努力
ボクシング、元WBA世界ミドル級チャンピオンの竹原慎二さんの記事が日経新聞(四国版)に載っていた。
その中で、彼の言葉が印象に残った。
「人間の一生は楽して過ごすことはできない。
だが真剣にやれば何かきわめられる。
そうボクシングから学んだ。
だから、子供たちには、例え学校の成績が悪くても、
一生懸命がんばれば必ず何かチャンスは生まれると教えたい。
人間は皆平等にチャンスがある。
努力がそのチャンスを作る。
チャンスを作ることができれば運も回ってくる。
失敗しても恐れずに努力を重ね、自らチャンスを切り開く人間になってほしい。」
人間って、どうして平等ではないんだろう?
だいぶ昔のことだが、いつもそう思っていた私に、ある友人の父が言った。
「人間ってさぁ、みんな平等に24時間を与えられてるんだよなぁ。
その24時間をどう使うかが問題さ。
寝てもいい、働いてもいい、遊んでもいい。
でも、その時間の使い方の積み重ねが人の人生を決めるんだな。
そういう意味で、人間って、みんな平等なんだ。」
人間の平等とか、そういった話題だったわけではないのに、その人は突然こんな話しをしてくれた。
努力、才能、運
この3つが人の人生を左右すると私は思う。
「才能」 は、人が持って生まれるもので、自分の力ではどうにもならない。
例えば私は完璧な理系の脳を持っており、昔から文章を書くことが大の苦手だったし、
書物を読むことは大嫌いだった。
「運」。 これもまたどうにもならないことだ。
私は昔からジャンケンに弱く、遊んでいていつも鬼ばかりしていたような記憶がある。
クジ運も悪くい。 あみだもそうだし、おみくじ系もダメ。
ビンの中に入った棒や玉を取るタイプのクジも大嫌いだ。
自分は運がいいなぁ、と思うことはほとんどない。
そんな中で、唯一自分のコントロールできることは 「努力」 である。
努力だけは、自分の意思でなんとでもなると思う。
だから、私は努力だけは惜しまないようにしている。
時間がない、忙しい、疲れた、という言い訳はしないようにしている。
そう考えるようになってもう十数年になるが、
不思議なもので、「努力」 をしていると 「運」 が向こうからやってきたり、
なかったはずの 「才能」 が芽生えたりするのかなぁ?と感じるようになった。
文才のなかったはずの私だが、日記を書くようになり、しかも沢山の方に喜んでもらっているようだし、
あれほど大嫌いだった新聞を、今では隅々まで読むのが楽しくなった。
「運」 については、こういった経験がある、という事実なないのだが、
なんとなく色々な面でチャンスができてきたように感じる。
自分が前向きになった分、何かと良いことがあると、
今までなら見過ごしていたような些細な出来事も、
ラッキィ〜♪、と感じられるようになったせいかもしれない。
一見、逆境に感じられることも、ポジティブ思考でチャンスに変えてしまっているのかもしれない。
「努力」 さえしていれば、「才能」 は開花することもあるし、「運」 も訪れる可能性が増える。
そう信じて、どんなときにも自分に厳しく、ずっと努力し続けて生きていきたいと思う。
2002.11.05