で飛ぶ方がいいし、燃料も節約できる。
さて、どうしたものか?
う〜ん、きっと雲の中も揺れる。
よしっ、ギリギリまで 14,000ft で飛行しよう!
すると、いいタイミングで松山を離陸した飛行機からレポートが入った。
19,000ft は気流良好です。 上昇中は 13,000ft 〜 14,000ft の間のみ揺れました。
 あとは良好です。 行ってきまーす。

ぬぁにぃ〜!
15,000ft 〜 20,000ft は揺れるんじゃなかったのかぁ〜?!
14,000ft が一番揺れてるだぁ?
ずっと 12,000ft で我慢して飛んでれば揺れなかったっていうのかぁ?
クッソォォオーッ!!
「キャプテン、 10,000ft まで降りま〜す♪」 と、あくまでも平静を装う私。
14,000ft から降下してすぐに雲にドップリ入り、13,000ft を切ったところでピタッと気流は収まった!!
や・ら・れ・たぁ。

関空を出発する前は、到着時、松山空港周辺には雲もなく、
遠くから飛行場を視認しながら Visual Approach をして空港上空を通過し、
Left Downwind に入って Runway 32 に降りる予定だった。
とんでもない! 前便のレポートによると、普通入る 1,500ft の Downwind にも入れず、1,000ft で回った方が良い、とのこと。
じゃぁ、ILS 14 からのサークリング 32 だわな。
さぁ、どうしようか?
ILS Final を Right Break して Left Downwind に向かうとき、何度カットにしよう?
この前 30°でやったら、天気が悪いときは 45°か 60°にした方が良い、と指摘されたっけ。
よしっ、今日は 45°カットにしよう。
ILS 137°に対して 45°だから 182°だな。
旋回して 182°に Heading 向けて、タイムチェックするとして、何秒飛ぼうか?
視程は良さそうだし、1,000ft Downwind だから、Downwind 幅は 2マイルでいいよな。
あっ、でもいい機会だから Minimum Circling やらせてもらおうか?
練習で 520ft で 1.5マイルの Downwind に入っちゃおうか?
低高度飛ぶと住民はうるさいだろうなぁ・・・・・。
う〜ん・・・・・。
やっぱり 1,000ft で 2マイル幅にしよう!
で、風は真後ろから吹いているだろうから・・・・とりあえず45秒飛んで左旋回してみよう。
きっと丁度2マイルになるに違いない。
2マイルの Downwind を飛ぶと、どこの上を飛ぶはずなんだ?
チャートを見とくか・・・・。
え〜っと・・・・。
川のちょっと向こうの角が四角い埋立地の先端付近だな。

ILS の電波に乗り高度を下げていくと、飛行場が見えた。
おっし、これなら 2マイル、1,000ft で楽勝さ♪
「じゃあ、Right Break します。 45°カットで45秒飛びます。」
182°に旋回し、タイムチェック、ストップウォッチをスタート。
20秒経過。
おっし、いい感じ。
30秒経過。
あれっ、45秒は多すぎか?
40秒でも長いかも。
さっき45秒って宣言しちゃったし、どうすっかなぁ・・・。
どうごまかそう?
今日みたいに Downwind 付近のみ雨が降ってて視程が悪いとき、わざわざ 45°カットして雨の中に入ることないでしょ?
 30°カット程度で緩やかに旋回して飛行場を見失わないように Downwind に向かう手もあるんだよな。
」と、キャプテン。
なぁーるほど! って、感心してる場合じゃない。
40秒だけど旋回しちゃえ。

滑走路を左手に見ながら Downwind を飛び、Runway 32 End でタイムチェック。
25秒経過したところで旋回し Base Turn。
Base の中間で高度を降ろせばいいから、ここは水平飛行。
パワーをちょっと足さないと速度が減るぞ。
旋回開始!
3%パワーアップして、高度 Maintain。
おっと、スピードそれでも切ってるぞ。
さらにパワーを5%足してと・・・・。
そろそろ高度下げなきゃ。
「Flaps Full !」
向かい風20ktでこの飛行機の重量なら、パワー57%程度でOKのはず。
向かい風だから 0.6マイルで Final Turn すっか。
高さはどうだ?
いいよな?
速度OK。
Sink Rate は 700fpm はちょっと多いぞ、600、600。
よっし、Final。
高さバッチリ。
PAPI は赤3つ。
地上の風はクロス10ktで今は25kt。
どっかで減るんだな。
方向は揃ってる。
落とされることはないだろう。
ピッチ、、Path、、Sink Rate、、速度、、パワー、、ピッチ、、パワー、、速度、、Sink Rate・・・・。
Threshold!
機軸を直して、と。
左足ちょっと。
右にちょっとバンク。
あってるか?
OK、OK。
タイヤつくぞ。
もう少し。
1,000ft Marker 通過。
Touch Down 伸ばさない。
Pitch ちょっと緩めて・・・・・・
えいっ、右足つけちゃえ!
おっし、リバース!
スポイラー立ってるな。
オートブレーキ OK♪
う〜ん、接地はまずまずだったけど、アプローチ、まずかったなぁ。
45°カットもまずかったし、45秒も長すぎ。
計算違ってたな。
16,000ft まで上がっておけば良かったなぁ。
前線通過してるはずだったのに、なんてこった。
かなり手前で 10,000ft まで降下したけど、ちょっと運航効率悪かったなぁ。
到着も3分遅れちゃったし、サービスもあまり出来なかったろうし、あ〜あ、もう最悪だよ、今日は。

キャプテンからのブリーフィング。
今日みたいな天気のときは、12,000ft から 4,000ft 単位で上がるのがいいよ。 まぁ、結果論だけど。
 あと、 Base Turn で速度落ちたでしょ。 水平飛行で旋回するときはパワーを足さなきゃ。
 でも忘れちゃうんだな、これが。
」(キャプテン)
ちゃんと足したんだけど、足りなかったんだよなぁ。 でも、まっ、いっか。
「そうですね。 パワー足すの忘れてました♪ それにしても、14,000ft で失敗しました。」


松山のディスパッチへ向かった。
フローコントロールがかかっているので離陸は44分以降、と管制官から指示があったようだった。
出発時刻は定刻で30分。
Push Back 開始してから離陸まで7分程度あれば充分だ。
ということは、Push Back は35分頃でいいか。

飛行機に戻って準備を終え、乗客が搭乗開始。
カンパニーに無線で呼ばれた。
トーイングカーが1台しかないので、先にANKさん Push Back して、その後トーイングカーをはずしてトリプルにつけます。
 44分以降の離陸ですが、早めに Push Back 開始して、Runway 手前で待機しては頂けませんでしょうか?
」(ディスパッチャー)
ちらっとキャプテンを見ると、OKサインを見せた。
「はい、了解しました。 じゃぁ、Door Close し次第、Push Back します。」
よろしくお願いします。」(ディスパッチャー)

「44分の離陸でクリアランスが来ないと、ひょっとして Push Back させてくれませんかねぇ。
 ところで、松山ってトーイングカー、2台ありましたよね? ほら、あそこに1台。」
きっと壊れて動かないんじゃないの?」(キャプテン)

30分に管制官に Push Back を要求。
ANK Air 237. 日本語で申し上げます。 クリアランスがまだなので、Push Back スタンバイしてください。」(管制官)
「って言ってますけど、キャプテン、どうしましょ? トーイングカーが1台しかないなんて、かっこ悪くて言えないですよね?」
う〜ん、どうしようか? でも仕方ないでしょ?
 トリプル遅れちゃうから、理由を説明して Push Back させてもらおう。
」(キャプテン)
「はい、じゃぁ、そう言っておきます。
 ANK Air 237. 日本語で申し上げます。 トーイングカーが1台しかなく・・・・・・・・。」
その後、管制官はすぐに Push Back の許可を出してくれた。
ANK Air 237. どうもご配慮、ありがとうございます♪」(トリプルのクルー)

松山空港をいつもより5分遅い44分に離陸したが、上空では時速180kmの追い風を真後ろから受け、
千歳空港には定刻より10分も早く到着した。



2001.10.30

千歳空港のディスパッチへ、松山行き238便のログを取りに行った。
ブリーフィングをしてくれているひとの横にいたディスパッチャーの左手には、私と同じセイコーのダイバーズ。
ブリーフィングが終わってから彼の時計を見せてもらった。
大きさ、形は全く同じ。
でも私のは200m防水。
彼のは150m防水。
彼の方が古いタイプであることが分かった。
私は高校時代、16才のときに買ったので、16年前の代物である。
「その時計、古いですねぇ〜。 150m防水ですか。 大切にされてるんですね♪
 私も同じヤツしてるんですよ。 それより1つ新しい200m防水ですけど。」
私の時計、姉に買ってもらったんで、なかなかほおることができなくてね。 もう20年前ですか。
姉に20年前に買ってもらった時計なので、他のものに代えられない。
なんともいい話ではないか。

関空 → 松山、223便は私の担当だった。
前便の224便は関空に定刻よりかなり早く到着してしまったため時間があり、私は家に電話していた。
今晩は松山ステイなので、電話代がより安い関空から公衆電話でかけたのだ。
どうでもいい話をし、トイレに寄って、それから出発ゲートに戻った。

おっ、GHさんがいる。
目的地の最新の天気をもらっておこうっと。
「すみません、高知の天気、頂けますか?」
えっ? 高知ですか?」(GH)
「はい。 お願いします♪」
搭乗ゲートの端末をたたいて、ここ数時間の高知の天気を画面に表示させてくれた。
「あのぉ・・・、お手数ですが、プリントアウトして頂けますか?」
あっ、はい。」(GH)

天気の印刷された紙を手に、機内に戻った。
まだ時間があったので新聞を読んでいると、新しく入社したばかりの CA が寄ってきた。
質問があるのですが、よろしいですか?」(CA)
「ええ、もちろんですよ♪」
エコー、という言葉をよく聞くのですが、エコーと雲、どう違うのですか?」(CA)
分かり易い言葉で説明したつもりだが、彼女は分かってくれたような、分かってくれなかったような。

出発時刻の20分前になったので、223便のクルーブリーフィングを始めた。

「えー、この便も私が操縦して行きますので、私からブリーフィングします。
 巡航高度は予定通り 20,000ft で行きますから。
 大きな揺れはないと思いますので、ベルトサインは10分ちょっと消せると思います。
 目的地の高知の天候は晴れで18℃です・・・・・・。
 高知? 私、高知へ行くんでしたっけ? あれっ? あっ、松山でしたね。
 えーっと、松山の天気はとってないので分かりません。」
晴れの18℃だよ。 さっきとっておいたから。」(キャプテン)

そっかぁ〜、それでゲートで天気をもらおうとしたときに、GHさんが変な顔をしたんだ。

クルーブリーフィングが終わって、まだちょっと時間があった。
その髪型って、なんかポリシーでもあるんですかぁ?」(CA)
私の髪型は、ここ7年ほど、ずーっとツーブロックである。
横の髪が多く、ちょっとでも長めにしようものなら、ただでさへ太い顔がさらに横に幅広く見えてしまう。
童顔、丸顔を少しでも縦長にカモフラージュするために、耳から上へ8cm程度はバリカンでうんと髪を短く剃りこみ、
上の髪を長くしてかぶせるようにしている。
こうすると、髪を長くしても横に膨らまないのだ。
本当は目にかかるほど伸ばした前髪を上げてセットし、おでこを出した方が格好良いのでは? と勝手に考えているのだが、
セットするのが面倒で、シャワーを浴びたらクシでとかして終わり。
そうすると、ただでさえ童顔なのに、さらにおぼっちゃんみたいな髪型になってしまうのだが、差し障りないので放置している。
「ポリシーってわけではないんですが・・・・・、実はこの髪型、妻に切ってもらってるんですよ♪」
私の妻は、美容院や床屋で働いていたわけではない。
床屋でツーブロックのカットを見ていてとても簡単に思えたので、
ある日、妻を連れて床屋へ行き、切っているところを見てもらい、カットの行程を憶えてもらった。
失敗してもいいから、ということで2〜3回もすると、もう床屋へ行くよりもうまくなっていた。
最近では、刈上げもかなりの上達ぶりだ。

「ほんとは、前髪を上げておでこを出したいんですけどね、面倒で。」
えぇ〜、今のままがいいですよ♪ かわいくて♪」(CA)
「そおっすかぁ〜、イヤ〜、照れるじゃないですかァ〜。
 いえね、実は目がチャーム・ポイントだって、よく、おばさん以上の女性に言われるんですよぉ〜♪」
さぁ、みんな、仕事、仕事。 とっととコックピットに入ってくださいね。 じゃ。」(CA)

調子、ぶっこいてベラベラしゃべっていると、こういう扱いを受けてしまうのである。
もちろん、ふざけて言ってるのだが・・・・・。

どういう風にそういう話になったのか忘れたが、キャプテンと税金の使い道の話をした。
所得税や住民税、払うのは仕方ないとして、税金を払う人が使い道を指定できたら良いのに、という共通の見解。
キャプテンは植林にお金を使って欲しいと言っていた。
私が最初に思いついたのは風力発電とゴミの回収。
風力発電の設備投資にお金を使って欲しい。
みなさんは、どういったことに自分の払う税金を払って欲しいのでしょうか?