2002.12.01  TV ボード

TV ボードを作って欲しい、と妻からリクエストがあった。
今のテレビボードは、独身時代にホームセンターで買った、9,800円の組み立て式の安いものだ。
TVの重さに耐えられず、天板が中央で窪むようにそってしまっている。
私も以前から作りたいと思っていたので、今回、トライすることにした。

材料は良いものを買えば、それなりにいいものは作ることができる。
でも、それでは能がない。
予算を1万円以内、ということにした。

ホームセンターへ行くと、思わず買いたくなってしまうような木を発見。
修正材だが厚さ3cmでしっかりしている。
幅45cm、長さ150cmの板が・・・・、ゲェ〜ッ!? 6,480円だぁ〜!?
幅45cm、長さ100cmの板は4,980円。
頭の中で板を切断してデザイン通りに組み立てていく。
150cmが2枚と100cmが1枚あれば出来そうだ。
ってことは、17,940円かぁ〜。
消費税もかかるし、キャスターも買わなきゃならんし・・・・。
やっぱ、却下。

そんなわけで、2001.02.22 に作った棚に使ったものと同じ木材を、今回も使うことにした。
建築用材の安い木だから、そりまくっている。
その中でも、まだましなものを選んだ。

厚さ3.6cm、幅28cm、長さ244cmの板を2枚 = 2,080円×2 = 4,160円
厚さ3.6cm、幅18cm、長さ305cmの板を1枚 = 1,380円

28cm×244cm ⇒ 45cmの板を4枚
28cm×244cm ⇒ 110cmの板を2枚
18cm×305cm ⇒ 110cmの板24枚
幅の広い板は高いので、天板は28cmと18cmの板を横につなげることにした。(天板46cm×110cm)
切断はカット20円なので、160円。
ネジ : 数十本(約300円)
タボ : 数十本(360円)
キャスター(車輪) : 4つ(420円/個で1,680円)

これで全ての材料がそろったわけだが、合計約8,000円。
予算内に収まった。

カットされた板どうしの接続に、タボを使う。
ドリルで8mmの穴を開け、木工用ボンドをつけて差し込み、小槌でたたい埋め込む。
とりあえず、よりそっていない幅の狭い方の板(天板)と
縦の板をタボを打って木工用ボンドで固定。
このまま一晩放置して、完全に接着する。
幅の広い方の板(天板)を片側ずつタボを打って、接着する。
かなりそっているのが分かる。
ひっくり返して反対側も同様に貼り付ける。

そってしまっている板はどうにもならないが、ネジを使ってしめれば、ある程度は修正できる。
天板の中央にあらかじめドリルで穴を開け、ネジをしめる。
ネジの頭が完全に埋まるように、ネジの頭の直径より大きい穴を途中まで開けておく。
ここでは、直径8mmのタボを後で利用できるように、ドリルも8mmを使った。
タボをノコギリで切る。
ネジを隠すために穴をタボでふさぐ。
ヤスリをかければ完成♪
このままだと角がとがっているので、
ディスク・グラインダーにサンドペーパーを取り付け、角を落とす。
さらにヤスリをかけ、最後に紙やすりで表面全体をなめらかにする。

次に裏板のかどに、キャスター用の穴をドリルで開ける。
最後に家具屋でもらった亜麻仁油(アマニユ)を塗って、オイル仕上げを施せば、
出来上がり〜♪

BEFORE

AFTER




2002.12.02

夕方、7時頃、時間に余裕のあるときはスーパーに行くようにしている。
半額商品がお目当てだ。

昨日もスーパーへ行った。
すると、讃岐うどんを発見〜♪
1袋30円かぁ〜。
買っちゃおうかなぁ〜。
惣菜のコーナーに行くと、掻き揚げも値下げしている〜♪
こりゃ〜、どう考えても、うどん買って、掻き揚げのせろ、って訴えられてる感じだなぁ〜。
でも、低インシュリン・ダイエット的には最悪のコンビネーションだわなぁ。
うどんは純粋に炭水化物で血糖値を思いっきりあげ、
その後、掻き揚げで脂肪を蓄積するわけだから。
まるでケーキ食ってるのと一緒だわな・・・・。

一旦あきらめ帰宅し、お風呂に入った。
それでもうどんと掻き揚げが頭から離れず、風呂を上がってから再びスーパーへチャリで向かった。
まだ、あったぁ〜♪
うどん大好きの私。
誘惑には勝てなかった。
こうして明日の昼食のメニューが決まったのだった。

そして、今日、お腹が空き、うどんターイムっ!
と思いきや、つゆがない!
ないないないないなーっいのだぁ゛ぁ゛ー!!
クッソー!
こういうときに限って切らしてるなんてーー!!

雨の中、チャリで再びスーパーへ直行。
どうせ、私専用のトニック・シャンプーも切らしてるし、行くしかない。

スーパーに入って入口すぐのところに、卵が山積みにしたあった。
おっ! 1ケース100円〜♪
えっ? 「500円以上、お買い上げのお客様のみ」 だってぇ〜?!
店員さんをつかまえて聞いた。
「これって、たまごの値段、込みで500円でOKですか?」
いえ、たまご以外で500円以上です。」(店員)
「あっ、そうですか・・・。」
極めて冷静に言ったものの、心の中では「ケチーッ!」と叫んでいた私。(はっ、私が?)

しゃーない・・・、とりあえずつゆを買わねば。
安売りしている大瓶を298円でゲット。
あと、何を買おうかなぁ。
家を出る前に冷蔵庫をチェックしときゃぁ良かったなぁ。
納豆3つで78円かぁ。
これ買っても全然足らないなぁ。
牛肉100g100円・・・・・、高いなぁ。
おっ! 低脂肪牛乳が1本100円! おっしゃー! これこれ。
冷蔵庫に3本はあった気がするけど、まぁ、ガンガン飲めばすぐなくなるし、2本買っておこう。
つゆと牛乳2本で498円! これなら消費税込みで500円を越える・・・・。
あれっ? 消費税込み、それとも抜きで500円以上?
うわぁー、ちゃんと聞けば良かったなぁ・・・・。
また聞くの面倒だし、恥ずかしいなぁ・・・・。
おっ、ノンファットヨーグルト、500gで100円!
う〜ん、これはあまりおいしくないけど、まぁ、食べれないこともないし、
これにすっかぁ〜。

結局、つゆと、特売品の牛乳、ヨーグルトだけ買って帰ることにした。
ウッシッシ♪ な〜んか、得した気分〜♪

帰り道、いつもの通りをチャリで走っていた。
手すりのある歩道が片方にあり、乗用車が普通にすり違える対面通行の道路だ。
私の前方には片手に傘を持ったおばちゃんが、車荷台に荷物を積んでヨロヨロ、車道を走っている。
危ないなぁ・・・・・。
前方から車が2台向かってきた。
後ろからはホンダのCVR(4駆)がスピードを出して私を追い越した。
対面から乗用車が1台通過すると、次の車までほとんど距離がないのに
CRVがおばちゃんを追い越すため加速しながら反対車線にはみ出した。
反対車線の車は電柱をよけるためセンターラインを超えようとしている。
どう考えてもCRVはおばちゃん自転車の前に出れるはずがない。

危ないっ!!

対向車が電柱をよけるためにセンターラインを最もはみ出した場所で、
CRVはようやくおばちゃん自転車を半分追い越し、この場所で2台の車が再接近したから大変だ。
対向車は停止し、CRVはブレーキをかけながらガードレールによった。
おばちゃんはCRVに幅寄せされ、
ガードレールに押し付けられそうになりブレーキをかけたが片手運転だからたまらない。
何度かガードレールに接触しながらヨロヨロおばちゃんは走ったが、
ついにおばちゃん、自転車ごと横転した!

対向車にはそのまま走り去った。
追い越しきったCRVもそのまま行ってしまうかと思ったが、左に寄って停車した。
私はおばちゃんに声をかけようかと思ったが、
CRVから運転手が降りてきたのを確認したのでそのまま通過した。

いや、待てよ?
反対に運転手が 「危ないじゃないか! どこ走ってるんだ!?」 と逆キレする可能性もある。
自転車を止め、振り返り様子をうかがった。
どうやら運転手、おばちゃんを助けてあげているように見えた。
自転車を起こしてあげている様子からして、恐らく任せておいて大丈夫だろう、と私は判断。
そうそう、君が悪いんだから、君が自分でおばちゃんを助けて、ちゃんと謝罪するんだぞ。
私は、そう心の中で彼に語りかけながら、家路についた。

げぇ゛ぇ゛え゛ーー、、、シャンプー買うの、忘れたぁ〜。



2002.12.04

佐賀空港で少しだけ時間があり、ディスパッチで何気なく開いた新聞に載っていた記事。
心が動かされたので、ここで紹介させて頂くことにする。


 西日本新聞 12月4日の朝刊、社説より

 『給食の残りに飢餓の国思う』 (福岡市 南区 の中学生、和田光貴(15才)さん)


  僕の学校には、パンバケツという道具が存在する。
 これは給食で残ったパンを、その中に入れ、当番の人が持っていくというものだが、
 もちろんバケツに入れられたパンは、二度と人の口に触れることはない。

  今、世界中で飢餓に苦しんでいる人は数えきれない。
 日本の近くのある国では、地べたに落ちたたった一握りのパンくずを、
 必死で取り合う子どもたちがいるという。

  給食終了のチャイムが鳴り、ぞろぞろとパンバケツに向かう生徒たち。
 時にはバケツからあふれるほど残る日もある。
 その光景を見て、僕はいつも複雑な気持ちになる。

  今、僕が貧しい人たちに、特に何をしてあげられるわけじゃないけど、これだけは分かる。
 「あふれるべきなのは、バケツの中のパンなんかじゃない。 貧しい子どもたちの笑顔だ。」
  僕はまず、給食のパンを一口一口かみしめ、残さず食べることから始めようと思う。

  いつかパンバケツの中が、空になることを祈っている。





2002.12.05

関空で中空きのパターン。
妻に電話をしようと公衆電話へ行くと、
電話をかけようとしていた外国人に、かたことの英語で声をかけられた。

身長160cmほどの小柄で普通の体型の20代前半の男性。
東南アジアからオセアニアにかけての人種のようなイメージで、
引きずるほどにダブダブのジーンズを履いている、今時の若者の感じだった。

名刺を渡され、電話のかけかたが分からないのでここに電話をしてくれと言う、
その電話番号は、米軍基地のものだった。
この人、アメリカ人なのかなぁ?
なんで英語が流暢じゃないんだ?

外国からかけた場合の番号と、日本国内からかけた番号が、何故か1ヶ所だけ違い、
6が7になっている。
沖縄の米軍基地だとのことだったので、イエローページで市外局番を調べ、
とりあえず国内からかける場合の電話番号にかけてみた。
ダイヤルしてから受話器を彼に渡した。
105度あったテレカが104になったのでつながったはずだが、彼は困惑した顔をしている。
度数が98になったところで私は彼から受話器を受け取り、音を聞いてみると、それはファックスの音だった!?
本当にこれであの番号で正しいのか尋ねたが、彼はこれであっていると言う。
仕方なく、無理とわかってはいたが、国外からかけた場合の0で始まらない怪しい市外局番で試してみた。
すると・・・・、おっ、つながった、んっ?、呼び出し音が変わったぞ?、
んっ?、おっ、つながった、へっ?この機械音は何だ?!
受話器を置き、状況を彼に説明した。
落ち込んだような表情で、彼は名刺の裏面に手書きで書かれた、どこかのオペレーターの番号を指差して行った。
このオペレーターを呼び出して、その人にさっきの番号につないでもらうようお願いしてみてくれないか?
わけもわからず私は指定されたオペレーターに電話をかけた。
英語で話しかけると、日本語で返事をしてきた。

さぁ、なんて状況を説明しようか?
「あのぉ〜、私、関空から電話をしてまして。
 外国人の方に米軍基地へ電話してくれるように頼まれたのですがつながらないので、
 こちらに電話をしました。」
外国からかける場合と国内からかける場合とでは番号が違いますし、
 国内からかける場合も直接はつながらないのです。
 私どもの方で電話番号を聞いて、こちらからその番号へかけることになっています。

そこで彼女は話すのをやめた。
そっか、国内から米軍基地へは直接つながらないわけね。
で、あなたが電話をつないでくれるんだから・・・・・・、なんで 「番号は何番ですか?」 って聞いてくれないの?
「あのぉ〜・・・・、とりついで欲しい電話番号を今、私が言えば、そちらでつないでくれるのですよね?」
ハイ、今、電話がしたいのですか?
そうに決まっとるじゃんかぁあ〜、ボゲェ゛〜〜〜!!!
沖縄に関西から電話してて、テレカの度数が飛ぶように減っとるんじゃ、コリャァ〜!
もっとテキパイ業務せんかいっ?!と思いつつも、
丁寧に電話番号を伝えた。
しばらくするとつながり、私は彼に受話器を渡した。

モジモジした感じで、いかにも自信のなさそうで、しかも英語はたどたどしいし、
彼の電話が終わるまで妻へ電話をかけるのを待ってあげよう。

1〜2分で電話は終わった。
要件は伝わったようで、良かった、良かった♪
彼も初めて笑顔を見せてくれた。

「米軍で働いているって、ARMY(陸軍)ですか? それとも NAVY(海軍)、AIRFORCE(空軍)?」
MARINE です。
以前お世話になったアメリカ人から聞いたことがあった。
NAVY の中でも優秀で、かつ、ケンカっ早い、腕っ節のいい男達の集団が MARINE で、
米軍内で最も恐れられている、と言っていた。
たしか、あの有名な NAVY SEALS も MARINE 出身のはずだ。
この男の子が本当に MARINE なわけ?
「きっと優秀なんでしょうね♪」
私の所属は Specail Force です。
??!!??
それって、特殊部隊ってことっすかぁ〜??!!
そんなに背が小さいのに、ひょっとして空手とかカンフーとかムエタイとかの達人なわけ?
英語がたどたどしくても、戦闘には必要ないってか?

立ち去って行く彼の後姿を見送りながら、ひょっとして米軍ってメッチャ弱いんちゃうん?
と疑いまくらざるをえなかった。
あまりの驚きに、実家に帰った妻がいるはずのない自宅に電話をして、あぁ、家にいないんだ、と勝手に思いこみ、
そのまま事務所に戻ったのだった。

それから1時間ほどして、かけた番号が間違っていたことに気が付き、再び妻に電話をした。
さっきの彼の話しをすると、妻は言った。
その人、MARINE のコックさんかなにかじゃないの?」(妻)
「だって、特殊部隊って言ってたぞ? コックの特殊部隊か?」

もっと詳しく、根掘り葉掘り聞くんだったなぁ〜。



2002.12.08   ベルト・バックル

制服のズボンにいつも使っているベルトは、以前真鍮で作ったものだが、
そろそろ新しいものを作ることにした。

私は仕事には安っぽい布ベルトを使っている。

立っている姿勢で丁度良いベルトの長さのまま座ると、ウエストが圧迫される。
特に食べた直後はかなり苦しくなる。
反対に座った姿勢で丁度良いベルトの長さだと、立ったときユルユルだ。

ベルトでウエストを圧迫した姿勢で長時間座っていたり、
その姿勢でセキやクシャミをすると腰にくることがある。
腰痛持ちの私だが、これは良くない、と、あるとき気がついた。

そこで、ベルトをゆるめたり、きつくしたりするのが容易な布ベルトを使うことにしたわけだ。

でも、200〜300円のこのベルトを、そのまま仕事に使うのは気が引ける。


ベリト・バックルの部分だけ取り替える作戦で、今回は作ってみることにした。

分解したところ。
写真の上のパーツを作ることにする


真鍮の板を切り取る。


サングラスのケースを作った要領で、ゆるいドームの形状を作る。


バックルの側面のパーツを作る。

真鍮の板にフリーハンドで大体の形状を書き(油性マジック)、糸鋸で切りぬく。


上は使用前の糸鋸の歯
下は使用後の糸鋸の歯


切り抜いたパーツをロー付けすれば、ほぼ出来上がり。


糸鋸で切り抜いたパーツをヤスリで整形する。
ツメがピッタリ合う形に整形して、倒して留めれば完成。






2002.12.10

伊丹の事務所で、帰る前に資料のコピーをしていた。
そこへ、Aキャプテンが出勤してきた。
手には大きな紙袋を持っている。

おっ! ラッキー♪
すぐ帰んなくって良かったぁ〜♪
明日はお鍋、決定!

畑を持っているキャプテンで、収穫した無農薬野菜を時々持ってきてくれるのだ。
先日も見事な野菜達を山ほど持ってきてくれて、速攻持って帰って鍋にした。

パイロットの仕事をしていると、泊まりが多く、
事務所に寄ってもホテルに帰る日は野菜は持って帰れない。
また、最近は出退勤の半分は関空で、
伊丹の事務所から帰宅することは月に5回ほどしかない。
さらに、私が伊丹から帰宅する日とAキャプテンが伊丹に出勤する日が重なることはまれだ。
そのAキャプテンが、たまたま野菜を持参した日に2回も居合わせた、というのは珍しい。

なおさん、Aキャプテンが野菜を持ってきてくれる日にいつも居合わせるなんて、
 ほんとラッキーですね♪
」(事務の女の子)
新聞に包まれた色々な野菜の中から、自分が欲しいものを少しずつ取り出し、
別の紙袋へ入れるのを彼女は手伝ってくれた。

Aキャプテンと勤務が同じときに野菜の育て方、農薬の話などをよく聞く。

農薬を使った畑の土の上を歩いた猫が、血を吐いて死ぬことがあるが、
それは足の裏の肉球から農薬が入ってしまうからだと教えてくれた。
長ネギの緑の部分は、緑の色が鮮やかなものほど農薬が使われており、
本来、無農薬なら白い斑点ができて、見た目はきたなく育ってしまうのだそうだ。

Aキャプテンの話を聞けば聞くほど、スーパーで野菜を買うのが恐ろしくなる。

パイロットとして2泊3日で仕事をしながら、
夏は雑草を抜いたり、虫を取ったり、50歳を過ぎて、かなりの重労働がこたえるとAキャプテンは言う。
そして収穫の時期になり畑へ行くと、無農薬では珍しくきれいな形に育った野菜達は、
ほとんど盗まれてなくなっている、と、いつも彼は嘆いている。

それでもめげずに、これからも頑張って野菜を作り続けてくださいね♪



2002.12.13

シートベルト着用のサインを点灯させるスイッチがある。
このスイッチ、ON にしたり OFF にしたりすると 「ポーン」 という音がする。
雲に入り、揺れることが予想される場合、このスイッチを OFF 位置から ON 位置にする。
このとき、ポーン、という音が1回する。
また、最終着陸の体勢に入るとき、それを客室乗務員(CA)に知らせるために、
スイッチを OFF、ON、OFF、ON と繰り返すことで、3〜4回音を鳴らす。

女満別空港への着陸体勢に入ったとき、私はシートベルトサイン用のスイッチをいつものように動かした。
ところが音がしない。
あれっ?
もう1度、OFF、ON にしてみる。
やはり音がしないい。
「キャプテン、音がしませんよ、これ。 おかしいですね?」
もう1度、OFF にしてから再び ON にした。
おっ、鳴った。
ポーン、ポーン、ポーン、ポーン、ポーン、ポーン、
おいおい、何回鳴るんだよ?
ポーン、ポーン、ポーン、ポーン、ポーン、ポーン、
ギョエェエ〜〜?! 鳴り止まないじゃんかよぉ〜?!
スイッチをいじったのは私だ。
別に間違った操作をしたわけではないので、悪いことした、なんて思う必要もないのだが、
やはり自分がした行為で、変なことが起こると気が引ける。
私は若干固まりながら、救いを求めるようにキャプテンの顔を見たが、キャプテンだってどうすることもできない。
ポーン、ポーン、ポーン、ポーン、ポーン、ポーン、
ヒョエェエェ〜〜?!
ポーン、ポーン、ポーン、ポーン、ポーン、ポーン。
お゛ぉ゛お゛ぉ゛〜〜〜〜ッ! 止まっとわぁぁああ〜〜〜。

キャプテンもやや呆れ顔。
インターフォンで CA を呼びだした。
あのぉー、どうもベルトサインのスイッチに問題があるみたいで、音が鳴り止まないようです。
 客室内の見回りをして欲しいときは、客室アナウンスで行います。
」(キャプテン)

着陸後、整備さんにみてもらったが、そういうときに限って症状が出ない。
結局、問題はなさそうだ、ということで、そのまま次の便を就航した。
離陸前の合図を送るとき、ポーン、という音が通常より1回多く鳴ったのだが、特に壊れている様子はない。
以後、ベルトサインのスイッチをいじる度に、もし音が鳴り止まなかったらどうしよう、という恐怖に襲われながら、
業務上、仕方なく何度か使ったが、通常通りに音が鳴り、問題は起こらなかった。

あれって、一体何だったのだろうか?



2002.12.15

更衣室へ洗濯物を出しに行った。
そこには、私服で出社した客室乗務員(CA)が制服に着替える所と、
乗員が着替えたり、クリーニングを出す場所がある。
出社を急いでいた私は、みんなが通る通路にカバンを置き、ステイバッグを開け、Yシャツを取り出した。
クリーニングを出すだけなので、そんなに時間はかからないし、誰かが通りがかることもないだろう、と思い、
ステイバッグは開けっぱなしで乗員専用の部屋に入った。

すると、聞きなれた声が・・・・
なんだぁ〜、これは。 ステイバッグに納豆なんか入れてんじゃないぞぉ〜。」(某キャプテン)
うわぁ〜、見つかっちゃったぜ。 納豆。
「何、ひとのカバンの中身見て喜んでるんですか?」
だって、しょうがねぇ〜だろ? 開いてるんだから。 見られたくなかったら閉めとけよ。」(某キャプテン)
「そんなこと言って。 まさか僕の納豆、盗んでないでしょうね?」
んなわけねぇ〜だろ?」(某キャプテン)

そうなのだ。
最近、私はステイバッグに納豆を忍ばせている。
あれは常温でも腐らないし、重宝している♪



2002.12.17  水素自動車

中学から高校にかけて、私の夢は東京工業大学へ進むことだった。
東工大の学生とアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)の学生とが繰り広げる
ロボット対決をテレビで見ながら、自分も将来はあれをするんだ、と夢見ていた。

中学3年の頃だったと思う。
水を電気分解して水素を発生させる化学の授業があった。
発生させた水素を試験管にためて親指でふたをし、マッチの火を近づけるて指を離すと、
ポンッ、という音をたてて一瞬で燃えた(爆発した?)。
黒板に化学の方程式を書、先生 「原人」 は、酸素と水素が反応すると水が出来ることを説明した。

昔から本が大嫌いだったため、
小学生時代に1回、大学生時代はついに一度も行かなかった図書館に、
私は化学の授業が終わってから行った。

水素を燃料にした自動車って、作れないかなぁ?

ただ漠然とした発想に動かされ、先に進むための資料がどこかにないか探してみたかった。

そこに、当時テニス部だった私の顧問の地理の先生 「岡ポン」 が現れた。
地理、というと、期末試験では38点を記録したほど、私にとって苦手課目だ。
それでも岡ポンとは仲良くしていて、私が思いついた水素自動車の話をした。

「先生、僕、自動車好きだし、将来は水素自動車を作ってみたいです。
 水素を燃料にすれば、大気には水蒸気しか放出されないですよね。
 空気中の水蒸気が増えれば、アフリカなどの砂漠地帯に雨が降るようになり、
 水不足が解消されて砂漠化が進まなくなるじゃないですか。」
いい考えだね。 実は水素自動車はもう開発が始まってるんだよ。
 ただ、降水については、そんなに簡単に問題は解決されないんだよ。
 空気中の水蒸気量が増えると、今、いっぱい雨が降っている所に、集中的にもっと降るようになるんだ。
 今、乾燥している地域に雨が多く降るようになることはないんだよ。
 だから、今でも豪雨と洪水に悩まされている国や地域の人達は、空気中の水蒸気量が増えすぎて、
 今よりもっと雨が降るようになると、大変なことになるだろうね。
」(岡ポン)
「へぇ〜、そうなんですか。 うまいこといかないもんですね。
 既に開発されだしてるなら面白くないし、やっぱり、水素自動車はやーめようっと。」

私が図書館へ行ったのは、あれが最初で最後だったような気がする・・・・。

トヨタとホンダが開発した燃料電池車が日本とアメリカの公的機関に採用された。
日産やGMも燃料電池車を開発中だし、BMWは水素自動車の試験運転を行っている。
温暖化ガスを放出しない究極のクリーン車として水素を燃料にした車は注目されているが、
将来全世界的に普及し、空気中の水蒸気量が増えすぎて、岡ポンが言っていたようなことが起こらなければいいなぁ、
と最近私は思うのである。



2002.12.18

佐賀 → 伊丹(558便)
最近はは 名古屋 → 佐賀(559便)の到着と重なり、558便の出発が後回しになることが多い。
ところが、今日は559便が待たされ、私達、558便が先に離陸できた♪
ラッキ〜♪

大分を過ぎ、松山に近づく頃、右斜め前方に飛行機が見えた。
TCASを見ると、どうやら 21,000feet を飛んでいるようだった。
私達の巡航高度は 23,000feet。
ATC を聞いていると、なんとなくその 21,000feet を飛んでいる飛行機が
23,000feet に上がりたがっているようだったが、私達がブロックしているので上がれない。
便名を聞いているとどうやら188便のようだった。
四国の上空を 21,000feet で東行き、とすると、大阪行きである可能性が高い。
時刻表を取りだしてチェック・・・・・・。
おぉーっと!
大分 → 伊丹 ではないかっぁあ〜〜!!??

私達は燃料がもったいないし、定刻には着けそうだったので、速度を絞って280ktで飛んでいた。
管制官が188便に300ktで飛ぶように指示した。
私はコソーッと310ktまで加速した。
数秒後、管制官が私達の現在の速度はいくらか、聞いてきた。
無線を担当していたキャプテンは、315kt、と答えてくれた♪
すると、管制官は、できるだけ速く飛ぶように言ってきたではないか!
188便に勝ったのだ。
管制官の指示なら仕方ない〜♪
325ktまで加速した。

188便の方が距離的には伊丹に近かったし、私達は定刻に着けそうだったし、本当は彼らが先でも良かったのだが、
先に行かせてくれるなら拒むことはない。

さらに伊丹に近づくと、今度は紀伊半島から伊丹へアプローチしてくる飛行機が見えた。
今度はどう見ても彼らの方が伊丹空港に近い。
にもかかわらず、またしても管制官は私達を先に行かせてくれたではないかっ!?

今日はムチャクチャ、ラッキーな一日だった♪



2002.12.19

お客さんが全員、降り終わった頃、キャプテンが席を立ちコックピットのドアの前へ行った。
しゃがみ込み、何かを拾い上げ、そして笑いながら言った。
なぁ〜んだ! 甘栗かぁ〜♪」(キャプテン)

私は何のことか分からず聞いた。
「甘栗がどうしたんですか?」
いやね、さっきから気になってたんだけど、ドアのところに何かが落ちてて、
 アメのようにも見えたし、でも違う感じもしたし、気になってたんだ。
 そしたら甘栗だったんだよ。
」(キャプテン)

へぇっ?!?!

すでにゴミ箱に捨ててしまわれていた甘栗を私に見せてくれた。
私は手にとり割ってみた。
すると、やっぱりホンモノの甘栗だった。
食べてしまおうかと思ったが、一応止めた。

「それにしても、何で甘栗が1個だけ落ちてるんでしょうね?」
客室でお客さんが食べた甘栗が落ちて、コックピットのドアの下の隙間から入ったのかな?
 とも思ったけど、そんなに隙間は大きくないし。
 きっと、誰かがコックピットで甘栗を食べたんだろうねぇ〜♪
 私も好きなんですよ。 甘栗。
」(キャプテン)
「甘栗をコックピットで食べる人なんて、いるんですかねぇ〜。」

そう言ってから私は気がついた。

「そういえばキャプテン、僕のフライトバッグにはゆで卵が入ってるんですよ。」

スーパーで魚や肉を入れる半透明のビニール袋に入った2つのゆで卵を、
カバンから取り出してキャプテンに見せた。

そういえば、昔は野菜も入ってたし、甘栗の方がまだましか・・・・・。



2002.12.24

関空 → 松山(271便)

岡山を過ぎたあたりまで来たとき、TCAS に映る機影を発見。
左斜め後方にいたその飛行機は、私達より高い高度を飛びながら西へ飛行していた。
不吉な予感がした。

管制官と近くで交信している飛行機の便名を聞いていると、583便、と聞こえた。
聞きなれた便名だ?
確か 羽田 → 松山 ではなかろうか?

私達の前には 18,000feet を飛んでいるJ社の飛行機がいる。
これも松山行きのようだ。

ってことは、アプローチは、J社、うち、583便の順番だろうなぁ・・・・・。

左斜め後方にいた飛行機は少しずつ私達との距離を詰めていたが、どうみても追い越せそうにない。
燃料もったいないし、減速すればいいのに。

すると、管制官が583便に言った。
320ktまで加速してください。」(管制官)
??????

松山空港と私達271便を結ぶ直線の延長線上に583便は位置しており、
どう考えても私達の方が先に決まってる。
ってことは、前にいる飛行機がJ社じゃなくて、583便なんだろう、きっと。
だとすると、うちの左斜め後方にいる飛行機はどこ行きだ?

ここで管制官が私達を呼び出した。
250ktまで減速してください。」(管制官)
きっと、前の飛行機と接近してるからだろうね。」(キャプテン)

最初からイヤ〜な予感がしていたのは私だけだったのだろうか?
さっきまで左斜め後方にいた飛行機が、いつの間にか私達の真上に来ているではないか!?
あれは・・・・・、ジャンボだっ!
やっぱり、あいつが583便なんじゃんかよぉ〜〜。
どうして抜かれなきゃならないわけ?

燃料効率を考えると、できるだけ高めにアプローチをした方が良いのだが、
優しいキャプテンは早めに降下を開始した。
583便は高めで速度も速すぎる。
私達が高度を降ろせば、彼らも高度を降ろせるからだ。
(例えば、私達が 16,000feet まで降ろせば、彼らは 18,000feet まで降ろせる。)

高度も処理しなきゃならないわ、速度も遅くしなきゃならないわ、
車みたいに飛行機は止まらないんだからっ!
空気抵抗だけでブレーキかけてるの、知ってる?

先に飛んでいて、しかも583便より高度の低い私達に310kt程度で飛ぶように指示し、
583便に280kt程度を指示すれば、みんなが普通に降下できたろう。

583便は私達の上を通り越し、私達より早い降下率で高度を下げてきた。
まるで、ジャンボが降ってくるように見える。

しばらくすると583便が管制官に言った。
減速させてください。

私達を引き離すために彼らは管制官に高速で飛ぶように指示されていたが、
アプローチの準備をするためには速度を落としていかなくてはならない。
ほ〜らみろっ! やっぱ彼らは高すぎ、速すぎなんじゃん!


まぁ、順番は後回しになったが、松山空港には定刻でつくことができた。

でもなぁ、ほんとは早めについてトイレに立てこもりたかったんだよなぁ〜。
次は千歳行きだから、積雪状況、滑りやすさ、誘導路の閉鎖状況等、調べることがいつもより多く、
ディスパッチに長いこといるから時間がなくなってしまう。
それに、千歳についてからも女満別行き往復の便まで接続時間がほとんどなく、
ディスパッチと飛行機の間を走って移動する羽目になりかねない。

松山でトイレに立てこもれず、案の定、千歳では大急ぎでディスパッチへ行ったものの、
空き時間は1分程度しかなく、女満別でもなんだかんだ忙しくって、
結局、お腹がはったまま09:00から15:00まで過ごした私だった。

一日が終わって振り返ると、やっぱり583便より私達を先に松山空港に着陸させるべきだった、
と思わざるを得ないのだった。
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2002.12.27

東北より北の日本海側の天気はお昼過ぎから乱れていたようだった。

新潟は雪の除雪に時間がかかり、強風で横風制限を越えるギリギリの天候だったようで、
伊丹の事務所には新潟へ移動する乗員が出発できずにウロウロしていた。
伊丹発佐賀行きの飛行機は千歳から戻ってくる飛行機を使うため、
佐賀行きの出発は50分は遅れるようだった。

私はスタンバイだったので、自分が稼動しないことを願いつつ、
勤務時間が終了し次第、逃げ帰るようにとっとと帰宅したのだった。



2002.12.28

妻とウォーキングへ行った。

途中、おばあちゃんが歩道で座り込んでいた。
路上には、食品がたくさん入ったレジ袋が置いてあった。
どうしたのかなぁ・・・・?

妻と一緒に近づき話しかけた。
「どうなさいましたか?」

73才のおばあちゃんは、買い物帰りだった。
足腰をリュウマチで痛めており、歩いているとすぐに疲れてしまうのだそうで、
今日は腰が辛いので歩道に座って休んでいるのだった。
おばあちゃん曰く、いつも疲れるとこうしてしゃがんで休むのだと言う。
いつものことだから大丈夫、というおばあちゃんのお住まいは、
そこから歩いて数分の場所のようだった。

車で送ってあげてもいいけど、
家まで車を取りに帰るにしてはその場所は遠すぎ、歩いて帰って車で戻ると30分かかかってしまう。
オンブしてあげようかなぁ・・・・・。

そのとき思った。

今日、たまたまギックリ腰になったのならオンブしてあげてもいい。
でも、長いこと膝と腰を痛めていて、それでも本人の意思で歩いて仕事に通っており、
通勤途中でよくしゃがみこんでいる、というのなら、
おばあちゃんのためにも助けてはいけないのではないのか?
今日は助けてあげられても、私は毎日助けてあげることはできないし、
誰かが日替わりで助けてあげる保障もない。
おばあちゃんが大丈夫、って言うんだから、このまま立ち去ろう。

車の通りが比較的多い通りには、踏み切り待ちの車が並んでいる。
ドライバーから1mと離れていない歩道に袋を投げ出した形で座り込んだおばあちゃんを、
そのまま見過ごすのにはかなり抵抗があったが、あえてそのまま通り過ぎた。

しばらくして妻が言った。
オンブして送ってあげれば良かったかなぁ…?」(妻)

私が考えたことを妻に話ながら、ウォーキングを続けた。



2002.12.29

今日の勤務は、J社の便乗で羽田から伊丹へ移動し、その後 伊丹−佐賀 を飛ぶはずだった。

羽田に到着すると、帰省客でごった返していた。
出発30分前にチェックインへ行ったが、手荷物を預ける場所と、X線検査場がメチャクチャ混んでおり、
ひょっとして出発に間に合わなかったりして・・・、と不安だったが、
幸い何事もなく、搭乗ゲートには出発10分前についた。

ところが、誰も搭乗を開始していない。
なんでかなぁ〜、と電光掲示板を見ると、出発が1時間遅れることが書いてあった。
隣のゲートも遅れている。
なんでだ・・・・・・?

スケジュールを調べると、J社の便で伊丹に到着してから次の便まで1時間の余裕がある。
ってことは、J社の便が1時間遅れても大丈夫のはずだ。

さて、出発時刻を45分程過ぎたところで、念のため伊丹の事務所に電話を入れることにした。
伊丹に到着してからも、預けた荷物がなかなか出てこないと、次の便に間に合わなくなってしまう。

しばらくすると、隣のゲートの那覇行きが1時間遅れ程度で搭乗を開始した。
その数分後、私が乗る伊丹行きも定刻1時間遅れで搭乗を開始した。

全員乗り終わったように思えたが、なかなかドアが閉まらない。
機内に地上係員が入ってきて誰かを探している。
どうやら乗るはずのお客さんが乗っていないのだろう。
弱ったな・・・・。
1時間遅れなら次の乗務にギリギリ間に合うが、それ以上だと間に合わないかもしれない。

結局、定刻を1時間20分遅れてドアが閉まり、Push Back が始まった。

離陸したのが14:00頃だったので、伊丹に到着するのは14:50頃。
私が乗務するはずの飛行機は15:25発だから、全然間に合わないじゃ〜んっ!!
まさか、機内で待たされるとは思いもしなかった。
クッソォ〜!
後で飛行機についてる公衆電話から伊丹の事務所に電話入れるか・・・・。
前回使ったときは、ほとんど声が聞こえずに、結局途中で切れてしまった。
しかも、長いこと大声で、「もしもしっ! もしもしっ!」 を繰り返しただけで、
テレカを使い切ってしまった記憶がある。
今回はいくらかかるんだろう?
もったいないなぁ。
電話するの止めようかなぁ。
でも、一応仕事に関する大事な電話だから、入れといた方が絶対いいよな。
支払い書出したら、後で電話代、返ってくるかな?
きっとダメだろうなぁ・・・・。

シートベルト・サインが消えた所で席を立ち、機内の最後部にある公衆電話へ行った。
おっ?! コレクト・コールできるんだ?!
コレクトにするかなぁ?
イヤ〜、きっとコレクトにしたら怒られるだろうなぁ・・・・。

仕方なくテレカを入れて電話をすることにした。
度数が 「70」 であることを確認。
トゥルルルルル、、おっ、かかった。
トゥルルルルル、、
もしもし、こちら○○ー ○ッ○○、○○支店です。
ゲェェエエェェエエ〜〜〜!? 度数がいっぺんに 「65」 になったぞぉ〜!?
早く切らねばッ!
でも、なかなかクリアーに音が聞こえる♪
「もしもし。 なおです。」
もしもし?
へぇっ? こんなに綺麗に音が聞こえてるのに、こっちの声は向こうに届いてないの?
「あっ、もしもし。 なおです。」
もしもし?
もしもしー!
もしもし?
もしもしーッ!
もしもし?

もしもしーッ!
もしもし?

もしもしーッ!

「ガチャッ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヌァニィ〜ッ!?
きっさまぁ〜、この公衆電話〜、オレ様にケンカ売ってるのかぁぁぁああ〜〜〜〜!
あー、でも、セーフ、セーフ、度数は 「65」 のままだもぉ〜ん。 へぇ〜んだ!

そばにいた客室乗務員(CA)のお姉さまに聞いた。
「この公衆電話、相手に声が聞こえないみたいですけど。」
そうですか? そういったことは1度もありませんけど。」(CA)
なにぃ〜ッ!? 聞こえなかったから50円、飲み込まれちゃったんだぞぉ〜!
「そうなんですかぁ♪」(笑顔で)

さてと、どうすっぺかなぁ〜?
もう1回電話するかなぁ〜?
また50円取られるの、しゃくだし、でもコレクトコールもしたくないし・・・・・、
待てよ、コレクトコールなら最初にオペレーターが出るはずだし、
そうしたら、相手にこっちの声が聞こえなければ会社に取り次がれることもない。
それなら誰にも迷惑はかからない。
でも、もし声が聞こえてしまって、取り次がれたら、マズイかなぁ?
や〜〜めたっと。

自分の席に戻ってしばらくすると、キャプテンの機内アナウンスが聞こえてきた。
どうやら、この飛行機は函館帰りで、羽田到着が遅れたのは函館の大雪のせいだったようだ。

待てよ・・・・・・。
確か、伊丹−佐賀 に使用する飛行機は、千歳から戻ってくる飛行機じゃなかったっけ?
もしかして、千歳も大雪で、佐賀行きは遅れてるかも。
それなら間に合うはず・・・・。

結局、伊丹空港には14:48に着陸し、Spot-in したのは14:50頃だった。
ドアはなかなか開かないし、帰省客でほぼ満席。
しかも、私はかなり後ろの列に座っていたので、飛行機を出るまでに時間がかかる。
ようやく機外へ出て、公衆電話に走った。

「なおです。 佐賀行き、遅れてませんか?」
結局、スタンバイ(万一の為、空港に待機している乗員)に稼動してもらいました。」(スタッフ)

荷物を受け取り、事務所に行った。

さて、何をしよう?
帰っていいんだよな?
いいのかな?
(スタッフに)聞きにくいな・・・・。
勤務表つけて、と・・・、そうだほとんどつけ終わってるんだっけ・・・・。

数分で勤務表も終わってしまった。

業務連絡も年末で新しいのはないし・・・・、
メール・ボックスもチェックしたし・・・・・、
差し替えは・・・・?・・・・・、ないか・・・・・。
帰っていいのかなぁ?

B737の乗員がいたので、話をした。
最近、勤務がきつくって・・・・・。
ありゃりゃ、マズイなぁ・・・・。

近くにいたキャプテンに声をかけた。
すると、
何してんの? 帰ったら?」(キャプテン)
あぁ、やっぱ、いいんですよね?

コッソリ、人知れず帰ろうかなぁ・・・・・?
イヤ、やっぱり 「お先に失礼します。」 って声をかけるべきだよな。
本当に帰っていいのかなぁ?
えぇ〜いっ!

「お先に失礼しまぁ〜す!」

事務所を後にした。


今日飛ぶはずだった 伊丹−佐賀 が今年最後のフライトだったので、仕事納めのつもりで楽しみにしていた。
それが突然なくなってしまい、なんとなく手持ち無沙汰、どうしていいのか分からず、
不完全燃焼でボーゼンと、ふ抜けの状態で帰宅した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

年末も、夕方はいつものように、半額品をゲットするためにスーパーへ行った。
ところが、普通の休日よりもお客さんは多く、当然のように値引きはほとんどしていない。
なぁ〜んだ・・・、つまらん。

寒い中、せっかくチャリを飛ばして、心を躍らせて来たのに、収穫ゼロ。
ちょっとだけ落ち込みながら自転車に戻った。

私のチャリの隣にチャリを止めていた、黄色いベースボール・キャップをかぶり、
昔風の黒ぶちメガネをかけた、顔つきがオヤジ・ルックの小学生らしき男の子に視線をやり、
その視線を下に下ろしていくと・・・・、
手に持つ買い物袋に透けて見えるモノに、私は釘付けになった。

缶ビールだっ!!??

しかも、6本も入っているではないかっ!!??

そっかぁ〜、きっと、お父さんや親戚一同が集まっていて、ビールが足りなくなり、
坊主、買って来いっ!」 とか言われちゃったのかなぁ〜?

さっきまで暗かった私の心は、急に明るくなった。

カギを開け、チャリに跨り、遠ざかろうとして、振り返って見ると、少年はまだそこにいる。
立ちどまったまま動かない?
彼の視線の先をたどると、ちょっと離れた所でお母さんらしき人が
携帯電話に向かってベラベラしゃべりまくっていた。

寒いのに・・・、早く電話切れよ♪

でも、良かったぁ〜♪
男の子が一人で缶ビールを買いに走らされたんじゃなくって。