2001.08.02

高知 → 大阪 の遅パタ。

午後、高知のディスパッチに出頭した。
レーダー・エコー図を見ると、伊丹空港周辺には強烈な積乱雲(CB)の壁があった。
ここ数時間の動きでは西へ移動しており、これからまだ状況は悪化するようだった。
空港周辺が CB に囲まれてしまっているときは、どうやって飛べばいいんだろうか?
キャプテンは笑っている。 マジかよ・・・・、の笑いであることは明らか。

飛行機へ乗り、出発前の準備をしていると、カンパニー無線で伊丹の最新の天気を送ってきた。
おっ、今が最悪ってか? ってことは、私達が到着するころには CB も遠ざかりつつあるに違いない♪
キャプテン曰く、
オレ、普段の行いいいしさ、大丈夫だよきっと。
 ほら、昨日も君が操縦してたときは天気悪かったけど、僕のときは良かったでしょ?


離陸してすぐ機上レーダーを ON にした。
あった、あった。 この CB ね。 これが進入経路上にあったら、まず着陸できずにダイバートだよな。

高知を上がり紀伊半島を通って北上する。
計器上で TCAS が伊丹空港へ進入を待っている飛行機を写していた。
300kt から 250kt に減速して、伊丹への進入を開始する SHINODA point へ向った。
どうやら我々の前には 2機いるようだ。

高知のディスパッチで見たとき、エコーはこの SHINODA point から伊丹空港までを覆い尽くしていたのだが、
私達が SHINODA に着いたときには、幸い CB は SHINODA point より北西へ移動しており、
雲にも入らず、気流も良好だった。
SHINODA の上空で旋回しながら待機する指示が管制官からあらかじめ出ていたが、
先行機は次々にアプローチを開始し、私達は待機経路に入って反旋回してすぐアプローチを開始することができた。
伊丹空港の Runway 32L に向ってまっすぐ降下する経路上にあったはずの CB も既に北西へ移動しており、
結局、着陸までの間、ほとんど雲に入らず、全く揺れずにアプローチすることが出来た!

日中、伊丹空港では気温が 39℃ まで上がったようだった。
私達が高知を離陸する頃の伊丹の気温は 37℃。
そして雨が去り、私達が着陸したときの気温が 26℃。
飛行機を降りたとき、空気が涼しくて、とても心地よかった。
毎日大雨が降ればいいのに・・・・ あっ、でもそれは自分が休日で飛行機を飛ばしてないときがいいなぁ・・・・

着陸後、整備さんに伊丹の状況を聞いた。
雷が上から下ではなく、地上で横に走ったとか。
滑走路に設置されている灯火が、何個か雷に直撃されて壊れたようだった。
伊丹の事務所に戻ると、みんなに 「揺れたでしょう?!」 と聞かれた。
もちろんキャプテンと私は自慢げに、高知から大阪まで全く揺れなかったことを告げたのだった。


2001.08.06

昨日の夜は8時からテレビで 「特命リサーチ200X」 を見ていた。
「ついに出た・食事制限、運動なしで痩せられる最新簡単ダイエット法」 なるタイトルに感心をもったからだ。
そんなわけないじゃん! 無理、無理。 オレが過去にどれだけ苦労して痩せたと思ってるんだよ。

食事をコントロールすることで血糖値を上げず、インシュリンの分泌をコントロールする。
そのために摂取する炭水化物の種類を選ぶのだが、グリセリック指数というのがあって・・・・・


15分ほど見てテレビを消した。 全部知っていることだったからだ。
私が過去に使ったダイエット法を紹介しているだけだった。
番組を見た方、グリセリック指数について知りたい方、参考にしてくださいね♪

テレビを消してベットに横になってから、すぐに寝たようだった。 きっと8時半頃だろう。

朝、5:30 に目覚ましの音で深い眠りから引き戻された。 ツライ。 眠い。 目覚ましを消さなきゃ。
あお向けの態勢から左に体を傾け、右手を伸ばして壁を触る。 指先で壁をあちこち触る。
ない。 目覚ましがない。 うるさいなぁ。 どこ?
しばらくして気がついた。 時計は反対側で鳴っていたのだ。
体を右に傾け、左手で目覚ましを消した。
昨日は松山のホテルに泊まっていたのだが、昨日は左側にあった目覚ましが、
今日は高知のホテルで右側にあったのだった。

時々、自分がどこにいるのか分からなくなるときがある。
この前なんか、高知のホテルで目を覚まし、今日は休みだったな、って思って、
数秒後に出先のホテルであることに気付き、とても損した気分になった。


伊丹発高知行き。
足の不自由なお客さんがいらっしゃる場合、
通常お客さんを機内に案内する前に地上係員からブルーフィングを受ける。
そして足の不自由なお客さんは、飛行機に一番最初に案内するのだ。
このフライトでは事前情報がなかったが、飛行機の出発間近になって、車椅子でご老人が搭乗してこられた。

地上係員(GH)がご老人を乗せた車椅子を押し、付き添いの若い男性がそばを歩いていた。
飛行機の入り口へつながる細い道には所々段差があり、
そこで衝撃がないようにGHさんは車椅子を反対向きにしてゆっくりと丁寧に降ろす。
ところが、たまたま私がコックピットの窓から通路を見た瞬間、
ご老人の乗る車椅子が段差で前向きにつんのめり、ご老人は足をついて倒れそうになりながら前に投げ出された!
なんとか両足で踏ん張り、膝を曲げ、腰をかがめた姿勢でバランスを取りながらかろうじて立っておられた。
一瞬の出来事だった。

その後、ハラハラしながら見守っていると、付き添いの男性はご老人より先を歩き飛行機のドアへ向い、
ご老人は杖を使ってゆっくりと歩き出された。
車椅子を押していた GH さんは申し訳なさそうにご老人に寄りそうように歩いていた。
ご老人が立ち上がったのを目撃してビックリした別の GH さんが、細い通路のずっと向こうから走ってきた。

お客さん、どこか体を痛くしなかったかな? 怒らなかったかな?
GH さん、後で怒られないかな?

乗客全員の搭乗が終わると、客室乗務員(CA)がコックピットに報告に来る。
そのときに聞いた。
「お客さん、大丈夫でしたか? 怒ってませんか?」
大丈夫でした。 GH さんが段差が危ないから、と車椅子を後ろ向きにしようとしたところ、
 付き添いの方が、『大丈夫、大丈夫。』 と言って車椅子を無理やり押してしまったようなんです。

そうか。 そうだよな。 GH さんが手荒なことするわけないもんな。
それにしても、倒れなくて良かった。
もう、付き添いの男性、もっと気を遣ってくださいませ!


20008.08

千歳から羽田に便乗で向かった。
飛行機はジャンボだったが、私の座席は後方、中央の列の通路側だった。

通路をはさんで隣の席におばあさんが座った。
客室乗務員(CA)に色々と質問している姿を見て、明らかに旅慣れていないのが分かった。
斜め前方に座ろうとしたビジネスマンに、座席ベルトの閉め方を聞いていた。

離陸前、隣のおばあさんがCAを探しているのが分かった。
もちろん乗客を含め、CAも離陸前は着席しなくてはならないので、回りにCAはいない。
他社便での移動ではあったが、私も一応航空関係者だし、離陸前に立たれるとCAが困ると思い、
何の用かたずねてみた。

息子が横浜に車で迎えに来ているのですが・・・・・。
「はい。 えっ、それで?」
横浜で降りたいのですが。
「はい、羽田空港から電車かバスで横浜へ行かれるのですね♪」
いえ、私は東京ではなく横浜に行くのです。 息子が横浜に車で迎えに来るのです。  横浜で降りたいのです。
「は? 横浜で飛行機から降りたいのですか?」
はい。

どう説明したら良いのだろう?
「えーと・・・・・ とりあえず、羽田空港へ行って、
 そして飛行機を降りてから横浜へどう行けば良いのか地上係員に聞いてみてはいかがでしょうか?」
でもスチュワーデスさん、どこにもいないんですよね。

おばあさんは腰を浮かしかけた。 マズイ。 立ちあがってしまう。
「離陸して10分もすれば座席ベルト着用のサインが消灯します。
 そうしたらスチュワーデスが歩いてくるので、そのときに聞いてみてはどうでしょうか?」
後でスチュワーデスが来るのですね?
「はい。」

シートベルト着用のサインが消えて、すぐに私は立ちあがり、CAを一人捕まえて状況を説明した。
「申し訳ありません。 私にはどのように説明したら良いのか分かりません。」
そのCAは快くおばあさんに説明することを引き受けてくれた。
私が千歳から羽田までの1時間半、おばあさんの相手をしても良かったのかもしれない。
でも、通路をはさんでどこへ行きつくとも分からない会話をすると、
CAが飲み物のサービス等、通路を歩くのを妨げてしまう。
やはり接客のプロであるCAに任せるのがベストであろう。

CAが来た。
おばあさんは、私に言ったのと同じことをCAに話した。
無論、飛行機は横浜に向かうことはできない。
私どもにお任せ下さい。 お客様は何も心配されることはございません。 安心してごゆっくりおくつろぎ下さい♪
そうか。 そういう表現を使えばいいのか!? さすが慣れている、というか、すごいなぁ。

おばあさんは一度は納得したように見えたが、通路を歩いてきた別のCAを手を振って呼び、同じ事を聞いた。
息子が横浜に車で迎えに来ているのですが。
うわー、参った。 どうすればいいんだろう? どう説明すれば分かってくれるのだろう?
CAが通路を通る度に呼びとめ、何度も同じ事を聞いていた。
CAも忙しい。 CAは次第に軽く返事をして、「どうぞご安心下さい。」 とだけ言って通りすぎていく。

着陸前、座席ベルト着用のサインが点灯した。 もちろんCAも着席した。
おばさんが再び私に尋ねた。
この飛行機は横浜行きですよね? 着陸したら横浜ですよね? 息子が来ているんです。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい・・・・・・・・・・・・」
私にはそれ以外何が言えたであろうか?

きっとあのおばあさんは初めて飛行機に乗られたのだろう。
あの後、横浜で息子さんに無事会えただろうか?
それにしても、どうして息子さんは羽田まで迎えに来てあげなかったんだろう?
高速に乗れば近いのに・・・・。


2001.08.14

高知 → 大阪 の初便。

高知を離陸し上昇中、12,000ft 付近を過ぎると高知の管制官から関空の管制官に代わる。
私は、関空の管制官に無線で話しかける。
"KANSAI Approach, ANK Air 402, Climbing to flight level 150, leaving 12,000ft, proceeding KAIFU."
(関西アプローチ、ANK402便、現在 12,000ft を通過しており FL150 まで上昇中、カイフへ向かっています。)
"ラジャ" (Roger)(管制官)
はっ?! なんか冷たいんでねーの?
いつもなら
"ANK AIR 402, KANSAI Approach, Roger." とか、
"ANK Air 402, KANSAI Approach, Maintain FL150." とか言ってくれるし、
せめて "ラジャー♪" と明るく答えてくれるのに、
今日は一言ボソッと "ラジャ" と、あまりにもそっけない返答。 悲すぃー・・・・・・。
「キャプテン、なんか冷たくなかったですか?」 と、聞くと、間髪いれず、
忙しいんじゃないの?」 と、これまた冷たく言い放たれてしまった・・・・・。
でも、その後、関空の管制官は他の飛行機としばらく無線で交信をしておらず、
ずっとシーンと静まり返っていた。
やっぱり暇なんじゃないかなぁ・・・・・。
う〜ん、きっと朝早くてみなさん、まだ眠たいのでしょう。

関空の管制官から伊丹空港への進入許可がきた。
"ANK Air 402, Clear to IKOMA via SHINODA Arrival."
  (いこま Point まで しのだ Arrival を通って向かってください。)
私は言われたことを復唱しなくてはならない。
"Roger, ANK Air 402, Clear to SHINODA via IKOMA Arrival."
  (了解、しのだ Point まで いこま Arrival を通って向かいます。)
あれっ、変だな? いつも復唱しているフレーズなのに、なんか言いにくいぞ?
今、逆言ったよ。」(キャプテン)
「へっ?」
すぐに関空の管制官が私を無線で呼び出した。
"ANK Air 402, Clear to I・K・O・M・A via S・H・I・N・O・D・A Arrival."
うわっ、言い間違えちゃった。 ゴメンナサイ。
"Sorry. Clear to IKOMA via SHINODA Arrival♪"

いかん、いかん。 寝ぼけていたのは、どうやら私のようだった。


2001.08.16

休日の午後、行きつけのマクドへ行った。
その店の良いところは、コーヒー代 170円 払えばおかわりが自由なことだ。

斜め隣に20代と思われる私服の男性が、一人でコーヒーを飲みながら、
何かの書類、ノートのようなものに目を通していた。
テーブルの上には 500ml 入りの爽健美茶のペットボトルが置いてあったのだが、何故か中身は真っ黒だ。
あれは何だ? コーラか何かを持ちこんでいるのだろうか?
イヤ、コーラのように冷えてなくてはおいしくないものを、暑い中、ペットボトルに入れて持ち歩くだろうか?
第一、ボトル内に炭酸の泡が見えない。
あれって、まさかコーヒーじゃないよな?
飲み放題のコーヒーを入れているとか?
そんなわけないかぁー。 オレもかなりのおケチだが、そこまではせんからなぁー。

彼のテーブルには私と同じコーヒーのカップが置いてあった。
そのコーヒー・カップと黒い液体の入った爽健美茶のペットボトルが私は気になって仕方がなかった。

数分後、彼はノートのようなものを片付け始めた。
おっ、帰るのか? さぁ、どうする?
見ていると、左手でペットボトルを手元に引き寄せ、
コヒーを右手で持ち上げ紙コップを若干押しつぶし注ぎ口を作った!
あっ、ほんとに余ったコーヒーをペットボトルに入れている!!
500ml 入りのペットボトルの半分強、コーヒーを貯めこんでいた。

ってことは、250cc だろ? 大きなマグカップに1杯程度だよな?
インスタント・コーヒーは大さじ1杯程度で作れるし、家で作っても大してお金はかからないはず。
なんで持ちかえるんだ? そんなにマクドのコーヒーっておいしいか?
あのペットボトル、家に持って帰り、冷蔵庫に入れて冷やして飲むんだろうか?
それともマグカップに写して、チンして暖めるのだろうか?
これから図書館かどこかに場所を移し、そこでノートを読みながら飲むのだろうか?

とても沢山の??????が頭を駆け巡った。
興味津々で、本人に聞いてみたかったが、もちろん私にはそんな度胸などあるはずがなく、
ペットボトルをバックパックにしまい店を出て行く彼を不思議そうに見送ったのだった。


2001.08.19

大阪−高知を2往復半のパターン。

台風の接近のせいか、どの高度も気流が安定しなかった。
しかも大阪、高知、ともに使用滑走路は14。
特に大阪は14を使っているときアプローチと離陸まで待たされることが多く、定刻に到着、離陸するのは難しい。
今日はお盆明けの日曜日、ということもあり、大阪−高知はほとんど全便が満席。
これも到着後の清掃に時間がかかり、遅れる原因の要因になる。

最後の3便で伊丹空港を出発時、45分遅れてしまった。
何故かについては触れないとして、この45分をどうやって縮めることが可能か?必死になって考えた。
高知行きの最終便が20分以上遅れると、空港施設は閉まってしまう。
このため、なんとかその門限に間に合いたい。
もし間に合わない場合、空港施設の運用を延長してもらうように要請しなくてはならない。
書類の提出もあるし、管制塔で働いている人達に私達のせいで残業してもらうのは、申し訳ない。

45分遅れでお客さんの搭乗は終わったが、滑走路が14のために離陸まで普段より待たされた。
このロスタイムが数分。
高知空港の使用滑走路も14で、アプローチにもより時間がかかり、
かつ満席のお客さんの降機終了までに時間を取られ、50分遅れになってしまった。

次便も満席。 前便が満席だと清掃にも時間を要する。
清掃さんが座席シートのクッションを1つ引き剥がし、機外に持ち出そうとしていた。
どうやら前便のお客さんが飲み物を少しこぼしたようで、水の筋がついていた。
これを飛行機の側面の穴から勢いよく吹き出す乾燥した空気にあてて乾かすのだ。
これなら私にもできるし、清掃さんには機内の清掃を急いで欲しかった。
私は、この少し湿った座席シートのクッションを乾かしに機外に出た。
飛行場の屋上には沢山の見物人がおり、私の行動は丸見えだった。
恥ずかしい・・・・・ まっ、いっか。

大阪行きの便への搭乗案内が始まった。 が、お客さんが数人いない! どうしてー!
私達が駐機しているスポットを使用するはずの関空から到着した飛行機(705便)は、
私達の便の搭乗が終わり、Push Back するまで駐機できずに待っている。
当初50分遅れで高知を出発するはずだったが、結局さらに5分遅れて55分遅れの就航になってしまった。
おまけに705便には着陸後、10分ほど地上でお客さんを乗せたまま待ってもらうことになってしまった。

本当は何名かのお客さんが高知→伊丹の後、伊丹→東京に乗るはずだったのだが、
私達の便が大幅に遅れてしまい、伊丹発東京行きの最終便に間に合わないことが確実だった。
ここで、高知の地上スタッフが機転をきかし、高知→関空→東京に振り替えていてくれたことは幸いだった。

大急ぎで高知を離陸し伊丹へ向かった。
だが、伊丹空港へ着陸する飛行機のラッシュにあたり、かつ滑走路が14なために渋滞はさばけない。
このため着陸した時点で1時間5分遅れになっていた。 最悪!

もう高知空港の門限には200%間に合わない。
きっと地上スタッフが電話をかけまくり、書類提出に走り回ってくれていることだろう。
でも仕方ないか・・・・・。

高知への最終便の到着は1時間遅れだった。
管制官との最後の無線での交信で、到着が遅れたことを丁重に謝っておいた。
本当にゴメンナサイでした。

明日は台風がやってくる。 大阪に無事帰れるかどうか心配だ。


2001.08.20

台風の影響で高知→大阪の最終便は欠航になるかと思っていたが、
意外と台風の接近が遅かったようで、問題なく勤務を終了した。

だが、大阪→高知の最終便については、高知到着後、飛行機を空でどこかに移動させていたようだった。
今晩から明朝、明日いっぱい、高知空港は台風の影響を大きく受けることが予想されていたために、
高知から飛行機をエバック(EVAC=Evacuation=避難)させたようだった。
当然、明日、高知→大阪の朝一の便に使う飛行機はないわけで、402便は欠航となる。

明日はどれだけの便が日本全国で欠航になるのだろうか?
移動を予定している人にとってはとても不運なことだが、運航の安全を考えるとどうにもならないのである。
ご迷惑をおかけする人達にお詫び申し上げます!


2001.08.21

乗員は仕事でホテルによく泊まるのだが、着替え等を入れて持ち歩くカバンをステイ・バックと呼んでいる。
ステイ・バックは会社で支給してくれるのだが、大きさが小さめなため自前で買うひとも多い。
私もその一人で、3年前に買ったプラスチック製の
ピギー・バック(車輪と伸びる取っ手のついているもの)をずっと使っていた。

便乗で移動する際、ステイ・バックを預けるのだが、知らぬ間に壊されていた。
横に置くときに接地する4つの足のうちの1つが、根元のプラスチックをつき抜けめり込んでしまっていた。
そういえば最近、カバンを横に置いたとき何で傾くのかずっと不思議だったが、あえてチェクさえしなかったのだ。
どうして気がつかなかったのか・・・・ 結構私はボケている。

と、いうわけで大阪の本町、心斎橋の辺りの問屋街に行くことにした。
今まで使っていたものは3年前、東京のディスカウント・ショップで¥20,000のものを¥8,000で買ったのだが、
5割引程度でゲットできれば(¥10,000以内)まずまず、と買値を決めていた。

以前から頼まれていた真珠のネックレスも、そろそろ作ってあげなくてはならなかった。
心斎橋にはジュエリーのパーツや工具を売る店が集まっているので、チェーンとパールも買うことにした。

朝、9:15に家を出て電車を乗り継ぎ本町へ向った。
カバン屋さんを何軒か回ったが、欲しい形、大きさのピギーバックはなく、また値段も¥10,000を軽く超えている。
プラスチック製のものより布製のものの方が最近は主流なのか、布製のものが目に付く。
でもいつもパソコンを入れて持ち歩いているし、
搭載さんが投げて飛行機に積んでも大丈夫なもの、といえば布製のものは心配だ。

半ば諦め、チェーンを買ってからブラブラ歩いていると、古ーい感じのカバン屋さんを見つけた。
まさかないよなぁ・・・・・。 とりあえず入ってみることに。
やっぱりないよなぁ。 今度東京に行ったときにでも探すか?
でも最近東京ステイのパターンはきついので、お店に行く時間がないよなぁ。 どうすっかなぁ?
おっ、こんな店には似合わず、ジュラルミンのピギーがあるじゃん。 ヘェー。
そういえば昔、RIMOWA のピギーが欲しかったけど、あれって¥88,000もしたんだよな。
たかがカバンにそんな大金出すのももったいないし、結局買えなかったっけ。
どれどれ、いくらだい・・・・ へっ!? ¥12,500だぁー!!??
安っすー! これって買いだよな? まさか「なんちゃってジュラルミン」なんかじゃないよな?
イヤー、ジュラルミンって昔から欲しかったんだ。
シュワちゃんが「トゥインズ」で持ってた、あの感じ、最高! マジ、ラッキーじゃーん。
買おう、買おう。 「取り説は中に入っているのですね。 ありがとう!」

次にパールを買い、いざマクドへ。 「ハンバーガー1つとー、お水 頂けます?」
えっ?」(店員)
「えっとー、ハンバーガー1つと、お水 です。」
ハンバーガーは11時からなので、お席にお持ちします♪」(店員)
えっ、なんで11時までハンバーガーないの? 店は開いてるのに。
それにしても恥ずかしいよなぁ。 消費税込みで¥68だもんな。

席に座り待つ間、家から持ってきた工具とルーペ(目にはめて使うもの)、
さっき買ったチェーンとパールを机の上にならべ、作業開始。
幸い台風のせいか店内はお客さんが少なく、私の怪しい行動は誰にも気づかれずに・・・・・
ハンバーガーお持ちしました♪ ごゆっくりどうぞ。」(店員)
って見られたよ。 やっぱ、後でやろう。
空腹をハンバーガーで満たし、水を飲んでマクドを出た。

ネックレスをお願いしてくれたひとが勤める場所に、お昼休みの前にはなんとか着きたい。
電話番号を持って来るのを忘れてしまったため、連絡が取れないからだ。
ダッシュで駅まで行き、地下鉄に乗って目的地に11:40に到着。
嬉しいことに、この前作ってあげたネックレス、2人ともしていてくれた!
今日行くとも言ってなかったのに、いつも身につけていてくれるんだなぁ♪
工具、ルーペ、チェーン、パールをカバンから取り出し、見ている前で作ってあげた。
もちろん喜んでくれた。 私にとってはこの笑顔がたまらないご褒美だ。

帰路についた。
電車に乗り、座席に座り、新しいジュラルミンのカバンを眺めてニッコリ。
開けたり、閉めたり遊んでいたが、フッと気がついた。 取り扱い説明書なんて入ってないじゃん。
3桁のカギがついているのだが、カギがかからないし、番号の変更の仕方も分からない。
そっかー、それで安かったのかな?
色々いじっていれば使い方、分かるでしょ。 安かったし、いいさ。

3ケタのカギの内側にある金属の出っ張ったものが、きっと番号設定用のものだろう。
動かしてみてはカバンを閉じ、番号を変え開ける。 開いた。
また、金具をいじって番号を変えて、閉めてから開けてみた。 カギはかからない。
おかしいなぁ。 壊れてるのか? クッソー! 飛行機で預けるときに、番号カギが使えないと困るんだよなぁ。
ガチャ、ガチャ、ガチャ。 金具をいじったり、番号を変えたり、開けたり閉めたり、何をやってもダメ。
家に帰ってから考えるか。 ガチャッ。 ガチャ、ガチャ。
見もしないでカバンを閉じ、何気なく番号カギを回してしまったようだった。
本でも読むか。 アレッ? 開かない!
おいおい、カギかかってるじゃん。 何だ、壊れてるわけじゃないんだ。 良かった♪
ところで、番号、何番だったっけっ?????
無意識に番号を変えて、金具をいじり、そのまま閉めてしまい、
さらに番号を見ずに変えてしまったから、カギの番号が分からないのだ!!
しまったぁー! これって 999通りあるわけでしょ? 全コンビネーション試さなくちゃならないわけ?
アッチャー、痛ったぁー・・・・・・。

000から始めるか、999から始めるか?
どちらから始めても、500を過ぎたら反対側からやっとけば良かった、って、きっと後悔するんだろうなぁ・・・・・。

家に着いた。 妻にバカにされた。
結局、000から始めることに。 30分経って、500を過ぎた。
それって、新しいゲーム? 楽しいの♪」(妻) 「そうだっよっ!」(ほっとけー!)
1番ずつ進むごとに親指でフタを開けようとするのだが、次第に皮が痛くなってきた。
そして・・・・ 開いたぁー!! 880 だった。 45分経過していた。
なんだ、開いちゃったんだ。」(妻)

あーあ、疲れた・・・・・。


2001.08.23

勤務後、便乗で千歳→羽田で帰った。
昨日まで台風だったせいだろうか? 飛行場は人で溢れ返っていた。
もちろん私が乗った便も満席だった。

東京ステイで実家に帰った。
しばらくすると父親が帰宅した。
どうやら、一昨日から2泊3日で札幌に行っていたようだった。
「どうだった、混んでたでしょ?」
ああ、満席だったよ。 エアー・ドウに乗ったんだけど、随分遠くに飛行機をとめるんだねぇ。
 ターミナルは見えてるのに、グルグル回って、なかなか到着しなかったよ。
 
(羽田空港のオープン・スポットの話をしている。) それに飲み物のサービスもなかったし。
「なに言ってんだよ。
 うちの便も、ほとんど全部エアー・ドウと同じ場所にとめて、お客さんはバスでターミナルに移動するんだよ。
 ところで、エアー・ドウってスチュワーデスの制服、確かつなぎかなんかじゃなかったけ? どうだった?」
え、なんのこと?
「スチュワーデス、どんな制服着てた?」
知らない。
「だって、座ってれば横、通るでしょ?」
イヤ、見なかったから分からない。
「??????」
意外と抜けてる親父である・・・・・。

私の勤務はラッキーだった。
台風が関西に来る前に勤務が終わり、その後2連休。
今日は休み明けで、台風は道東にあり、朝型は釧路、中標津近辺は風が強く、厚い雲に覆われていた。
ところが、台風は私達が千歳→中標津を飛ぶ日中までには通過し、低い雲は残っていたものの、
離着陸には全く問題ない状態だった。


2001.08.26

私の同期でHPを持っている 「こうちゃ」 に、私達のことも書いてくれと、今日一緒だったCA達が頼んだようだった。
その後、こうちゃのHPを見てみるとほんの少ししか彼女達のことが書かれていなかったようで、不満気だった。(笑)
そのうちの一人はこうちゃのHPのリンクから私のHPを見てくれていた。
以前よりコンテンツが充実していて良かった、とお褒めの言葉をもらってしまった♪
特に、ビデオの撮影の仕方にはまっているようだった・・・・・。

どうやら彼女、まもなく退職するのだそうで、キャプテンと私も入れてみんなで写真を撮ってくれ、とのこと。
もちろんOK!
何も考えずに思いついたことをそのまま言ってしまいがちな私は、
「ひょとして寿退職?」と何気なく聞いてしまった。
その直後、(しまったぁー! またいらんこと聞いてしもうたぁー!)と後悔するが、すでに遅し。
セクハラ親父である。

幸い、「イエ、違うんです♪」 と明るく答えが返ってきた。
でも、どうせすぐ結婚するんだろ?」 と、キャプテンが聞いてしまった。
ダメー!!! そんなストレートに・・・・。
ええ、そうなんですよ♪
ありゃ、そうなんだ。 良かったね。 とても美人だし、いい子だし。
あーあ、それにしても羨ましいなぁ。 私も結婚退職したかったなぁ!


2001.08.27

松山 → 関空 → 女満別 → 関空 → 高知

今日は5:50起きだったので、昨夜は20:00にベットに入った。
でも寝つきが悪く、21:00まで起きていたせいか、今朝はとても眠かった。
そんな話をキャプテンにすると、彼は自分の枕でないと寝れないらしく、
泊まり先では毎晩3〜4時間程度の睡眠時間なのだそうだ。
小さなステイバックに MY 枕を入れて持ち歩くわけにもいかないので大変だ。
もし国際便やってたら、オレ死んでたと思うわ。」(キャプテン)
確かにそうだ。 他社で国際便を飛ばしている人がかわいそうに思えてしまう。

松山 → 関空の初便には60歳のオランダ人女性が車椅子で乗って来られた。
椎間板ヘルニアをわずらっており、これからオランダまで国際線に乗るのか、と思うと気の毒だ。
飛行機に乗り込むところをチラッと見ただけだが、見た目はとても60歳に見えないほど若い。
後で CA も同じことを言っていた。
外国人の中には、年のわりにとてつもなく若く見える人が時々いるが、何故なのだろう?

日本の上空は高い雲に覆われ、関空−女満別の往復は行きが FL370、帰りは FL350 だった。
帰りの便は FL390 に上がりたかったのだが、満席だったためエンジンの出力が足らず、FL390 まで上昇できない。

行きはキャプテンが操縦していった。
昨日から一緒のキャプテンは、以前私に降下計画を教えてくれたキャプテンの師匠的存在のキャプテンだったため、
女満別に向けて降下を開始する前に、どこから降下を開始する予定なのか、またその根拠を聞いてみた。
場所は私と一緒だったのでとても嬉しく思ったのだが、降ろし方が違った。
私は 4°の Path で降下する計画をたてたのだが、キャプテンによると、今日の Path は 3.4°だと言う。
どうしてそんな微妙な数字が暗算で出てくるんだ?
でも実際に降りてみると、彼の計画は正しく(完璧)、
もし私が同じ場所から私の計画で降りていったら、高度処理をしきれずに高くなってしまっていたはずだった。
さっ、さすが・・・・。

帰りは私の番だ。
巡航 FL350 から管制官の指示で FL310 まで富山のあたりから降ろした。
その後、SAEKI という地点を FL160 で通過するようにと、お決まりの降下指示が出た。
その時の対地速度(地面に対する飛行機の速度)は 405kt。
SAEKI までの距離が 42マイル程の場所に差し掛かった。
下の風は今より弱いはずだし、高度を下げれば FL250 以下は相対的に速度が減るはず。
FL160 までの対地速度の平均は、恐らく 405kt以下。
405kt で 41マイル飛ぶのに約1時間の10分の1=6分。
FL310 から FL160 まで 15,000ft 高度を降ろせば良いのだから、15,000 ÷ 6 = 2,500。
1分間に 2,500ft 降下すれば良い計算だ。
FL250 以下は相対的な速度が若干減る可能性を考慮して、1分間に 2,300ft で降ろしてみよう。
結果、SAEKI を FL160 ピッタシで通過することが出来たのだった。