2008.10.04

明日は名古屋ステイだけど、明後日は仙台ステイだ。
もうそろそろ、朝夕は寒くなってるはず。
階段の手すりにかけてあるG短パン2枚を見ながら考える。
さすがにこの時期、短パンで仙台の町は歩きたくないかもな。
長い方のジーパンを持っていこう。
上は・・・・、ポロシャツだけでいいか。
それともウィンドブレーカーも持っていくか。
でも、かさばるのはイヤだ。

フライトバッグとステイバックを玄関まで運びながら、独り言。
「あさって、仙台だけど、、、寒かったら、、、力、入れるか。」
洗面所で化粧をしていた妻が、それを聞いて言った。
「もう、、、力、入れないで、服、入れたら?」(妻)
ウマイッ!

洗面所の鏡の前で、オシッコ漏れそうなイメージを作るべく
チョビッと内股で小刻みに震えながら、全身に力を入れるフリをしたら、
ウケたっ!!

松山空港は離陸滑走路が32だった。
Push Back しながらエンジンをかける。
地上走行して Runway 32 へ向かう途中、
進行方向、向かって左手に設置されているウッドデッキ風展望台?を必ず見る。
飛行機を眺めに来ている家族や子供がいたら、手を振りたいからだ。
今日は土曜日だから、きっと誰かいるはず。
左席の私が操縦していたので、左手でステアリング(車のハンドルみたいなもの)を持ち、
地上走行を担当していた。
おっ! ウッドデッキに人がいる!
3人いる。
あっ、でも、大人だ。
しかも、男ばっかだ。

「ちょっとの間、You have control。」
右席のコパイに地上走行してもらうことにした。
こうすれば、ステアリングを握る左手も、スラスト・レバーを持つ右手もフリーになる。
(スラスト・レバー=車のアクセルみたいなもの)

工務店のおっちゃん達がよく着ている作業着?の男達3人が、
1.5m程度の等間隔で横に並んでいる。
私から見て右の男と真ん中の男はウッドデッキの手すりによりかかって立ち、こっちを見ている。
左の男は白いタオルを頭にまき、座っている。
手すりを支える縦の棒が邪魔で、白いタオルの男はあまりよく見えない。
(きっと、彼もこちらがよく見えない)

私は上半身を左に回し、コックピットの窓からおっちゃん達めがけてブンブン手を振った。
最近、代えたばかりの真っ白い手袋をしているから、確実に彼らの視界に入るはず。
すると・・・・・、右の二人が私に気がつき、手を振り替えしてくれた。
作業着を着た、いい年こいたオヤジと、同じくコックピットに座るオヤジが手を振り合ってる。
お互い、見ず知らずの他人なのに。
よくよく考えてみると、おかしなものだ。

すると、白いタオルの男が大きく首を左に振り、真ん中の男を見上げ、
何かが起こっていることを察知したのか、
左手をウッドデッキについて、おっこらしょ、と立ち上がり、
真ん中の男の視線の先を追い、こっちを見た。
オッ!という顔をして、すぐに、何のためらいもなく、
白いタオルの男も手を振ってくれたぁ〜〜♪

見た、見た!?
今、わざわざ立ち上がってくれたぜっ!
「見ました、見ました。」(コパイ)
(地上走行中なので前方を見ながら、チラッ、チラッと0.2秒ぐらいずつ左手をチラ見)
いっやぁ〜、嬉しいなぁ〜。

ワァーーーッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ!!

笑った、笑った。
あんまりにも愉快な光景だった。
B3に来て、初めてあんなに笑ったぞ!



2008.10.14

関空に出社。
21番ゲートへ向かった。
松山から関空に到着した飛行機に乗り、再び松山に戻る便に乗務。

飛行機を降りてきたのは、仲の良いコパイと同期のキャプテンY。
キャプテンYと無駄話をした後、コックピットに入り、座席左横にフライトバッグを置いた時、
HUD(Head Up Display)のサンバイザーを置く場所に
緑色のビニール袋が置いてあるのに気がついた。
忘れ物か?

中身を確認する間もなく、緑色のビニール袋を持ってすぐにコックピットを出てYに声をかけた。
「忘れものだよっ!」
「え? オレのじゃないよ。」(Y)
「え? ほんと? じゃあ、その前の人?」
「中身は?」(Y)
「熊本のラーメンだっ!」
「じゃあ、Sだよ。 熊本から伊丹に戻る便に乗ってたもん。」(Y)

そうだった。
コパイOJTの教官としてSが伊丹−熊本に乗ることを、 先日、当該コパイから聞いていた。
Sも同期で、かつ、YS−11の訓練でパートナーだった男だ。

この飛行機の今日のローテーションは、
伊丹 → → 大分 → 中部
通常なら、前半の
伊丹 → 熊本 → 伊丹 → 松山 → 関空
を大阪のクルーが担当した後、中部に陸路で移動する。
そして、後半の
関空 → 松山 → 伊丹 → 大分 → 中部
は、福岡 → 関空を便乗で移動した福岡クルーが担当する。
でも、今日はコパイのOJTがあった関係で、あちこちがブツ切りになっていて、
伊丹 → 熊本 → 伊丹 をSが、
伊丹 → 松山 → 関空 をYが、
関空 → 松山 → 伊丹 を私が飛んでいた。

熊本のディスパッチで購入できるラーメンはおいしいので、
熊本に行った際、乗員、客室乗務員、多数が購入する。
私も昔は買ったが、ターミナル内で同じものが同じ値段で売られていること知って以来、買っていない。
(最近はどうなのか知らない)

SはコパイのOJTで、よく大阪に来るはず。
だったら、私が大阪の乗員室に持って帰って、冷蔵庫に保管しておけばいい。
伊丹空港まで熊本のラーメン、2人前×2を空輸した。
このラーメン、熊本 → 伊丹 → 松山 → 関空 → 松山 → 伊丹 と無駄に運ばれたわけだ。

伊丹の乗員室で地上スタッフに聞いた。
「Sの明日のスケジュー、分かります?」
「ちょっと待ってくださいね・・・。 えぇーーっと・・・・・、明日から連休です。」(スタッフ)
「そうですか。 賞味期限は・・・・、2008年11月18日か。 随分先だな。
 賞味期限、近かったら、持ってかえって食っちゃうんだけど・・・・。」
「どうしたんですか?」(スタッフ)
「いえね、Sが熊本でラーメンを買って、コックピットに置き忘れたんですよ。」
「Sキャプテン、つい、さっきまでいたな、そういえば。」(課長)

東京へ便乗で戻ったなら、Sなら羽田の乗員室にまだウロウロしてるかもしれない。
(私はは仕事が終わったら、さっさと帰る。 1秒でも早く家に帰りたいタイプ)
東京の乗員室に電話してみよう。

「もしもし、そちらにまだSキャプテン、いますか?」
「えぇ、います。 少々お待ちください。」(羽田のスタッフ)
「はい。」(S)
「もしもーし。」
「あぁ、なに?」(S)
「今日、忘れ物した?」
「何のこと?」(S)
「コックピットに何か忘れた記憶ない?」
「ないよ。」(S)
「熊本のラーメンとかさ。」
「えっ? ・・・・・・・・・・ あーーーーーーっ! 忘れてた。 買った、買った。 ハハハハ」(S)
「忘れてたんだっ?!?!」
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」(伊丹の乗員室で耳をダンボにして電話を聞いていたスタッフ3人)
「もう、すーーかり、忘れてたよぉ〜〜。」(S)
「な〜〜んだ、忘れてたなら電話しないで食っちゃえば良かったなぁ〜。」
「いいよ、もう食べちゃってよ。」(S)
「いや、賞味期限11月18日だからさ。」
「じゃあ、1個持って帰って食べてよ。 1個だけ置いておいて。」(S)
「いや、いぃって。 乗員室の冷蔵庫に入れておくから。
 弁当が入ってるところ、わかるだろ? あそこに。
 明日から連休だって? まぁ、1か月以内にはまた大阪来るだろ?」
「わかった。 ありがとう。」(S)
「でもさ、次、大阪に来たとき、ラーメンが置いてあること、Sは覚えてないだろうなぁ〜。」
「そうだなぁ。 ハハハハ」(S)

11月のスケジュールが出るのは10月末。
いつ、持って帰っちゃおうかなぁ〜。
賞味期限、切れてからにしーーよぉーーっと。



2008.10.17

関空は朝から南西風が吹いていたので、
通常ならば ILS 24R をしているはずなのに、今日は何故か追い風で使用滑走路は06L。
アプローチは ILS 06L をやっていた。

松山から関空へ向かった。
関空の風向きはほぼ朝と同じ。
当然、着陸の使用滑走路は06Lのままのはず。

ウッシッシ・・・

使用滑走路が06の場合、
私達が松山から関空に到着する時間帯、関空は離着陸機が少ないせいか、
着陸滑走路が離陸滑走路と同じ、古い方の06Rになることが多い。
06Rに着陸すると、駐機所まで着陸後2、3分程度しかかからない。
06Lに着陸すると地上滑走に8分程度かかる。
(24Rに着陸すると着陸後の地上滑走時間は06Lと同じだが、
 進入にかかる時間が06L+5分ぐらいか)

松山を離陸して、すぐに関空のATISをチェック。
アプローチ、変わったかなぁ・・・・・。
げっ! まだ06L使ってるんだ。
うーーーん・・・・・・、そろそろ06Rにしてくれぇ〜〜。

機上コンピューターには ILS 06L を入力しつつ、
アプローチ・チャートは、ILS 06R の分も出しておき、
いつ変更になってもいいように準備しておいた。

関空の管制官と交信を開始してしばらくすると、、、、、、
管制官が関空へのアプローチ機全機に向かって放送した。
「Runway Change・・・・・」(管制官)
ヨッシャーーーッ!!
きた、きた、きた、きたぁぁああーーーっ!!
06Rに変わるぞ、変わるぞ。
予定通りだ。

コンピューターの画面を切り替え、アプローチタイプを入力するページを表示させつつ、
ILS 06R のチャートを見ながら ILS の周波数を確認し、決心高度をセットし直した。
それらの一連の動作を一瞬で終わらせ、管制官の一方送信に耳を傾ける。
「Runway Change. Vector for ILS 24R.」(管制官)
へっ?
06R?
イヤ、24L?
イヤ、今、何て言った?
「ILS 24R って言いましたね。」(コパイ)

なんだとぉぉおーーーっ!!!

マジか?
マジでこのタイミングで ILS 24R に滑走路を変えるわけ?
だって、朝からずっと、ずぅーーーっと、追い風で06Lだったじゃない?
朝から風、変化してないでしょ?
なんでうちのちょっと前で変えるのさ?
うちが着陸した後でもいいでしょ?
それに、せめて変えるなら着陸後、駐機所まで遠い24Rに降ろすことないじゃない?
どうせこの時間帯、空きてるんだから。
24Lに着陸させて、よっ!

頭の中で文句を言いまくりながらも、仕方ないので ILS 24R のチャートを出し、
改めて最初から準備を開始。
あぁーーーー、こういう時(離着陸の滑走路が変わる/アプローチ・タイプが変わる)、
A320なら機上コンピューターのセット、楽なんだな。
B3は滑走路が変わると、いじらなければならない場所が多く手順が煩雑なので大慌て。
間違わないように、間違わないように、細心の注意を払いながら、
進入、着陸の準備を終えた。

気流は良好だった。
関空は離陸機がほとんどいなかった。
ガラッガラの24Lを眺めながら、24Rに着陸した。

今日はTaxiway J4が閉鎖されてるんだったけな。
滑走路を出たら道なりに左斜め前方へ出ずに、カクッとJ3に向かって左に回ればいいんだな。
いつもより減速しておこう。

ブレーキをギューッと踏んで20kt程度まで速度を落とし、J3の方向を見た。

ん?
水色のお立ち台があるぞ?
あんなの前からあったっけ?
階段で登る高さ4mほどありそうな水色の柵付きデッキだ。
黒っぽい同じ色の服を着た沢山の見物人達が、お立ち台にいて、こちらを見ている。
その光景、カエルのエサ用にプラスチックケースに山ほど捕ったコオロギのようだった。

「見て、見て。
 みーーんな黒っぽい服着て、あんな柵の中に押し込められてて、まるで大量のコオロギみたい!」
「アッ!ほんとですね。 24Rの拡張工事を見に来た見物人達じゃないですか?
 ツアーが時々あるらしんですよ。」(コパイ)
「ほんとだ。 黄色いバスがお立ち台の下で待機してる。
 あっ、まさか、、、、、
 見物人がいるから、彼らに飛行機を見せるためにわざわざ滑走路を24Rに変えたんじゃないのか?」
「それ、ありえますよ。
 空いてるからって06Rに降ろしたら、拡張工事必要ないじゃん、ってことになるかねませんものね。
 彼らの到着に合わせて一番着陸機が見やすい ILS 24R に変えた可能性はありますよね。」(コパイ)

本当にそうなのか?
いや、そんなわけないか。



2008.10.19

初めて中国に行った。
もちろん、海外旅行ではなく、仕事で、だ。

目的地は杭州、こうしゅう、ハンジョウ、だ。
息子が産まれて以来、海外には行ってないので、
関空の国際線エリアに入ったのは6年ぶりぐらいか?

中国は各都市ごとがあたかも別の国のようで、
持って行かなければならない必要書類が異なる。
それらが揃っていないと中国でお客さんを降ろせないので、
ハンジョウに到着し、ドアが開いて、お客さんが全員降機するまではドキドキだった。

上海の管制官の英語は理解できたが、
上海コントロールエリアを出て、次のエリアの管制官になった瞬間から、
なまりが強く、理解するのに苦労した。

中国国内線との中国語によるATC(管制)の合間に、
間髪入れずになまった英語が挿入されるので、
それが英語であることすら気づかず、自分の便名が呼ばれても聞き逃してしまった。

ハンジョウ空港へのアプローチは日本とあまり変わらず、ホッとした。
着陸後、滑走路を出て注機所まで、勝手に地上走行させてもらえない。
Follow Me Car と呼ばれる車の後ろにくっつき走り、誘導されながらスポットへ向かった。
これも事前情報で知っていたが、日本にはないシステムで不思議だった。

便間に時間があったので、ここで昼ごはんを食べた。
プレミアム・クラスの座席のテーブルに、CAさんが食事を準備してくれた。
大きな高級っぽいシートに座るのは気が引けるが、せっかくなので座った。
お客さんに提供しているものと同じ食事で、なんと、温かい!
いつも食べてる、常温、もしくは冷蔵庫で冷やされた弁当とはエッライ違いだ。
ゆったりプレミアム・シートに腰かけ、温かいご飯を食べれるなんて、待遇500倍増の気分だ。
しかも、これが、うまいのだ。

「これ、メッチャ、おいしいじゃないですかっ!」
「そうですかぁ? それは良かったです。」(CA)
「こーーんなおいしいもの、私生活でも滅多に食べなーいっ!」
「それには、なんてコメントしたらいいか分かりません。」(きっぱり口調)(CA)

帰路便。
ハンジョウ空港の出発は、右席で副操縦士の業務を実施。
ATCが聞き取れず、「Say again?」(もう一度、再送してください)を連発していたら、
教官にATCを取られてしまった。
無線業務は操縦していないパイロットの業務だが、
あまりにも出来が悪いと操縦しているパイロットが無線を横取りする。
こんなこと、YS-11での副操縦士昇格、1996年以来だ。
教官がATCを復唱しているのを聞いていて、
「イヤ、それだけは絶対言ってないっしょ?」と本気で思ったので、
いかに理解できていなかが、よーく分かる。
うーーーん・・・・・、早く慣れないとな・・・。

ハンジョウの管制官から上海の管制官に移管されて、
しゃべってることが理解できるようになると、心に少し余裕ができた。
AKARA Corridor の真ん中までくると、上海コントロールから福岡コントロールに移管される。
みんなが言うように、日本の管制空域に入ると、ようやく帰ってきた感じで、ホッとした。

温かい食事は魅力的だけど、もう、国際線はいいわ。



2008.10.20

池の中にいた。
腹までつかっている。
ミドリガメが、何匹も何匹も泳いでいた。
昆陽池にいるミドリガメは、体長20〜30cmはある大きいヤツらばかり。
ここのは、妙にちっこいのが無数、ヒラヒラ泳いでいる。
おおぉぉーーっ!?!?
こいつ、ちっさ!
直径1cmぐらいか?
1円玉みたいだ。
かわいいなぁ〜♪
そいつを両手のひらですくおうとしたが、水と一緒に流れてしまい、なかなかすくえない。
お風呂に入ってるゴミをすくおうとして、手からこぼれ出る、あんな感じだ。
何回かして、ようやくすくえた。
息子に手渡した。
そしたら、すぐに超小型カメは息子の手から池にこぼれ落ちてしまった。
あぁーーー、もうっ!
せっかくすくったのに、逃がさないでよぉ。
しゃーない。
もう一度、すくうか。

ん?

目が覚めた。
夢だった。



2008.10.23

伊丹の事務所へ行った。
弁当の入っているガラス張りの冷蔵庫の前を通った。
普段、入っているはずのものしか入っていないことに気がついた。
何か、違和感がある。
何かがなくなってる?
あっ!
緑色のビニール袋がないっ!
さては、、、、Sめぇ〜、ラーメン、覚えてて持って帰ったなぁ〜。
絶対、忘れると思ってたのに、残念っ!



2008.10.24

北海道を低気圧が通過中で、新千歳は南風がピューピュー吹いていた。
170度の方向から27kt、ガスト36kt。
A320でなら、大したことない気流のはずだが、
B3−700では、このぐらいの風の中、着陸した経験がまだない。
いったい、どんな揺れ方をするんだろう?

アプローチ・タイプは VOR/DME No.2 Runway 19L。
MAOIEまでに 2,000feet まで降下しなければならない。
3,000feet あたりで40kt〜50kt、風が吹いていた。
結構、揺れる。
コパイもA320からB3に移行して以来、この程度の強めの風は経験したことがなかったようだ。
横目で彼をチラ見すると、ニヤニヤ笑っている。

シーリング(地面から雲の底までの高さ)は高く、滑走路は MAOIE のだいぶ手前から見えていた。
これなら VOR 19L のプロファイルどおりに降下せず、3°Path に乗せてアプローチしよう。
CHE の 11.5 DME 付近から降下開始。
オートパイロット、オートスロットル、OFF。

風は30kt〜35kt。
まぁまぁ、揺れる。
でも、安定している。
飛行機がズッシリしている感じ。
突風にあおられても、ほっとけば元に戻る。
この安定感、A320とは随分、違う。
操縦桿がフライ・バイ・ワイヤのせいか、フワフワするのがA320の特徴。

他機のレポートどおり、着陸まで Rough Air だったけど、ほとんど気にならなかった。
B3−700は翼が長いせいか、横風の Rough Air は、まだまだやりにくいけど、
縦揺れにはかなり強そうだ。



2008.10.27

フライトの後、便乗のパターン。
とりあえず、チェックインだけして、伊丹の更衣室で着替えた。
さてと・・・、カバンを預けに行くか。

手荷物を預けるためX線のある場所に行くと、航空券の提示を求められる。
あれ?
ポケットというポケット、全て調べたが、どこにもないっ!
「すみません。 チケット、どこかにいってしまったんで、探してきます。」

更衣室に戻った。
フライトバックの中身を出したが、ない。
フライトバッグのサイド・ポケットにも入っていない。
ステイバッグを開けた。
この中に入れた記憶はないんだけど、ここしか探す場所ないし・・・・。
どこかなぁ〜。
中身を全部出した。
あった、あった、一番下にあったよ、もうっ!
どーーゆーーこと?

もう一度、カバンを預けに行った。

便乗で新千歳へ移動。
ホテルにチェックインした。
あれっ?
フライトバッグのサイド・ポケットのジッパー、開いてんじゃん?!
ゲェエェエェエェーーーーッ?!?!
中身は、、、、、ないっ!!!
空っぽだ。
しもーーーとぅぁぁぁあああーーーっ!!!!!
何が入ってたっけか?

反対側のサイド・ポケットは閉まっていた。
その中には、、、、、、レインコートのズボンが入っていた。
ってことは、無くなったのは壊れたデジカメと辞書だ。
デジカメはいい機会なので、買いなおしてもいいか。
搭載時に高いところから落下してたら、デジカメはお釈迦のはず。
辞書は20年ぐらい前に買ったものだ。
買いなおしてもいいけど・・・・、でも、やっぱ、もったいないなぁ。
どうしよう。

紛失物は、どこかに保管されてるかもしれない。
落ちてるなら、伊丹空港内か新千歳空港内、または機内の貨物室内。
とりあえず、伊丹の事務所のFさんに電話してみよう。
Fさんは、乗員、みんなのお世話をしてくれる、素敵な女性スタッフだ。
忘れっぽい私は、メッチャ世話してもらってる。
毎回、悪いなぁ、悪いなぁ、と思いつつ、やっぱり今回も相談することにした。

事情を説明したら、とりあえず調べてみる、とのこと。

10分ほど経っただろうか。
Fさんから電話があった。
え゛え゛ぇ゛ーーーーっ!!
あったんですか?
そうです、デジカメと辞書です。
そーーっすかぁ、どーも、ありがとうっ!!
ありがと、ありがと、ありがとぉぉぉおおーーっ!!!

2日後、事務所でブツを受け取った。
デジカメの壊れ度合いは以前と同じで、ちゃーんと使えたぁ♪
良かった、良かった。