2003.03.01

東京航空交通管制部のFDP(飛行計画情報処理システム)が壊れた。
ディスパッチからカンパニー無線でFDP故障の連絡を受け、出発の遅れが予想されたが
高知 → 大阪(402便)は幸い、ほぼ定刻に出発することができた。
403便で高知空港へ戻ったときに知ったのだが、
402便の数分後出発するばずだった 高知→東京 は2時間半遅れだった。

402便で伊丹に到着すると、空港には出発できない飛行機が山ほど待機していた。
私は事務所へ行く用事があった。
08:30過ぎにSpot 6 から事務所へ向かう途中、
東京行き16便(07:45発)、高知行き401便(08:10発)、札幌行き771便(08:30発)はまだ出発準備中で、
お客さんがターミナル内に溢れかえっており、その中を制服であるくのはバツが悪かった。

飛行機へ戻ってからATCとカンパニーを聞きながら情報収集をしていると、
みんな待たされていてイラだっていた。
もちろん私達403便は401便が出発するまで出発できるわけはなく、ただボーッと待っていた。
09:45までに伊丹を出発した全日空機は3便のみで、絶望的だった。

着陸した飛行機は駐機する場所がなく、お客さんを乗せたまま滑走路を出たすぐのところで
長時間待たされたり、誘導路のあちらこちらで待たされた。
駐機所がなかったせいもあるが、仮に駐機所があっても、
あまりにも飛行機が多かったせいで、総出でも地上誘導員が足らないようだった。

運悪く、今日は乗り放題の日だった。
乗り放題のお客さん達も含め、多くのお客さん達が出発直前、直後に
搭乗を取りやめたり、搭乗便の変更を行ったため、カウンター業務に地上係員(GH)がかかりきりになり、
出発準備の整った搭乗ゲートにGHさんがいないために搭乗が開始できなかったケースもあった。

今日のように、ディスパッチも管制官も、どの便がいつ離陸できるのか分からない状態では
それぞれの便の出発時刻も搭乗予定時刻も決定できない。
いつ乗れるか分からなければ、待ちくたびれたお客さんは搭乗ゲートを離れ、
ターミナル内のあちこちに散らばってしまう。
ところが、今日のようなケースでは、お客さんが搭乗し終わって初めて
パイロットが出発のための承認を管制官にリクエストでき、その後出発の順番、時刻が決まる。
搭乗の案内を始めても、ターミナルの散らばったお客さんを探すために、
通常なら走りまわって探してくれる余剰GHさんはいない。
また、出発時刻が未定なので、館内放送を使うこともできない。
最初に乗ったお客さんは、機内で待つこと30分経っても全員集まらず出発できないと、
タバコが吸いたいから機外に出たい、という人も当然出てくる。
また、こんなに待つならこの便に乗るのはやめた、という乗り放題のお客さんがいれば、
それに伴う手続きにGHさんがさらに追われ、パイロットも離陸重量の修正を求めカンパニーを呼び出す。
カンパニーは駐機所の手配も含めて、しなくてはならない業務は通常の数十倍はあるだろうし、
人手が足りるはずもない。

この悪循環の連鎖がどこで絶ち切れるのか?
私はカンパニー無線を聞いていたのだが、全く見当がつかなかった。

可哀想に、Open Spotに駐機した飛行機のパイロットは、
お客さんが全員降り終わってから何十分も機内でクルーバスを待っていた。
Open Spotからパイロットが降りるにはクルーバスが必要だが、クルーバスもフル稼動で足りなかった。
みんなが忙しいのが分かっていたので、
パイロットはクルーバスを回してくれるようにカンパニー無線で要求せず、ずっと待っていたのだった。
彼らが痺れを切らしてようやく無線を使ってクルーバスの手配をしたのは、30分以上も待った後だった。

私達の定刻の出発時刻は09:20(403便)。
最終的に3時間遅れで出発することになってしまった。
定刻の出発時刻が我々より遅い沖縄行き101便(09:55発)が、私達より早く出発したのは腹が立ったが、
鹿児島行き541便(07:40発)とほぼ同時刻に出発できたので、不幸中の幸いだったのかもしれない。

403便で高知に到着後、引き続き702、701便にバトンタッチ。
その後、さらに3時間待ちで410便に乗務した。
今日の私のスケジュールは、
402、403便に乗務の後、別クルーが702、701便を飛んで高知に飛行機を持って返ってきてから、
410、413、416便に乗務する予定だった。
ところがこれでは413、416便が遅れすぎる、ということで、410便を3時間遅れで飛ばして勤務終了となった。
413、416便は、別の飛行機を使って、別のクルーが飛んでくれた。

全国の沢山のお客さんに、多大な迷惑をかけてしまって、本当に申し訳なかった。



2003.03.03

関空 → 松山 → 千歳 → 女満別 → 千歳

松山 → 千歳(238便)で千歳に到着する前、
千歳はかなりの雪が降っており、滑走路を2回閉鎖し除雪作業を行っていた。
238便の到着は5分程度の遅れで済んだが、私達の前の便は大幅に遅れ、
全てのボーディング・ブリッジのついた駐機所はふさがっていた。
そして、私達は除雪されていないOpen Spotに回された。

Open Spotではお客さんの降機、搭乗にバスを使うため、
定刻に到着しても必ず次便は遅れること間違い無しだ。
千歳発女満別行き、993便には、千歳に到着した他便からの乗り継ぎ客もいたが、
その便の到着が遅れており、私達は待つことになった。
結局、993便は35分遅れの出発になってしまった。

女満別空港では、私達が遅れたためにボーディング・ブリッジをふさいでしまい、
後から到着した全日空機を待たせてしまった。
不思議なのは、全日空機がボーディング・ブリッジをふさいでおり、私達が後から到着すると、
私達は迷わずOpen Spotに駐機させられる。
何故、全日空機はOpen Spotに駐機しなかったのか?
そのせいで、機内でお客さんが待つ羽目になってしまうのだが、やはり、お客さんへのサービスとしては、
Open Spotよりボーディング・ブリッジが良いのだろうか?
イヤイヤ、そんなことを考えてる暇はない。
とにかく早く女満別を離陸しないと。

女満別を定刻より22分遅れて994便は出発した。
35分遅れを22分遅れに縮めたのだから、かなり頑張ったと言えよう。

ところが、千歳は再び雪で滑走路の除雪作業を行っており、
しかも天気が悪いのにGlide Slopeのアンテナが積雪で調子が悪く、
ローカライザー・アプローチになってしまっていた。
Mukawa VORの上空、20,000feetで待機するよう、私達は管制官に指示された。

私達の下にも数機、待機している飛行機がおり、さらに別の所でも数機、待機していた。
あぁ、いつになったら降りれるのかなぁ・・・・・?

福岡、広島、名古屋へ乗り継ぎのお客さんが994便には合計50名程搭乗しており、
乗り継ぎの便の出発時刻には到底つけそうになかった。
お客さん達が心配していると客室乗務員(CA)からインターフォンで連絡を受けた。
カンパニー無線で問い合わせてみると、それらの乗り継ぎ便に使用される飛行機も、
現在上空で待機中とのことだった。
みんな遅れているのだから、大丈夫だ♪

20分ほど経ってGlide Slopeが直り、ILS 19Rでアプローチ。
最終的に千歳には定刻より1時間遅れて到着した。

雪のせいとはいえ、1日同様、沢山のお客さんに迷惑をかけてしまった。

私は、といえば、1日も長時間待たされ、今日も待たされ、かな〜りブルーで疲れ切ってしまった。



2003.03.05

ビデオで録画しておいた 「GOOD LUCK」 を見た。

私はまだまだ定年まで時間があるので、ラストフライトについて考えたことはない。

基礎訓練課程時代にオーストラリア人の教官が言っていた。
「Once you become a pilot, you'll always be a pilot.」

何故パイロットを職として選んだのか、人によって違うと思う。
でも、共通していえることは、みんな一度空を飛ぶと、病み付きになってしまうのだ。
翼を取られることを考えると、とても悲しい気がする。

ラストフライトのとき、泣くかなぁ。
やっぱ、もうこれで旅客機には乗らないと思うと、想像を絶するほど悲しいだろうなぁ。
号泣するかもよ。
アプローチ中に目の幅の涙流して、前が見えなくて、
間違ってワイパー回したら、メッチャ、格好悪いだろうなぁ〜。



2003.03.09

出勤直前、かなりの量の雪が降り出した。
伊丹でこんなに雪が降るのはめずらしい。
あぁ〜、クッソォ〜、もったいない!
こんな日は、公園を思いっきり駆け回りたい!
そんなことを私以外に思うのは、子供と犬くらいなものだろうか?

伊丹 → 福岡 を便乗で移動後、福岡 → 名古屋 → 長崎 → 名古屋 を乗務。
このパターンを飛ぶのは初めてだし、路線も初めてだった。
本来なら2月に始まったパターンであり、1度以上は飛んでいるはずだったが、
私は出産、育児休暇、と称して、勝手に有休を取りまくっていたため、今回が初めてだった。

名古屋ステイのパターンだが、名古屋のホテルは繁華街からメチャクチャ遠く、
とてもとても不便との前情報があった。
まぁ、名古屋城に近く、リゾートホテルとしては良い所らしい。
でも、観光で行くのでなければ、レストラン、飲み屋街が近くにあることの方が重要なのだ。
また、コンビニさえあればなんとかなる私達、乗員にとって、
コンビニまで歩いて10分ほどかかる、という情報にもかなり気がめいる。

今日は上空に寒気が入っているのと、強いジェット気流の影響で、
どの高度もどこかで揺れているようだった。
幸いだったのは、強烈な西風が吹くなか、
3LEG(3フライト)のうち西行きが1本で、2本は東行きだったことだろう。
これは長時間のフライトが嫌いな私にはラッキーだったが、
終日、操縦を担当していたキャプテンとしては、かなりやりにくかったに違いない。

3便ともほぼ満席だったので、本来なら可能な限り長時間、シートベルト着用のサインを消してあげ、
客室乗務員(CA)からのドリンクサービスを含め、乗客へのサービスが行き届くようにしてあげたい。
しかし、東行きは揺れの少ない巡航の時間が15分もなく、
全員に飲み物が行き届く前に、再びベルトサインを点灯させることになってしまった。
反対に、西行きは40分程度の水平飛行がとれるため、
機内販売も含め、全てのサービスを行うことができたようだった。

長崎空港には初めて行った。
空港そのものは海に浮かぶ関空と同じイメージだが、
周りを山に囲まれ景色は関空よりもずっと美しかった。
ただ、山に囲まれている、イコール、高度が下げにくいわけで、アプローチは気を付けるべき空港だ。
とくに、北からアプローチすると、真正面に雲仙がそびえ立ち、かなりSCARYだ。

名古屋 → 長崎 を私達と同時刻に飛ぶJ社のジェット機はビジュアル・アプローチをしていたが、
そんなに追いたてることないじゃん、と可哀想になるほど
前を飛ぶプロペラ機との距離をガンガン狭めながらアプローチしていた。
私達はILSで進入することにした。


名古屋のホテルに到着すると、なんか、とっても趣きのある、いい感じのホテルでブルーになった。
出勤、退勤時に制服姿で出入りするならいいけれど、
ステイバックに1000円のウィンドブレーカー、$3のTシャツと
もらったジャージの下しか入っていない私にとって、うろつき回りにくい雰囲気だ。
鹿児島のホテル同様、かなり気が引ける。
とりあえず、従業員用の出入り口を使わせてもらえないかなぁ〜。

コンビニへ行くため、着替えて恐る恐るフロントへ行った。
一番近いコンビニへの行き方を聞き、とっとと逃げるように走って表へ出た。
軽く走れば、なのことはない、片道3分ほどだった。



2003.03.10

名古屋 → 福岡 を便乗で移動後、昨日と同じパターン
福岡 → 名古屋 → 長崎 → 名古屋 を乗務。

名古屋 → 長崎 は昨日と同様、私達がスポット21番、J社が隣の20番だった。

この時期は北風が吹くことが多く、使用滑走路は昨日同様34。
スポット21番は20番の北に位置している。
滑走路が34のとき、プッシュバックは頭が南にくるよう、尻が北に向くように行う。
当然、J社が20番から先にプッシュバックすれば、
21番の私達は彼らに邪魔されプッシュバックできない。
彼らがエンジンスタートを終え、地上滑走を始めるまで、約3分ちょっと待つ羽目になる。

今日は、J社より先に私達がプッシュバック前の準備を完了した!
私達がプッシュバックすれば、J社は待たされるはず。
急いで管制に無線でプッシュバックを要求した。
しか〜し、なんと、私達はJ社の出発準備が終わり、
プッシュバックを始め、エンジンをかけ終わり、地上滑走を始めるまで待つように指示された。
なんでじゃぁぁああぁぁああ〜〜〜〜〜〜!!!!????

なんでだろ〜ぉ、なんでだろ〜、な、な、な、なんでだろ♪♪

思いっきり両腕が動きそうになるのを押さえながら、怒りをこらえたのだった。

離陸の順番も当然J社の後。
目的地は同じなので、到着も昨日同様、後回しになるのかぁ・・・・。

J社は35,000feetで計画していたが、私達は31,000feetを計画していた。
どちらの高度も気流は良好だったが、
31,000feetの方が向かい風が時速80kmほど弱いことを知っていたからだ。

上昇中、TCASが映し出すJ社の機影は、私達の前方40kmのところにあった。
操縦を担当していたキャプテンは、最初、どうせ後回しになるんだから、
ということで速度を絞って飛んでいた。
それでも、J社との距離が狭まっていった。
これ、もしかすると追い越せるかも。」(キャプテン)

キャプテンが通常の巡航速度に戻すと、みるみるうちにJ社に追いついた。
ウフフフ♪
あとは管制官が気がつかなければ、下からコソーッと追い越せるぜ!

管制の周波数が東京コントロールから福岡コントロールに代わった。
その瞬間、管制官は非情にも私達に減速するよう命じた。

マジッすかぁ〜〜??
やっぱ、見てましたぁ〜〜??

せっかく追いついたのに、ジワリジワリと再び引き離されていった。
挙句の果てに私達の後方を31,000feetで飛んでいた飛行機が私達に接近してきたため、
私達は28,000feetに降下するよう指示された。
後ろの飛行機を降ろせばいいじゃん!
しかも、28,000feetに到達すると、ガタガタ揺れ出したではないか。
仕方なく、管制官に26,000feetまで降下させてもらえるよう要求した。
26,000feetまで降りてしまうと空気密度の関係で、飛行機の速度は相対的に遅くなる。
J社にさらに引き離され、ついには管制官に
減速の指示を解除します。(好きな速度で飛んでいいですよ)」
と指示された。

当たり前じぁぁああ〜〜〜〜〜っ!!

いつか絶対、名古屋 → 長崎 でJ社に勝ってやるぞーーーーッ!!

それにしても、今日も長〜い一日だった。



2003.03.11

朝、名古屋のホテルでテレビを見ていると、電話が鳴った。
妻からの電話だった。
授乳を終わり、シンちゃんを寝かしつけたところだったが、
後ろの方で、「エッ、エッ」 という聞きなれた声がする。

「後ろに誰かいるの?」
誰かって、シンちゃん以外に誰もいるわけないでしょ?」(妻)

BBフォンだから電話代安いし、長電話してもいいかなぁ〜、と考えていると、
先ほどの、「エッ、エッ」 が、「エヘヘェ〜ン、エヘヘェ〜ン」 になり、
さらに、
「エエーン、エエーン」 → 「エ゛エ゛ーッ! エ゛エ゛ーッ! 」 →
ンギャヤーーッ! ンギャヤーーッ!」 と代わっていった。

「昨日、寝れた?」
あんまり。 そろそろ抱っこするわ。」(妻)

あ〜あ、いつになったら寝てくれるようになるのかなぁ〜。



2003.03.12

昨晩は新幹線で 名古屋 → 大阪 を移動した。
新幹線に乗るのは、記憶にある限りこれが2回目だ。

2歳の頃、大阪の万博に来たが、そのとき新幹線を使ったらしい。
両親は、私専用のおマルを携帯しており、大変だったらしい。

それをカウントに入れないと、前回乗ったのは札幌から大阪に転勤が決まったときだった。

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YS-11からの機種変更で、エアバスの免許を取得するとき、実機の試験は下地島で行った。
試験が終わると、新しい勤務地が知らされる。
(全員が転勤するわけではないのだが)
私は、札幌から大阪への転勤が知らされた。
仲間は下地島から宮古島へ船で渡り、通常の旅客機に乗ってそれぞれのベース(勤務地)へ一旦戻り、
事務所で航空券をもらって、そこから転勤先へ移動する。
訓練に使用した飛行機は羽田にフェリー(空で空輸)したのだが、
私はその飛行機に便乗させてもらった。

仲間の一人が大阪に転勤することを想定して、賃貸住宅情報誌を下地に持ってきていた。
その中に、理想的な 「十三」 の物件を見つけた。
私は一刻も早く、その物件を見たかったので、札幌へ帰る時間がもったいなかった。
転勤、引越しのために与えられる時間は、それほど長くはない。
限られた時間を有効に使いたかった。

東京に戻り、その夜の夜行バスで大阪へ向かった。
早朝の6時頃、大阪駅に到着。
不動産屋に行くにはまだまだ早すぎた。

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YS−11のシミュレーターの訓練は伊丹空港の近くで行われた。
そのときお世話になった寮、「ときわ寮」 が豊中にあった。
うちの会社の乗員はほぼ全員、YS-11の訓練を経験しているが、みんなときわ寮を利用していた。
つまり、ときわ寮のおばちゃんは、うちの乗員のほとんど全員を知っているわけだ。

今はYS-11のシミュレーターは伊丹にはない。
もちろん、うちの乗員がときわ寮を利用することもなくなった。

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そうだ!
阪急電車で豊中のときわ寮へ行って、お世話になったおばちゃんに挨拶をしよう。

夜行バスを大阪駅で下車した。
通行人に、梅田へはどう行けばよいのか聞いた。
大阪駅と梅田駅が隣接し合っていることを私は知らなかった。

梅田駅から豊中駅までは阪急電車に乗った。
豊中駅で降り、ときわ寮へ向かった。
あれぇ〜??
寮は閉鎖されていた。
どうすっかな・・・・・・・・。

早朝だったが、運良くお隣の喫茶店が開いていた。
喫茶店に入り、ときわ寮について聞いた。
YS−11のシミュレーターが大阪空港から移動されて以来、ときわ寮は閉鎖されてしまったらしい。
ときわのおばちゃんに(Y子さん)会いに来たことを話すと、
喫茶店のおばちゃんは、Y子さんを呼びに行ってくれた。

しばらくして、喫茶店にY子さんがビックリ眼でやってきた。
最後に会ってから3年も経っていたが、Y子さんは私のことを覚えていてくれた。
訓練時代の話をして、寮が閉鎖に至った経緯を聞いた。

沢山の訓練生が卒業後、ときわ寮にY子さんを尋ねて来てくれたが、
寮を閉鎖することとなった今、私が最後の訪問者だ、と、とても喜んでくれた。
あと数日でY子さんは豊中から引っ越す手はずだった。
行く先はうちの会社の乗員には告げておらず、この日に私が訪れたのは幸いだった。

今までY子さんを尋ねてくれた人達が残した分厚いサイン帳をテーブルに置き、
私に最後のサインとメッセージを書くよう頼んだ。
あのとき、私が何を書いたのか、今は覚えていない。

喫茶店でY子さんに朝食をご馳走してもらい、そして豊中を後にした。

私は、その足で十三(じゅうそう)へ向かった。
確か、急行が十三に止まるかどうかを駅員さんに聞いたこのとき、
十三が 「じゅうさん」 でないことに、初めて気がついたのだった。

私があてにしていた物件は、十三の不動産屋の広告に載っていた。
しかし、不動産屋へ出向いて初めて、そこが借り上げ社宅としての条件に合わないことを知った。
大阪の地理に詳しくない私は、どこに住めばよいのか全く見当がつかなかった。
弱ったなぁ〜。
どこに住めばいいんだろう?
ウェイト・トレーニング・ジムの近くがいいけど、
南茨木にアニマル・ハウスとかいうジムがあったけなぁ。
京橋のワールドジムも使えそうだけど、通うにはどこに住めば便利かなぁ。
あぁ〜、困ったなぁ〜。
早く決めて札幌に帰って、引越しの準備しないと。

勤務地が伊丹空港でしたら、伊丹なんてどうでしょうか?」(不動産屋)
困っていた私に、不動産屋は、伊丹に建ったばかりの小さな一軒家を紹介してくれた。

すぐに車で伊丹の物件を見に行くった。
商店街とスーパーまで歩いて1分、駅まで走って30秒、というロケーションだった。
もちろん私はその物件を気に入った。
大家さんに会い、商談はすぐに成立した。
十三の不動産屋へ車で戻り、必要書類に記入をした。

札幌に転勤になったときは、住む場所は会社が手配してくれた。
賃貸契約を自分でするのはこのときが初めてだったので、
この後、私はどうするのかなぁ、と待っていた。
すると、不動産屋は言った。

もう結構ですよ。」(不動産屋)
「あっ、ハイ。 あのぉ〜、結構って、私、帰ってもいいんですか?」
えぇ。」(不動産屋)
「えぇーっと、東京に帰ってもいいんですか?」
えぇ、もう帰っていいですよ。」(不動産屋)

あれはまだ午前中だったと思う。
数日はかかると考えていた物件探しが、1つめで決まってしまい、札幌行きの航空券も持ってない。
とりあえず、東京の実家へ帰ろう。
東海道線にしようかとも思ったが、せっかくだから新幹線に乗ってみることにした。

そう、これが、私が覚えている新幹線搭乗の初体験だった。

十三から阪急電車で梅田へ行った。
そこで、通行人に聞いた。
「新幹線の乗り場はどこですか?」

梅田駅は大阪駅の近くだ。
新幹線は、当然、大阪駅を通っていると私は思っていた。

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そういえば、YS−11の実機の訓練を熊本で終え、札幌への転勤が決まったときも、同じようなことがあった。

「札幌の事務所って、空港のどのへんにあるんですか?」
そんなの行きゃあわかるよ。 空港狭いし。」(仲間のパイロット)
ふーん、そうなんだぁ・・・・。
「空港についてからは、クルーバスか何かに乗るんですか?」
(クルーバス=乗員やCAが飛行機と事務所を行き来するときに乗る、空港内を走るバス)
何、言ってんだよ。 電車に乗るんだよ。」(仲間のパイロット)
「あぁ、そうなんですか・・・・・。」
札幌空港って、空港内の移動に電車を使うのかぁ。
まるで、ハワイやロスの空港内を走る、シャトルバスみたいだなぁ。
でも、空港狭いって言ってたよなぁ・・・・。
「電車って、何分くらいかかるんですか?」
40分くらいじゃないかなぁ。」(仲間のパイロット)
40分??!!!
それって、メチャクチャ空港、デッカイじゃん!!
私がビックリまなこでいると、ようやく気がついてくれた。
オマエさぁ、千歳空港と札幌空港って、違う場所にあるの知ってる?」(仲間のパイロット)

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新幹線で 大阪 → 東京 を乗車したときの感想だが、
こんな短距離を移動するのに、なんで3時間もかかるんだよッ!
3時間もあったら、飛行機なら日本の端から端まで行けちゃうじゃん!
乗り物に1時間以上乗ることに耐えられない私。
新幹線は二度とゴメンだいっ! と思わずにはいられなかった。

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と、ここまでざっと日記の下書きを終えると、ちょうど、新大阪駅に到着した。
久々の新幹線だったので、お外でも眺めながらゆっくりくつろぐはずだったが、
結局、景色を見ることは一瞬もなかった。



2003.03.13
札幌に転勤になった当時のことを考えていて、思い出すことがあったので書き足すことにする。
ひょっとすると、以前も書いたことあるかなぁ・・・。

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今はきれいになった札幌空港のターミナルだが、建て直す以前は倉庫のようだったらしい。

ある、客室乗務員(CA)が、タクシーで旧札幌空港ターミナルへ出社した。
そのとき、
なんで貨物駅に連れてくるんですか?」 と、ホテルに引き返してしまったとか。

これって、マジなストーリーだろうか?

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熊本でのYS-11の実機訓練を終え、札幌への転勤が決まった私。
転勤先の挨拶回りと、住む場所の視察のために、11月に札幌へ行った。
そのときはまだ雪が積もっていなかった。
その後、一旦東京へ戻り、12月に入ってから引越した。

一面の銀世界を見て感じた。
「札幌って、こんなに道路、狭かったけ?」

引越しを終え、初めて札幌空港へ出勤したときは吹雪いており、視界がとても悪かった。
雪が降ってるときって、飛行機は飛べないんだろうから、
きっと春までほとんど仕事ないんだろうなぁ〜。

吹雪でかすんで見えるターミナルに向かって歩いていると、
ブーン、というYSのエンジン音が聞こえてきた。
姿は全く見えないが、上昇している感じの音だった。
マジィッすかぁ〜〜!!??
雪が降ってんのに、飛行機って飛べるんすかぁ〜??

熊本での訓練は数週間。
あとはオーストラリアでしか飛んだことがなかった私だ。
雲ひとつない空ばかり見てきたので、雪が降ったら飛行機は飛ばないものと思っていた。

さらに、雪が積もった滑走路に離着陸するのに、
飛行機のタイヤはスパイクでもスタットレスでないことを知り、とても驚いた。

例えば 東京 → 札幌 を飛んで、さらに南に戻る飛行機は、
 雪のない空港ではノーマルタイヤでいいわけで、 そしたら、いつスタットレスに履き替えるんだよ。
 無理でしょ?
」(仲間のパイロット)

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春になって、雪が全部溶けた。
「札幌って、こんなに道路が広かったんだぁ〜。」

「それにしても、おっかしぃなぁ〜? 今年は花粉症の症状がでないぞ?
 もしかして治ったのかなぁ〜? そうだな、治ったんだな♪」

それから3年後、大阪で晴れた春先にマスクもせずバイクで外を走り回っていて、ひどいめに合った。
目も鼻もグシャグシャになってしまった。

え゛ぇ゛え゛ぇ゛〜〜〜ッ!!??
花粉症、治ったっしょ?

その後、人から聞いて知った。
北海道にはスギがないんだそうだ。



2003.03.15

この時期になると、毎年重度の花粉症に悩まされる。
鼻をかみ過ぎて慢性的な頭痛になることもある。

サラリーマンをしていて辛いのは、ヒゲを剃らなければいけないことだ。
仕事柄、ヒゲを生やしている人もいるが、問題なのは生え揃うまでの無精ヒゲ。
清潔感がないので、嫌われる。

花粉の季節は、休日に無精ヒゲを生やしている。
鼻をかみすぎて、その度に鼻の下をティッシュで拭くために、
鼻の下の肌が真っ赤に荒れてしまい、痛くなる。
ヒゲはティッシュとの摩擦から肌を守ってくれるのだ。

ところが反対に、以前は口ヒゲを生やしていたのに、
花粉症にかかって以来、剃ってしまったキャプテンもいる。
彼曰く、鼻水でヒゲがゴワゴワになって気持ち悪いのだそうだ。

さて、勤務のある日はヒゲを剃るが、鼻水は止まるわけがなく、
鼻を頻繁にかまなくてはならない。
肌をこすり過ぎ、痛くなるのを防ぐ為、私はリップスティックを持ち歩いている。
「メンターム・スティック」 には何年も世話になっている。

今日は一泊2日のパターンの2日目だった。
そして、今朝、その愛用リップスティックがなくなっていた!
どこじゃぁあ〜〜!!??
おぬしはどこへ行ったのじゃぁぁああ〜〜〜〜??!!
お前がいなくなると、ワシャ、生きていけんぞな(呼吸困難)。
出ておいで〜♪

カバンの中にも、ズボンのポケットの中にも、
上着のポケットにも、テーブルの上にも、洗面台の上にも、
カバンの中にも、靴の中にも、靴下の中にも、
ヌワァイイ〜〜〜〜〜ッ??!!

おっかしいぃ〜なぁ〜。
どこへ行ったんだろう?
昨日、使って、そういえば、今朝も使ったよなぁ・・・・。

最近、よくモノがなくなる。
どこかへ置き忘れてしまっているのだろうが、
感覚的には、モノが勝手にどこかへ行ってしまったような感じだ。

薬局へ行けば売っているのだろうし、決して高価なものでもない。
でも、毎年、毎年使っているので、せっかくなら使い切りたいではないか。
今日は雨が降っているし、きっと花粉もあまり飛んでいないに違いない。
マスクをしていれば、それほど鼻をかまなくて済むだろう。
そのうちでてくるさ。

伊丹の自宅に帰宅した。
夜ご飯を食べながら、何気なく棚の上に目をやると、
そこに 「メンターム・スティック」 を発見!!

なんで、あいつがここにいるの?
「ねぇ、あのリップステック、いつからあそこにある? 昨日はなかったよな?」
イヤ、ずっとあったよ。」(妻)
「一人で帰ってきた、とか。」
イヤ、ずっとあったよ。」(妻)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ってことは、私は泊まり先に、リップスティックを持っていかなかったんだ。
でも、絶対使ったぞ、昨晩と今朝。
おっかしいなぁ〜?



2003.03.22

今日は比較的花粉が飛んでいないようだったが、重度の私は外へ出るときは常にマスク、ONだ。
最近購入した、「ユニチャーム 超立体マスク」 が調子良い。

マウンテンバイクで商店街へ行き、チャリのカギをかけていると、
通りを歩いているおばさんと目が合った。
すると、彼女は一緒に居たおばちゃんに言った。

今日は、あんまり花粉が飛んでないみたいで、私、症状、出ないんだよね♪

あぁ、良かったですねェ〜。
私は重度なんで、用心していつもマスクつけてるんですっ!



2003.03.26

羽田 → 福岡 への便乗。

羽田ではオープンスポットからの出発だった。
バス移動だ。
ターミナルからバスに乗るために外へ出る前に、マスク ON。

右隣に立っていた中年男性の携帯電話がなった。
見た目、太めで顔が恐い感じだったが、話し声が穏やかだった。

もし、もし。 おうオレだ。 で、どうだった? ・・・・・・・・
 お゛ぉ゛ー! そうか、そうか。 それは良かった。 ・・・・・・・・
 そうかぁ。 それは大変だったなぁ。 うん、そうか、良かったなぁ。 ・・・・・・・
 うん、うん。 そうか。 で、あいつどうしてる? ・・・・・・・・
 そうか。 うん、うん。
 息子に、『おまえのことを誇りに思うぞ』 って伝えてくれ。 じゃあ。


受験かなにかの合格の連絡だったのだろうか。
何故か、私もとっても嬉しかった。

「おまえのことを誇りに思うって息子に伝えてくれ。」
日本語で 「誇りに思う」 という表現はあまり聞かないような気がするが、
洋画では、お父さんが息子に 「I'm proud of you.」 と言うシーンをよく見る。
オヤジが息子に、誇りに思うぞ、って言えるのは、なんかとても素敵ではないか。
言われる方も、言う方も、ちょっと恥ずかしい。
でも、機会を見つけて言う練習をしてみたいものだ。

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福岡 → 名古屋 → 長崎 → 名古屋

名古屋 → 長崎 のクルーブリーフィングで、キャプテンが客室乗務員(CA)に言った。
向こうは滑走路32を使ってますんで。 あれ? 32だったよね?」(キャプテン)
「いえ、34です。(きっぱり)」
・・・・・ ああ、そうでした。 巡航は気流はほぼ良好・・・・・・・。
 普賢岳が・・・・・・。
」(キャプテン)

????????
なんで福岡へ行くのに普賢岳の話しをしてるの?
・・・・・・・・・・・・。
あっ、ヤッベェー、これって長崎行きじゃん。

ブリーフィングが終わるのを待ってから言った。
「あのぉーー・・・・。 スミマセン。 さっき34って言っちゃいましたけど、32ですね。 
 僕、福岡行くんだとばかり思ってました。」
そうだよね、おかしいな、とは思ったんだよ。 ねぇ?」(キャプテン)
えぇ、私も、変だな?と思いました。」(CA)
しもうたぁーーーッ!!
「普賢岳って聞いて、僕もおかしいと思ったんですよ。 ハッ、ハッ、ハッ、、、ハァ〜。」

隣のスポットを見ると、そこにはJ社の飛行機がないっ!
へぇ〜ん、へぇ〜ん、だ。<BR>いつも、いつも、邪魔しやがって。
やっと出発時刻、ずらしたのね♪

乗客に搭乗が終わり、Push Backを開始すると、無線で聞きなれた便名が聞こえた。
んっ?
473?
473 って・・・・・・・・・・・
のぁぁああ〜〜〜〜っ!!??
J社の長崎行きじゃんかよ?
どこにいるんだよ?
ゲェ〜〜〜、PBBからPush Backしてんのかよ!?
そっちはボーディング・ブリッジつきで、こっちはオープン・スポットでバス移動なわけ?
随分と差がついちまったなぁ〜〜〜〜。
しかも、あっちの方が、滑走路(34)、メチャメチャ近いじゃん。

名古屋を離陸後、ずっと、ずっと、ずーっと、
TCASに移しだされる前方40kmほど先を飛ぶJ社の473便の機影を見ながら、長崎へ向かった。
クッソォ〜〜ッ!!??
TCASって便利だけど、こういうときはOFFにできないもんかなぁ〜。

長崎へ着陸。
まぁ、なんとか定刻にSpot-inできそうだ。
そういえば、あの灰色の飛行機、何だろう?

ターミナルから見て滑走路を隔てて反対側に、灰色のB767サイズの飛行機が放置されている。
灰色にカバーをかけているのだろうか?
前回、前々回長崎に来たとき、一緒に乗ってたキャプテン、二人とも不思議がってたっけ。

「あそこに見える灰色の飛行機、あれ、何ですかねぇ〜?」
え? どれどれ? あぁ、あれねぇ。 初めてみるなぁ。 前に来たときは気がつかなかったなぁ。
 なんだろうね? B6サイズだね。 あのそばに留まってるの、消防車じゃないかい?
 あぁ、そうか、飛行機の消火作業の練習かなにかに使ってるんじゃないの?
」(キャプテン)
あぁ、そっか。
それなら理解できるな。

長崎のディスパッチャーに聞くと、あの灰色の飛行機の模型は、やはり訓練に使われているものらしい。

名古屋行きに乗務するために、コックピットに戻った。
コックピットの正面に見えるターミナルには、大きな鐘がぶら下がっている。
あの鐘って、鳴るのかなぁ?」(キャプテン)
「あれですか? 鳴るんじゃないですか?
 だって、滑車みたいなのにロープもついてるし、
あのロープ引っ張ったら軸が回転して鐘が鳴るんじゃないですか?」
え゛ぇ゛ー? そうかなぁ。 だって、あの滑車みたいな輪っか、随分ときゃしゃにできてるよ。
 あれってダミーじゃないかなぁ? あのロープを思いきり引っ張ったら、なんか壊れそうだよ。
」(キャプテン)
「なるほどね。 たしかに鐘の内側に(鐘を)たたく部分がないようにも見えますね。」
でさぁ、なんで、あんな大きな鐘がターミナルにあるか知ってる?」(キャプテン)
「いえ、知りませんけど。 何か理由なんかあるんですかねぇ?」
オレ、思うんだけどさ、『長崎の鐘が鳴る〜♪』 って歌があるでしょ?
 あそこからきてるんじゃないかなぁ、と思うんだよね。 歌、知ってるでしょ?
」(キャプテン)
「いえ、聞いたことないですけど、古い歌なんですか?」
そうだね。 まぁ、いわゆる 『なつメロ』 ってやつだね。」(キャプテン)
夏メロ? 夏に聞くメロディーかな? 鐘=鈴、そっか、涼しげな音楽ってことか。
『なつメロ』、なつかしのメロディーかぁ〜。」(キャプテン)
お゛ぉ゛ーーッ!!
良かったぁ〜、余計なこと言わなくて。
なつかしのメロディーのことを「なつメロ」っていうのね?

そういえば、昔、「いためし」 が、「板前が作る日本食」 と思ってて、恥かいたっけなぁ。
なーんか、会話の流れからおかしいとは思ったんだよ。
板前さんと対面で座るカウンター席の日本食を食べるのが、最近の若い女性の流行りなのかぁ、って
スンゲェ−不思議だったんだよなぁ〜。

名古屋で仕事を終え、ホテルへ向かう途中、キャプテンの趣味の話になった。
手作り模型飛行機(ラジコン)の達人で、プロとして店が開けるほどの腕前だと噂されるキャプテンだが、
最新作を早く飛ばしに行きたい、と言っていた。
64ccの2ストのエンジンの話や、スモークをガンガンたいて飛ばしたいけど、煙となるオイルが高い、
等々、興味深い話だった。



2003.03.27

朝、天気図を見ると、前線が九州にさしかかっていた。
名古屋−福岡 は大丈夫かなぁ・・・・。

ディスパッチへ出頭し、コンピューターでレーダー・エコー図を確認すると、雲の移動速度はかなり速く
既に四国まで来ていた。
ひょっとすると、私達が名古屋を離陸するころまでに、揺れそうな雲の壁は琵琶湖まで来てるかも。
そうすれば、琵琶湖まで揺れを我慢して、その先はずっと気流良好の可能性もある。

名古屋空港を離陸し、10,000ftぐらいまでは薄い雲の中だったが、結構強烈に揺れた。
その後、巡航高度 26,000ftに到達したが、やはり雲の中で時々ゴトゴト揺れた。
この状況、どこまで続くのかなぁ。

琵琶湖の辺りでカンパニー無線を使って、西行きの揺れの情報を集めることにした。
無線のスイッチを押し、こちらの聞きたいことを送信すると、すぐにカンパニーから返事があった。
これからの西行きですが・・・・・、」(カンパニー)
お゛お゛ーーーッ!!??
突然、目の前が開けたではないか!
雲の中から出たその瞬間、九州まで見えるほど晴れ渡っていた。(イーヤ、見えない、見えない。)
カンパニーの担当者は、とっても丁寧に今後の巡航の予想を押しえてくれたが、
私は話半分程度に聞き流し(ちゃんと聞いとけぇ〜)、夕日の美しい景色を楽しんだ。

・・・・・・・・・・・です。 どうぞ。」(カンパニー)
「どうもありがとうございます。 つい先ほど雲の外に出まして、今は気流良好です。
 このまま 26,000ftで行きます。 行ってきま〜す♪」

若干、風の方向が変化していた関係で、時々軽く揺れることもあったが、
客室乗務員(CA)がサービスできないほどでもないし、問題はなかった。

ゴトゴト揺れる灰色一色の世界から、一転、
日が沈みかけてオレンジ色に輝く日差しと、
眼下に広がる雲の大海原の雄大な景色を楽しみながら、福岡へ向かった。



2003.03.31

客室乗務員との合同緊急訓練とCRM(Crew Resourse Management)の訓練のために、東京へ行った。

そこで、福岡ベースの同期の乗員に会った。
そういえば、先日、福岡 → 名古屋 を飛んだとき、私の前に離陸した飛行機から聞こえてきたATCが、
彼の声に似ていたのを思い出した。

「ついこの間、福岡で声を聞いた気がしたんだけど。」
あぁ、そういえば、後の飛行機、なおだったよね。 ATCの声を聞いてすぐ分かったよ。」(同期A)

やっぱりそうだったか。

「でさ、最近、結婚生活、どうよ?」
うん、楽しいよ。 でも夜は近所迷惑かもな。」(同期A)
マンションに住んでいる新婚さんが、夜に隣近所にする迷惑なことをするって・・・・・、何やってんだよ?(笑)
「相変わらずだなぁ〜。」
うん、ハトの鳴き声とか、カラスの鳴き声とか、二人で真似しっこするんだ。」(同期A)
「深夜に?????」
そうだよ。 昨日も夜ふかししちゃったんだなぁ〜。
 カラスの普通の鳴き声と、ちょっと警戒してる感じの意地悪な鳴き声の区別、できるんだよ♪
」(同期A)
そういって、彼は私の前で物まねをしてくれた。
そしてさらに、舌を縦に丸めて息をはき出し、ホー、という音を出して言った。
これがハトの鳴き声だな。 ほら、ホー、ホ、ホッ、ホ、ホー、ってハトは鳴くじゃない。
 あれ、どこで切れるのかよく聞いてないと聞き間違えるんだよね。
 ホー、ホ、ホッ、ホ、ホー、じゃなくて、ホ、ホッ、ホ、ホー、ホー、だよね。
」(同期A)

どうでも良いことなのだが、私もあの鳴き声がどこで切れるのか考えたことがあるので、
彼にとってそれが重要なことであることがよく分かる。

その他、ハトとカラスが神社で縄張り争いをしている話や、ハトの鳴き真似をしてハトの群れに近づくと、
ハトに嫌われ、彼の車に糞をひっかける話など、本当にどうでも良い話が続いた。

そこへ別の同期がやってきた。
なお、オマエ、相変わらず手に何、書いてんだよ。」(同期B)
「あぁ、これ? バスと飛行機の出発時刻だよ。 忘れるじゃん。
 そういえば、オマエは何、書いてんだよ? 「GB」 って何のこと?」
あぁ、これ? ゲームボーイ。」(同期A)

昼休みに、彼はゲームボーイをしていた・・・・・・。

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結婚してしばらくしたある日、妻と散歩をしていたとき、遠くから、昔、よく聞いた懐かしい声が聞こえてきた。
ホ、ホッ、ホ、ホー、ホー、、、ホ、ホッ、ホ、ホー、ホー
「あの音、久しぶりに聞くなぁ〜。 竹薮から聞こえてくる音だよね。
 いったい、どんな鳥があんな鳴き声をするのか、見てみたいなぁ〜。」
え゛っ?!! 知らないの? ハトだよ。」(妻)
「ウソだろ? ほんとに? 鳴いてるところ、見たことある?」
あるよ。」(妻)

その後、あの声が聞こえてくるたびに、私は妻にバカにされる。
ほ〜ら、なおクン。 竹薮から聞こえてくる音が聞こえるねぇ〜。」(妻)
確かにバカにされるに値するかもしれないが、
幼稚園の頃から疑問だったことが解明されて、私はとってもとっても感激したのだ。
バカにするぬわぁぁああぁぁああ〜〜〜〜〜♪

ある日、電線にとまったハトが鳴いているのを発見した!
へぇ〜、ハトって喉を膨らませて鳴くんだぁ〜。
すっげぇーなぁー。
いつ鳴き止むかなぁ〜、と立ち止まったままジッと見上げる私に、妻は痺れを切らした。
もう行こうよ。」(妻)

あのとき、ハトの喉の膨らみ方、呼吸の仕方とホ、ホッ、ホ、ホー、ホーの鳴き声の切れ方を知ったのだった。

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CRM(Crew Resourse Management)の訓練では、今年も有益な話を聞くことができた。
配布物に書かれていたことを引用したい。
 安全運航の最後の砦は、我々運航乗務員にあることを、もう一度肝に命じながら、
 次の言葉を噛み締めたいと思います。
 ・安全はこの世に存在しない。 存在するのは危険因子と、それが顕在化した危険だけである。
 ・潜在する危険因子を顕在化しないように努力し続けた結果、何事も起こらなかった状態を「安全」という。
 ・危険因子を排除し続ける努力を一瞬でも怠れば、危険は「事故」という形で顕在化する。
                            日本ヒューマンファクター研究所 所長 黒田勲
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訓練が終わり、羽田 → 伊丹 の便乗での出来事。

前に座っている女性が、スポーツ新聞を読んでいた。
開かれていたページは、アダルト・ページだったので驚いた!
座席と座席の間から、前のお客さんを覗きこんでみたが、やっぱり女性だ。
しかも、熟読している・・・・・・。
タイトルは、「レ○の前○」 だった。
しっかし、まぁ、よく堂々と思いっきりおっぴろげて読むわな。
とても、とても感心してしまった。

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帰宅し、風呂に入った。
しばらくして、オンギャーッ、オンギャーッ、とシンちゃんの叫び声が聞こえてきた。
と、同時に、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、と妻がリビングを走る音が聞こえた。
そのすぐ直後、今度は、ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ、という音が聞こえてきた。
麦茶を沸かし終わったアラームの音だ。
すると、また、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、と足音が聞こえた。
シンちゃんは相変わらず、オンギャーッ、オンギャーッ、とカナきり声を上げている。
アラームの音が止むと、すぐまた、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、と足音が聞こえた。
すぐに、シンちゃんの鳴き声が静まった。
きっと抱っこしたのだろう。
その光景を思い浮かべながら、風呂場には私のたか笑いが響き渡った。