オヤジ

東京のジージが一人でやってきた。
息子(私)が買った家を見たかった、というのは言い訳。
本当はシンちゃんに会いたかったようだった。
シンちゃんは、「パパのジージ」となかなか言えず、「ジージのパパ」と言い続けた。

オヤジはほとんど自分の話をしたことがなかった。
私が聞かなかったからか?
もともとオヤジは、どちらかといえばおしゃべりな方ではない。
そんなオヤジが私と二人っきりのとき、ポツ、ポツと話しだした。

オヤジのオヤジ、つまり私にとって父方の祖父の話を初めて聞いた。
向こうの方から、きったないジジイがフラフラ歩いてくるなぁ、と思ったが、
よーく見たら自分の父だった。
他人にこれが自分の父だと知られるのがイヤで、
外ではあまり話しかけられたくなかった。
55歳で飲んだくれて死んだ祖父。
私は、今まで、てっきり戦死したのだと思っていた。
そう言ったかもしれないなぁ。」(オヤジ)
化学の技術者だった祖父は早くに亡くなり、8人兄弟を抱えた祖母は金銭で苦労した。
そのときの経験から、オヤジが父として思うこと、
父はこうあるべきだ、という彼なりの哲学を聞いた。

オヤジっていうのは、家族のために働いてお金を持って帰るもの。
家族が金銭的に困らないように、生きて働き続ける。
それだけ。

これからの時代、共働きが増えるだろうから、
「オヤジ」を「親」に代えればいいか。
お父さんが主夫で、お母さんが働いている場合、
「オヤジ」を「オフクロ」に代えればいいか。

人間の原点って、そこなんだな。
人生を楽しむために生きてるんじゃない。
自己実現のために働いてるんじゃない。
家族が不安なく必要最低限の生活ができるように、
必要最低限のお金でいいから、生きて稼ぎ続ける。
ただ、それだけ。

外で働く親は、仕事では上司や客から色々言われ、
不本意な思いをいっぱいし、
ストレスが貯まって帰宅すれば、
そこにも自分の居場所はないかもしれない。
「旦那は元気で留守がいい」 みたいな家庭もあるだろうから。
娘に、汚い、呼ばわりされるって話も聞く。
我慢の限界は、とうの昔に通り越してるんだな、きっと。

それでも、淡々と生きていく。
黙々と働く。
それでいいんじゃないの?
そんな親の背中を、きっと子供はちゃんと見ていて、
まっすぐ育っていくんだろうから。

74歳になり、少し背中が曲がってきた。
年々、小さくなっているように感じるオヤジ。
そんなオヤジが大きく見えた。
少なくとも、100まで生きろよ。

オヤジのジャージのズボンがやけに垂れ下がっていた。
下にはいてるモモヒキが丸見えだ。
ずり落ちてくるならウエストを紐で縛ったらいいのに。
後ろを向いたオヤジ。
なんで、ケツに紐が2本垂れ下がってるんだ?
「ズボン、前後、逆だぞ。」

シンちゃんと遊ぶパパのジージ。
なかなかの子煩悩だ。
驚いた。
たまには、一人で遊びに来いよ。
そしたら、オヤジに子供を預けて妻と外出できるからさ。

2005.12.04